答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

私を忘れないで ~モネの庭から(その449)

2022年03月08日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

 

 

春まだ浅いモネの庭で咲くチューリップの数はまだまだ少ないが、主役であるそれとのコントラストを意識して植えられているのだろう、その脇でこじんまりと咲いているブルーのちいさな花がわたしの目を惹いた。たしか去年もあったはずだが、心なしか今年のそれは、ずいぶんと数が多いような気がする。

その昔(中世ヨーロッパだという)、ドナウの岸辺に咲くこの花を、恋人に贈ろうとした青年が川に落ち、つかんだ花を岸辺に投げて、「私を忘れないで」という言葉を最後に流されていったという話が、忘れな草というその名の由来だという。

 

別れても心の奥にいつまでも

憶えておいていてほしいから

幸せ祈る言葉にかえて

忘れな草をあなたに

 

そんな詩が思い浮かんだが、ひょっとして盗作か?

いやいや、盗作もなにもそのまんま(『忘れな草をあなたに』)。まったく、オリジナリティーの欠片もないオヤジには困ったものだが、そんなことはさておいて、春先のモネの庭を彩る花のなかには、もうひとつ、「私を忘れないで」という花言葉を持つものがある。

 

 

 

 

クリスマスローズだ。

この花言葉もまた、中世ヨーロッパに起源を発する。戦場におもむく青年が、村に残した恋人にこの花を贈り、その意を伝えたという。

じつを言うと、近年ご婦人に大人気のこの花をわたしはあまり好きではない。なぜか。いつも俯いていてその顔が見えないからだ。好きなひとにとっては、その奥ゆかしさが素敵なのだろうけれど、わたしにとって花というのは、その姿の大小や派手であるか地味であるかにかかわらず、それなりに存在を主張しているものだという認識がある。たぶんそれだからだろう、その範疇から外れているようなたたずまいのこの花に、どうしても感情移入をしずらいのは。

そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、先をゆく妻が、「ほらコレ」と道のかたわらを指差した。

 

 

 

 

八重のクリスマスローズだ。この花にしてはめずらしく、毅然と前を向いている。こんな跳ねっかえりもいるのだと、なんだか少し微笑ましかった。

ことほど左様に、おなじ種類の花だとはいえ、そのじつは千差万別。十把一絡げで、類としてあの花がよくてこの花はよくないというのは、花という植物を愛でるにおいて正しい姿勢とは言えないのではないか。ここにあるコレが好き、あそこにあるアレはイマイチと、個かグループとしての評価をしてやるのが筋というものではないだろうか。

しかしそれにしても、別のどこかで咲けば、またちがった趣となる場合も少なくはないはずだ。「やはり野におけ蓮華草」とはよく言ったものだ。肝心なのは、そこにある個あるいはグループとしての「蓮華草」に、その「蓮華草」にとっての「野」を与えられてやっているかどうか。それが勝負の分かれ目だ。言わずもがなであるが、この場合の「蓮華草」は比喩である。ことは「花」のみに限らない。

あれ?あらあら?

書くうちに、なにやら雲行きがあやしくなってきたぞ。

なんだかどんどん、論旨がちがう方向に行ってしまった。

元へ戻そう。

「花」のことである。

(たぶん)

(いやきっと)

(強引だが)

 

 

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春まだ浅く 〜モネの庭から(その448)

2022年03月07日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

寒い日がつづき、また雨も降っていないせいだろう。

お目当ての早咲きチューリップをはじめ、いつもの3月初旬なら咲いているはずの花たちが、その兆候すら見出せなかったりするオープンまもないモネの庭。それでも、ちいさな花たちが、こじんまりと咲いているのが春の兆しか。いやいや、れっきとした春である。そこには明らかに冬の気配はなく、庭じゅうの空気が華やいでいる。それともそれは、おおよそ3ヶ月ぶりに訪れたわたしの気持ちのたかぶりのあらわれゆえだったろうか。

 

 

 

 

 

 

ともあれ2022年シーズンの幕があけた。

今年はどんなひとたちが、この庭を訪れてくれるのだろうか。

また、この庭にとってどんな年になるのだろうか。

来るひとと迎えるひと、そのどちらにもよい縁ができれば・・そして、この辺境の土木屋が、およばずながらその一助となれば・・そんなことなどを考えながら、春まだ浅いモネの庭を妻と歩いた。

 

 

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2021名残りの睡蓮 ~ モネの庭から(その447)

2021年12月02日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

ええいついでだ

とばかりに三連投。

 

 

 

 

 

 

