答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

サーフィンする相撲取り

2024年02月04日 | オヤジの生成AI修業

「サーフィンするダース・ベイダー」という言葉を「ダース・ベイダー」で展開して画像を生成してみた一昨日だったが(→『サーフィンするダース・ベイダー』)、となるともちろん、「サーフィン」つながりという展開も考えられる。はて、誰にサーフィンをさせたらおもしろいか?
さほど考えることもなく浮かんだのが照ノ富士だった。
そう、第73代横綱照ノ富士春雄である。
ということで、Chat AI よる「サーフィンする照ノ富士」。










「照ノ富士」という固有名詞がどういう人物を指しているのかわからないのか、肝心の顔がのっぺらぼうだ。そして、その不安をあらわすように人物がごくごくちいさい(実際のところは、生成AIに感情はないので不安もないのだけど)。これではまったく話にならない。
さしずめ「照ノ富士」という固有名詞ではダメなのだろうと見当をつけ、一般名詞「相撲取り」で画像生成を試みようとしたが、待てよその前に、とさらにダメな確率が極めて高そうな名前で実行してみる。

「サーフィンする雷電爲右エ門」









いったい誰を念頭に置いているのか。「照ノ富士」の場合よりは顔がハッキリとしているし、人もきちんと描かれているが、当たり前だが、伝説の名大関雷電とは似ても似つかない。案さだが、それはまあ織り込み済みなので、本命を実行。いざ、「サーフィンする相撲取り」。










コイツはいい。
そのじつ、細部を見れば全然よくないのだが、ハワイ勢が一斉を風靡した昭和の大相撲界なら、どこかの部屋に居たような気がする風情の「お相撲さん」だ。
と、別の考えが脳裏に浮かんだ。
「相撲取り」の画像を著名な画家風に生成させる、というものだ。
余人は知らず、ぼくの場合は、画家といえばもちろんクロード・モネである。

「相撲取りをモネ風に描いて」









ん〜〜〜
この取ってつけた感がたまらない。
それにチョンマゲの違和感。
とどのつまりは、fatな感じが相撲取りっぽく見えるだけだが、そのベースが欧米であるはずのGPTならば致し方ないか。
なんて思っていたら、?、待てよ、この感じ。
ピンと来るものがあった。
あの作家ならもっとそれらしくなるのでは・・・
ナイスアイデアに思わず笑みを浮かべつつテキスト入力。











来た!
「お相撲さん」とはどんどんかけ離れていっているような気がしないでもないが、想像を上回るデキである。

指定したのは「ゴーギャン風」。
となるとお次はコレとアレのハイブリッドしかない。

「サーフィンする相撲取りをゴーギャン風に」










う〜ん、おみごと。

(なんでやねん、もーええわ)




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サーフィンするダース・ベイダー

2024年02月03日 | オヤジの生成AI修業

とある教育関係の会合があった。クルマで家から40分ほどかかる道中の供はいつもの如く Audible。『Chat GPT 対話型AIが生み出す未来』(古川渉一、酒井麻里子)を聴きながら会場へと向かった。
到着したのは開会の約30分前、わが業界ならば既に半数以上はそろっている頃合いだが、あにはからんやそこには誰もいない。自分の所属が指定されている席につき、読みかけの本を読みながら待つことにした。
と、次のようなフレーズに興味をひかれる。

******
Diffusers v 0. 15. 0 では、 さらに 強力 な「 Text-to-Video」 の 機能 が 追加 さ れ、「 サーフィン する ダース・ベイダー」 など といった テキスト から 動画 を 生成 する こと が できる よう になり まし た。
(『教養としての生成AI』清水亮、p.181)
******

おもむろにスマホのアプリをKindleからChat AI に変え、AI画像生成器を開き「オブジェクトを指定し、詳細を説明してください。画像のタイプとスタイルを指定してください。その後、希望の画像を生成できます。」という欄にテキストを入力する。

「サーフィンするダース・ベイダー」

ほどなくして生成された画像がこれだ。









なんだか哀愁がただようダース・ベイダーが可笑しい。
がぜん調子に乗ったぼくは、少し考え次のリクエストを入力する。

「サーフィンするダース・ベイダーをピカソ風に」











これはよろしくない。
では作家を変えよう。
ピカソと言うとダリだ。


「サーフィンするダース・ベイダーをサルバドール・ダリ風に」







絵はわるくない。
だがダリとはちょっとちがう。
方向を変えてみよう。

「サーフィンするダース・ベイダーを写楽風に」









もうちょっと広範囲にしてやればどうだろう。

「サーフィンするダース・ベイダーを浮世絵風に」











おー
北斎もかくあらんというこの構図。
ジズ・イズ・ジャポニズムである。


ではサーフィンから離れてみよう。
次のようなリクエストにはどう応えるだろうか?

