答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

いられ

2025年02月05日 | ちょっと考えたこと
「いられ」という言葉がある。
Adobe社のソフト、Illustratorの略ではない(そう呼ぶ人も多いけど)。
「いられ」、土佐弁だ。
せっかち。短気。そういった気質をもつひとを指して言う。
つまり、「待てないひと」のことだ。

ぼくには、かつて「いられ」であったという自己認識がある。
「かつて」と表現するからには、今はそうではないという前提があるのだが、自分でそう思うほど他人にはそう感じさせていないのかもしれないし、たぶん根っこのところにはこびりついているのだから、「そうではない」と断定することはできない。
とはいえ、ぼくのなかでのそれは、かつてとは様相が異なっている。

「そうはいってもアンタ、顔にはしっかり出ているよ」
と指摘されたら、さもありなんと黙ってアタマを掻くしかないが、とにもかくにも自意識としては、かなり払拭したつもりだ。
なぜマシになったのか。
いつの頃からか、「多分にこれは自分自身が増幅させているものでもあるぞ」と感じ始めたからだ。早口しかり早足しかり舌打ちしかり、また貧乏ゆすりしかり。売り言葉に買い言葉で始まった喧嘩を、感情的になった自らが発した言葉でさらにエスカレートさせてしまうこと、しかり。

それが生来そなわったものか、あるいは、成長していくうちに自ら選択したものかは別として、身についてしまった「いられ」を取り去るのは至難のわざだ。
だから、気性としての「いられ」が発動するのはやむを得ない。
しかし、問題の比重がそのあとの方により大きくあるのを、多くの「いられ」たちは理解せず、起動時とその後をごちゃ混ぜにして、自らの気質が直らないものだと思っている。

そうではないとぼくは思う。
それは「第二の矢」(※)のようなものなのだ。
ある事象が原因で「いられ」が起動した。その「第一の矢」は止めようがない。いや、止められるに越したことはないのだが、困難きわまりない。
しかし、それを引きずったり増幅させたりするのは、自らの思考であり発現であり行動であることを忘れてはならない。早口しかり早足しかり舌打ちしかり、また貧乏ゆすりしかり。売り言葉に買い言葉で始まった喧嘩を、感情的になった自らが発した言葉でさらにエスカレートさせてしまうこと、しかり。
それが「第二の矢」であり、それらの言動は、感情をさらに昂らせるのに十分すぎるほどの効力をもっている。

だったらそれを防ぐようにすればよいではないか。
いつの頃だったかは忘れたがそう思い、爾来、実践するように努めてきた。
繰り返すが、「ずいぶんマシになった」というのは、あくまでも自己認識にすぎず、「どの口が言うか」と笑われれば黙ってアタマを掻くしかない。
とはいえこの方法、けっこう有効だとぼくは思っている。
もちろん、「いられ」を直す気がないひとには、どうでもよいことだろうし、それに留意しながら実践したとて、思いどおりになるほど甘くはないけれど。



※「第二の矢」については、これまで何度も書いてきましたが、もし興味がある方はこのへんをお読みくださればよろしいかと思います。


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