紅く染まった池に

ぽつんとひとつ

名残りの睡蓮。

 

たぶん

これが見納め。

 

なんだろな。

 

 

 

 

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落葉 ~ モネの庭から(その446)

2021年12月01日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

モネの庭が健闘している。

コロナ禍のなか落ち込んでいた入園者数が、まずまずの数で推移しているらしいのだ。

 

ブログとかSNSとかで、いろいろと宣伝してくれているおかげです。

 

あるスタッフがわたしに言った。

もちろん、わたしのしていることなど爪の先ほどにもなっていないことは自分自身で承知しているが、面と向かってそう言われると、それはそれでありがたかった。

ということで久々に連投する。

 

 

 

 

 

青空に

楓の木ゆらゆら

水鏡

 

 

 

では。

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我が子 〜 モネの庭から(その445)

2021年11月30日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

「この木、なんていうんですか?」

年配のご婦人がそう尋ねてきた。

たぶん庭のスタッフだと勘違いしたのだろう。

ならば、と庭のスタッフ然として答えた。

「シマサルスベリっていうんですよ」

「いやあ立派な木ですねえ。姿がいい」

「そうですね。貫禄がついて来ました」

「格好がいい木ですよねえ。私、大好きです」

 

2002年にこのエリアをつくったとき、当時牧野植物園に在籍していた黒岩さんに勧められて植えたものだから、はや19年。
自分の子どもを褒められたような気分がして、なんだかとてもうれしくありがたかった。

モネの庭「遊びの森」の昼下がりである。

 

 

 

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まっさらでのぞむ 〜 モネの庭から(その443)

2021年10月29日 | 北川村モネの庭マルモッタン

昼メシを食って、ふと窓の外に目をやる。

庭のことを思う。

この空、この雲、この空気。

十有余年かよいなれた庭だもの、池に写る風景がどうなっているか、なんとはなしに、いやいやほぼ想像がつく。

ということで、矢も盾もたまらなくなって行く。

もちろん、モネの庭へだ。

残された時間は、おおむね30分。

ゆっくりじっくりというわけにはいかない。

となると、選択肢はひとつ。

自らの経験と、その蓄積によってできた引き出しにもとづき、決め打ちで撮る。

そう思い定め、池へと坂道をあがるわたしの脳内に降りてきたのは、エリナ先生が、初めて会ったとき言ってくれたことばだった。

たしかそれは、「現場に入るときは予断を持たずそこにあるものや人を丸ごと感じる」といような主旨だったはずだ。

もちろん、あのエリナ先生が、そのような固い表現をするはずもなく、もっと率直ですてきなことばで語ってくれたはずなのだが、悲しいかな、わたしの脳内にインプットされたものを、わたしの言葉で出力しようとすると、そうなってしまう。

そうだそうだよそうなんだよな。

太鼓橋にさしかかる手前で大きく息を吸い、はやる気持ちをリセットし、ついでに、いつもとはちがうルートをとってみた。

まっさらにしてのぞむ・・・

と、思い込みからは見えてこなかったであろうものが、いくつか見えてくる。

「ほぼ想像がつく」

などと思っていた自分に恥じ入った。

 

撮った写真が良いのかわるいのか。それは自分で判断するべきことではない。

だが少なくとも、わずか30分ほどが、なんだかとてもおもしろい時間になったことだけは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう

エリナ先生😊

(とは言いつつも、いざ撮りはじめるとアタマのなかは邪念満載。いくつになってもいつまでたっても、本当の意味で「まっさらでのぞむ」ことができないオジさんなのではありますが)

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わきまえたライトアップ ~ モネの庭から(その442)

2021年10月11日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

 

 

「モネのナイトキャンバス」と名づけられたライトアップイベント。

はて、夜間開演に行ったのはこれで何度目だったのだろうか。

どう思い起こしても片手の指で余るぐらいの回数しかないのは、わたしがここのライトアップを好きではなかったからだ。

しかし、今回はチト趣きがちがっていた。

なにが異なるのかをひと言で表せば、ライトアップが自己主張しているかどうかの差のような気がする。

「(主役がなにかを)わきまえたライトアップ」と言い換えてもいい。

 

歩いている途中で庭師と行きあうたび、コメントを請われてもいないのに、

「今まででイチバンいい」

だの

「奇を衒ったところがなくていい」

などと

エラそうな口をきいていたわたしは、少々イケてなかったような気がするけれど。

 

 

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情熱大陸効果 〜 モネの庭から(その441)