「安藤広重『名所江戸百景』の中にいるダース・ベイダー」









これもわるくない。
調子に乗ったぼくは矢継ぎ早に次を指定する。

「浅草で迷子になったダース・ベイダー」











とれびあ~ん。
少し背中を丸めたベイダーの途方に暮れる感がハンパない。


「おちょくるのもいいかげんにしろよ」

ベイダーの声が聞こえたような気がして、その姿を見たくなった。

「激怒するダース・ベイダー」










たしかにまちがってはいない。
ダース・ベイダーの場合、いかに自身が激怒しようとも、鎧の外からはその表情をうかがい知ることができないから、これが正解なのかもしれない。

では質問を変えてみよう。

「怒りを爆発させるダース・ベイダー」













ダース・ベイダーの姿は欠片もない。
爆発すれば超越するのだろうか?
それともベイダーは菩薩の化身だったのだろうか。

期せずしてオチがついたところで、ガヤガヤと外がさわがしくなり人が入ってきた。

事ほど左様いつでもどこでも、「生成AIを仕事に活かすにはどうしたらよいか?」を暗中模索するぼくなのである。


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言わぬが花

2024年01月28日 | オヤジの生成AI修業

「スパイダーマン描いて」
と孫がもってきたのは去年のカレンダーの裏紙。
唐突な注文に
「え、オレ?」
と自らを指差しながら問うと、こくりとうなずく。
しかもスパイダーマンとは・・・
何故なのかよくわからないがそれ以上の質問は野暮というものである。
なんとなれば、人は他人からの需要で生きている、他人からの需要があってこその人である、というのが予てよりの持論であるぼくだもの。いかに唐突で訳のわからぬ要望だとて、ことわっては男がすたる。
「見本を見てもえいか?」
と了承を得て、Googleで検索した画像のうち、いかにもそれらしい物をチョイスし、おもむろに描きはじめた。
というぼくにはじつは、ウデに覚えがあった。
ごくちいさいころから少年期後半に至るまで、絵やイラストの類は、ぼくの得意種目のひとつだったからだ。
とはいえそこには、一抹の不安がないではなかった。
たしかな記憶はないが、ちいさかったわが息子にキリン柄のユンボを描いたのが最後だったから、どう見積もっても25年以上の年月が過ぎているはずだ。
「描けるのかオレに?」
そう訝しみつつ
「描けるさオレなら」
と自らを叱咤激励しながらのたぶん十数分。
後半には、久方ぶりに味わう「描く」という行為のおもしろさに、すっかりのめり込んだ末に完成。
ふー。
やれるではないか。
と自画自賛をしつつ作品を差し出すと、孫のみならずその母親からも拍手喝采。
「記念にサインでもしたらどう?」
と勧められるままに"2024.01.28 Y.Miyauchiと署名を入れた。しかも、これまた数十年ぶりの筆記体でである。

とそのあと、こう言い放つ。
「そうだ。これからは絵でも嗜んでみようか」
まったく、臆面もないとはこのことだ。
いつもながらのことではあるが、バカは死ななきゃなおらない。








ちなみにこの画像は、上の文章をもとにChat AI に生成させたもの。こんなに上手けりゃ世話はないが。

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発端

2024年01月20日 | オヤジの生成AI修業

先日参加したある会合でのことだ。かねてわたされていた資料にもとづき、意見交換が進行していた。ファシリテーターがぼくに意見を求める。
「災害復旧に携わってきた現場技術者として、災害復旧工事で生成系AIは使えると思いますか?」
ぼくの答えはイエス。「ただし応急復旧において」という言葉を付け加えてのイエスだった。そのあと、思いつくままに縷々意見を述べた。
ひとしきり言い終わったあと、別の参加者から指摘が入る。
「たしかにそれはそうですけど、今言ったのは従来型AIの活用で、生成系AIはそうではないんです」

しまった。
と後悔してもすでに遅し。
だが、ぼくの無知を蔑むでもなく非難するでもなく、その御仁は簡潔に語ってくれた。
ここではせっかくだから、きのうiPhoneにインストールしたばかりのChatAIにそのちがいを説明してもらおう。

******
従来型AIと生成AIの違いは、その設計、学習方法、機能、そして出力に大きく反映されます。ここで、それぞれの主な特徴を説明します。
1.従来型AI(Traditional AI):
従来型AIはルールベースのAIとも称されます。これは明示的なプログラミングと固定ルールに基づいて動作し、特定のタスクを実行するように設計されています。具体的には、人間の開発者がAIにとって何が重要であるか、またはどのように問題を解決するか等を教示します。しかし、このアプローチはAIを特定のタスクに限定し、未知の状況または問題に対する適応性を乏しくします。
2.生成AI(Generative AI):
生成AIはデータを学習し、自ら新しいデータを生成できるAIの一種です。これは一般に深層学習、特に生成的敵対ネットワーク(GAN)のような技術によって駆動され、言語、音楽、画像等の新たなデータを生成することができます。生成AIは大量のデータからパターンを学習し、その結果を基に未知の状況や問題に対応します。しかし、生成AIはその出力の品質を保証することは難しく、また、その決定に対する明確な解釈や説明可能性を欠くことがあります。
例えば、このOpenAIのChat AIは生成型AIの一種で、大量のテキストデータから学習し、ユーザーからの質問や要求に対して自然言語生成(NLG)を用いて応答します。これにより、特定のユーザーに対応したり、広範な質問や要求に対処する能力を持っています。なお、GPT-3.5とGPT-4はこのChat AIのバージョンで、それぞれが提供するAIパフォーマンスや機能に違いがあります。
******

