みなさま、こんにちは。
先日、こんな言葉を教えていただき、急いで書き留めて帰りました。すぐ忘れてしまうので…。
「八風(はっぷう)吹けども、動ぜず」
武田霊仙氏
帰ってから、ネットでいろいろ調べましたよ。
先日、松井秀喜さんの「不動心」の本など、この前お話したことにも通じると思います。
「八風」という八つの風とは、八つの妨げになるもので、四違(しい)と四順(しじゅん)に分けられる。
四違(しい)=逆境は、誰しもが避けたいと思う、人の意志に違うもの、「衰」「毀」「譏」「苦」の四つ。
四順(しじゅん)=順境は、人にとって都合がよく自ら進んで求めるもの、「利」「誉」「称」「楽」の四つ。
では、この八つの風が吹いても、動じないとは?
逆境が生きていく上で妨げになるのは理解できるが、自分に都合が良い順境でも人生の妨げになるとは?
まず、「動じないとは、心が何の反応も働かせないようになることではない」とありました。
人間は感動もするし、悲しみも怒りも覚える、人の心は生きる上で必ず動くが、
問題はその揺れた心をどうするかということ。
嬉しかったらはっきりと嬉しいと感じ、悲しければはっきりと悲しいと感じればいいが、
その感じている感覚を引きずらないということ。
なんだか感情を殺して生きていかなきゃいけないのか、と思ってしまいますが、
嬉しければ嬉しいと感じ、心をもとにもどす。
悲しければ悲しみ、心をもとにもどす。
怒るときは怒り、心をもとにもどす。
「八風吹けども動ぜず」とは、揺れた心がすぐにもとの座標、心の中心点に戻ってくることを言ったのだと。
つまり「不動心」ですね。
「いい調子だぞ~」「人から褒められて嬉しいな~」と、ずっと有頂天で浮かれたままではいけないのですね。
自分自身で調子が良い、と思えるときこそ、油断や慢心に心の奥底を侵食されがちで、
何度も何度も、慢心のしっぺがえしを喰らい、あとから冷や汗を流す経験を積み重ねて行くのが修行だ、
と禅宗の方が話されています。
なるほど、確かにそうです! 「勝って兜の緒を締めよ」?
なかなか、心のコントロールは難しいですが、
私の場合は、とにかく「軽率さを返上し、思慮深く落ち着いた人になる」を、目標にせねばなりません。
ちなみに、具体的な「八風」とは以下の通りです。
四違とは、「利」=利益 「誉」=名誉・誇り 「称」=人からの称賛・名声 「楽」=快楽
四順とは、「衰」=肉体的精神的衰え・財貨の損失 「毀」=不名誉 「譏」=非難、中傷 「苦」=苦しみ