阪神タイガース「虎の袖章」自作Tシャツ

まぁ、なんてことはない、以前購入した阪神の『虎の袖章』のワッペンを貼り付けただけ

それでも、これがそこそこの見栄えなのは阪神タイガースの意匠が優れているからだろう。
タイガースはデザインワークだが、球団創設期にデザインに関するコンセプトワークがしっかりと行われていたためか、日本球界では珍しく歴史的に一貫したスタイルを持っている球団で、球団旗や胸マークのロゴから袖章の虎のマークまで、創設時の基本スタイルを守り続けているのは、日本球界ではこの球団だけである。
黄色と黒の横縞に虎の顔が描かれた赤い丸を配置した球団旗は絶妙なデザインである。

理由は分からないが、虎の顔は球団旗と袖章では顔の向きが逆になっている。ただし職業野球連盟のリーグ戦がスタートした1936(昭和11)年には、すでに袖章も球団旗も存在していたのは確かで、戦時中も虎の袖章と縞模様の球団旗はそのままの形で使用されていた。
『虎の袖章』は職業野球がスタートした1936~1940年に使用された(現在の概念でいうと)ビジター用ユニフォーム(グレー時に胸に「OSAKA」のレター)の左袖に使用され、1944年に左胸に「阪神」のレターが使用された(現在の概念でいうと)ビジター用ユニフォームで復活。ビジター用ユニフォームではその後1950~1978年、1984年~現在まで左袖に『虎の袖章』が燦然と輝いている。
ホーム用ユニフォームで『虎の袖章』は使用されたのは意外と遅く1976年から。1960年に球団名が「大阪タイガース」から「阪神タイガース」に変更なってからもそれまでは左袖には「OSAKA」の文字が記載されていた。ビジター用ユニフォームは1979~1983年までの間、左袖の『虎の袖章』が廃止され「Tigers」のロゴが記載されたが、その期間は既にホーム用で『虎の袖章』が使用されていたので1950年から絶えず、この『虎の袖章』は使用されていることになる。
そう考えると、この手抜き自作Tシャツがそこそこの見栄えに見えるのも分かるような気がする。
左袖に燦然と輝いている『虎の袖章』

#4 マット・キーオ

#27 スコット・アッチソン
※その他グッズはこちら

まぁ、なんてことはない、以前購入した阪神の『虎の袖章』のワッペンを貼り付けただけ

それでも、これがそこそこの見栄えなのは阪神タイガースの意匠が優れているからだろう。
タイガースはデザインワークだが、球団創設期にデザインに関するコンセプトワークがしっかりと行われていたためか、日本球界では珍しく歴史的に一貫したスタイルを持っている球団で、球団旗や胸マークのロゴから袖章の虎のマークまで、創設時の基本スタイルを守り続けているのは、日本球界ではこの球団だけである。
黄色と黒の横縞に虎の顔が描かれた赤い丸を配置した球団旗は絶妙なデザインである。

理由は分からないが、虎の顔は球団旗と袖章では顔の向きが逆になっている。ただし職業野球連盟のリーグ戦がスタートした1936(昭和11)年には、すでに袖章も球団旗も存在していたのは確かで、戦時中も虎の袖章と縞模様の球団旗はそのままの形で使用されていた。
『虎の袖章』は職業野球がスタートした1936~1940年に使用された(現在の概念でいうと)ビジター用ユニフォーム(グレー時に胸に「OSAKA」のレター)の左袖に使用され、1944年に左胸に「阪神」のレターが使用された(現在の概念でいうと)ビジター用ユニフォームで復活。ビジター用ユニフォームではその後1950~1978年、1984年~現在まで左袖に『虎の袖章』が燦然と輝いている。
ホーム用ユニフォームで『虎の袖章』は使用されたのは意外と遅く1976年から。1960年に球団名が「大阪タイガース」から「阪神タイガース」に変更なってからもそれまでは左袖には「OSAKA」の文字が記載されていた。ビジター用ユニフォームは1979~1983年までの間、左袖の『虎の袖章』が廃止され「Tigers」のロゴが記載されたが、その期間は既にホーム用で『虎の袖章』が使用されていたので1950年から絶えず、この『虎の袖章』は使用されていることになる。
そう考えると、この手抜き自作Tシャツがそこそこの見栄えに見えるのも分かるような気がする。
左袖に燦然と輝いている『虎の袖章』

#4 マット・キーオ

#27 スコット・アッチソン
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