ちと長い。
「もっと簡潔に」と再度問うてみた。
返ってきた答えがこれだ。

******
従来型AIと生成AIの違いを短く説明します。
従来型AI: 人間が設定したルールに従って特定のタスクを遂行します。教示されたこと以外には柔軟に対応できません。
生成AI: データを学習し、自ら新しいデータや情報を生成します。未知の状況や問題に対する適応性が高いです。
******

深く関係するのがインターネットである。
ついでだ。これも聞いてみる。

******
インターネットと生成AIの関係性は深いです。以下にその主要な要点を挙げてみます。1. データ供給: インターネットは豊富で多様なデータを提供します。これらのデータ(例えば、テキスト、画像、ビデオ等)は生成AIが学習しパターンを抽出する材料となります。生成AIが効果的に機能するには、大量の高品質なデータが必要であり、インターネットはそれを提供しています。2. AIサービスの配信: インターネットは、生成AIが生み出すサービスや製品をユーザーに届ける手段でもあります。例えば、このOpenAIのチャットAIや、オンラインで提供される他のAI生成コンテンツ(例:異なる種類のテキスト生成、画像生成等)は、インターネットを通じて利用者と接続します。3. バックエンドのインフラストラクチャ: インターネットは、サーバーやクラウドストレージなど、生成AIの学習や運用に必要なインフラストラクチャを支えています。生成AIは通常、大量の計算能力を必要としますが、インターネットを利用することで離れた場所にあるコンピュータリソースを利用し、コストを抑え、効率を上げることができます。したがって、インターネットは生成AIの存在と効果的な機能を可能にする重要な要素であり、その成長と進化に大いに寄与しています。
******

これも簡潔にしてもらおう。

******
インターネットと生成AIの関係は以下のようにまとめられます。
1. データ供給:インターネットから得られるデータで生成AIを学習します。
2. サービス配信:生成AIのサービスは、インターネットを通じてユーザに届けられます。
3. インフラストラクチャ:インターネットは、生成AIの学習と運用に必要なバックエンドの枠組みを提供します。
******

思わず「サンキュー」とお礼をした。

どういたしまして!他に何か質問がありましたら何でもお聞きください。

と返ってきて、ふんと鼻を鳴らして苦笑した。

ともあれその会合が、突如ぼくが生成AIがどうだこうだと言い出した理由であり発端、つまり、食わず嫌いにはその物の美味い不味いを語る資格がないということだ。
とりもなおさずそれは、毒を食らわば皿まで、でもあるのだが。

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踏み出した一歩

2024年01月19日 | オヤジの生成AI修業

4時20分ごろ起床。久しぶりの早起きだ。スカッと目が覚めたので本を読むことにした。『教養としての生成AI』(清水亮、幻冬舎新書)、ぼくにとっては未知未踏の分野だが、遅まきながら足を踏み入れてみようと思う。
小一時間ほど読み、ChatGPTを試してみようと思い立った。
まず、きのうの稿(→『「書く」の現在地』)を要約してみて、とお願いした。
瞬時にあらわれたのは次の文章だ。

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昨日、1時間かけて書いた記事は結論がまとまらず、アップロードせずに下書きとして保存した。以前は「ほぼ毎日=一話完結」の原則に従って、結論が上手くまとまらなくても無理にリリースしていた。執筆スタイルは「タイトル先行型」から「結論ありき型」へ変化し、現在は主に「書き出し先行型」を採用。自由なアプローチが変化に富んでいるが、「縛る」ことが成熟に寄与したと考え、現在の「縛らない」状態も良いと思っている。
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うん、取り立ててどうということはない。
ぼくの取り止めもない文章をまとめようとしても、こうなるしかないのか。
折角なので、きのうの稿への意見を求めてみた。
これもまた即座に回答が示された。


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この文章は、自分の執筆スタイルに関する洞察に満ちたものですね。執筆方法やアプローチの変遷を通じて、自分の成長や変化を感じることができる様子が伝わってきます。
「タイトル先行型」から「結論ありき型」、そして「書き出し先行型」への移行についての説明があり、それぞれのスタイルの利点や特徴が述べられています。特に、「縛る」ことが執筆の習慣化や成熟に寄与したとの洞察は興味深いですね。自己制約が、創造的なプロセスにおいて重要な役割を果たすことが伺えます。
最後に、現在の執筆状態においては、「縛らない」方が適しているとの結論が示されています。これは、段階的な変化や成熟に伴う自己の理解を反映しているようです。その中で、柔軟性や自由度の重要性が強調されています。
全体を通して、自らの執筆プロセスについて深く考え抜いた文章であり、他の執筆者や読者にも共感を呼び起こす可能性があります。
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ほぉ、賢いな。なかなか、わかってるぢゃないか。
AIに褒められ、ちょっとうれしい辺境の土木屋66歳。


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