答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

ムダな工事

2025年01月29日 | 土木の仕事
「地域にとってムダな工事は見たことがありません」

あるウエブ記事を読んでいて出会った言葉です。
とある若い建設業経営者が書いたものです。
同様の言説は、時おり目にし耳にすることがあります。
まず例外なく、みなさん真剣にそうおっしゃっているのですが、ぼくはといえば苦笑を禁じえず、これまた例外なく、心の内で即答するのです。

「あります」

ムダな公共工事はない。そう思うのは自由ですけれど、これはもう「ある」としか言いようがありません。長くこの仕事をやってきている業界人であればあるほど、その年数に比例して、「ムダな公共工事」と出会った回数が多いでしょう。
もちろん、観点次第ではあります。
立場次第でもあります。
ものの見方は十人十色。あるひとつの公共事業をとっても、それをムダで意味がないと感じるか、有意義なものと受け取るか、まったく正反対の態度をとる人がいても、なんら不思議はないのです。
しかし、その理をふまえてもなお、ぼくは「あります」と断言します。
そして、他ならぬ自分自身がその施工者となったことも、一度や二度ではありません。

自分自身が当事者となって行っている仕事がムダだ、と気づいたとき、人はアイデンティティーを喪失します。拠って立つ場所を失ってしまいます。だから正当化しようとする気持ちはよくわかります。
しかし、自分の仕事の正当性を主張したいがあまりに、自らの内から客観性を失ってはなりません。

ムダな部分も引き受けて、それでもなお、ムダではなくしようとする。たとえ一人であっても、どこかの誰かのためになる部分を見つけ、その一人のために工事をする。そういう仕事があってもかまわないとぼくは思います。いや、むしろ積極的にそうするべきだと考えます。
その試行錯誤が、ムダな仕事を減らすことにもつながるのかもしれません。
本当に微力でちっぽけですが、たとえ末座ではあっても、公共事業執行者の一員につらなる者として、できることはあるはずです。

だからお願い。「ムダな工事はない」と無条件に断定をしないでください。
たしかにムダな工事は存在するけれど、それをムダではないものに転じることもできなくはないと思い定め、地域のためにできることを考え、あがいてみてください。それによって何かが起こり何かが変わるとか、たかが辺境の土木屋風情に、そんな保証はできっこありませんが、その営為は、それこそムダにはならないとぼくは思いますよ。世の中っていうのは、そんなに捨てたもんでもないですから。



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