2021年10月03日 | 北川村モネの庭マルモッタン

たぶん

情熱大陸効果なのだろう。

そして

非常事態宣言解除の影響もあったのだろう。

この時季にしてはめずらしく大勢の人でにぎあうモネの庭。

なんだかわたしもうれしくなってひとりニヤニヤして歩いていたが、

考えてみると

独り笑いながら睡蓮を撮っているスキンヘッドのオヤジという絵はかなり怪しい。

まいいか

そうでなくとも、怪しくないはずがないのだもの。

いてもいいだろこんなやつ。

 

 

 

 

 

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情熱大陸余話 ~ モネの庭から(その440)

2021年09月28日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

 

 

さて・・・たのしみなのである。

と締めくくった当日夜。

やっぱりというべきか案の定というべきか。夜11時という時間設定は、今のわたしには荷が重かった。

しかし、そんなことは最初から織りこみ済み。翌朝、録画しておいたものを見るべしとテレビの前に立ったはよいが、ん?待てよ?、と一瞬考えた。

さわやかな朝にあの御仁は・・・・

濃すぎるな。

すぐさま却下した。

結局、見たのはその夜。放映日の翌晩だった。

 

わたしの感想をひと言で述べるとすれば、「やはりあの男、絵になる」。

もちろん褒め言葉である。

絵になるならないは、これはもう、当の本人が「何ものか」を持ち合わせているかいないかにかかっている。比べてしまって申しわけないが、たとえばわたしなぞは、当人がどうあがいても絵にならない。

あれはなんだろう。翻ってこれはなんだろう。そう思うがよくわからない。

だからこれはもう、持っているか持っていないか。乏しいわたしの語彙からは、そんな言葉しか出てこないのである。

 

放映前と同様に、放送翌日より、何名かの友人知人からメッセージをいただいた。

そのなかのひとつに、こんなものがあった。

いわく

「考えや言葉が宮内さんに似ていると感じました」

「宮内節を聞いているような感覚を覚えました」

へーそうなんだ。正直言って驚いた。

彼とわたしのあいだに信頼関係があるのは、互いが承知していることだ。しかし、それはそれとして、こといっしょに仕事をするとなると、議論がかみ合わないことなどしょっちゅうだ。ケンカばかりしている、と言ってもかまわない。

ほーそうだったんだ。

他人さまに言われてはたと気づいたのである。

似てるからなのか・・・・

認めたくはないが新鮮な切り口だ。

よもや、フランス文化勲章シュヴァリエに輝く著名な庭師とわたしとを比べるつもりもないが、この指摘はおもしろい。そして、わるくない。わるくないがしかし・・・

似てはいないよな。

独りごちてひとり笑った。

 

 

 

OGPイメージ

情熱大陸|民放公式テレビポータル「TVer(ティーバー)」- 無料で動画見放題

モネが愛した庭を日本に…… 孤高の庭師が魂を込める絶景。

TVer

 

 

 

この番組、TVerというサイトで10月3日の22時59分まで見ることができるそうだ。

見逃したかたは、いや、端から見る気がなかった方も、ぜひ。

じつによい内容だったので。

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情熱大陸2021年9月26日放送 ー 川上裕(庭師) 〜 モネの庭から(その439)

2021年09月26日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

さすがメジャーなTVプログラムが予告編をばんばん流す宣伝効果は半端なく、わたしのところへも県外の友人知人から、いくつか問い合わせが届いている。

いわく、

「出るんですか?」

「映るんですか?」

などなど。

いやいや出ないし映らない。

いかに日本一のモネの庭ウォッチャーを自認するわたしとて、相手は『情熱大陸』だ。うつるはずもないし、出る必然性も微塵もない。

と言いつつも、内心ではけっこううれしい。

少なくともわたしの友人知人のあいだでは、モネの庭といえばわたしであり、わたしとモネの庭が、切っても切り離せないものになっているというのがよくわかるからだ。十数年前のミクシィを皮切りに、ブログ、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムと、手を変え品を変え発信してきた(細々とではあるけれど)甲斐があったというものだ。

とかなんとか思いつつ、それにしても・・と感心しきりのわたし。

何に?って、われらがムッシュ・シュヴァリエ・川上がテレビ映えすることにである。

いやいや、今に始まったことではないのは承知している。

それにしてもだ。

今回ばかりは、より一層その存在感を際立たせながら画面の向こうにいる彼が、なんだか遠いところにいる著名人のような気がして、なんだか不思議な気分なのである。

 

 

 

本日9月26日の『情熱大陸』は、「川上裕(庭師)とモネの庭」。

さて・・たのしみなのである。

 

 

 

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