答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

詰める〈考〉その6/6 ~あしたはどっちだ~

2024年08月31日 | ちょっと考えたこと(仕事編)
はじめから読んでみてあげようかという人はコチラからどうぞ
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ぼくにとって「なぜ?」は「詰める」の代表選手ですので、問題を「なぜ?」という「詰める」の一手法にしぼってきましたが、そろそろ結論とするために、ここらで「詰める」に戻すこととします。

「詰める」を「責められている」と感受するのには、もうひとつの理由があります。それに思い当たると、「オレはよかれと思っている。そう受け取るのは思いこみにすぎない」とばかりも言ってはおられません。じつはそれは、あながち見当違いではないからです。

「詰める」には権力の行使という側面があり、その根底に支配欲があります。ついつい詰問という形式になってしまうぼくの「詰める」には、たぶんそれがあるのでしょう。それゆえに、多くの場合にぼくの「詰める」は、他者を圧迫し、相手に答えを強制する行為としてあらわれます。であれば、問いを通じて他者を支配し、管理する手段として受け取られても仕方がないでしょう。
ぼくとしてはとても残念なことですが、その「詰める」が他者の自由な思考や行動を制約し、主体性を奪っている事実もあることを認めざるを得ません。

そこはいわば「取調べ室」です。いやいや、そうと意識をしているわけではないのですが、しばしば相手の答えを誘導し、特定の結果を強要していることがあるのは否定することができません。そういう状況で得られた「自白」が真実であると信じこむのは、あまりにも能天気にすぎるでしょう。時としてそれは、冤罪であるかもしれないのですし、そこへ誘導したのは、他ならぬぼく自身なのですから。

しかしそれは、ぼくの本意ではありませんし、ぼくにとっての「詰める」は本来的にはそのようなものではありません(だからなおさらよくなかったりする・・・のではありますが)。「詰める」という行為は、他者との対話を閉ざすためにあるのではなく、むしろその逆に、オープンにするためのものとして存在します。
そしてもうひとつ。ぼくの「詰める」は、成長を促すためのものでもあります。それは、対話を通じて原因を追求し問題解決を図る知的トレーニングであり、外の世界で「詰める」を発動されたときに、毅然として相対することができるためのロールプレイングゲームとしてもあります。

だとしても、そうと理解されていないのが現実だとしたら、その責はぼくに帰せられるべきでしょう。「詰める」が単なる詰問になってしまっているとしたら、それはひとえにぼくの至らなさゆえでしかありません。
「詰める」を詰問としないためには、まずは他者を尊重すること、そして、その成長を助けるための問いかけを行うことです。そうすることで、ぼくの「詰める」は自らの本意に沿ったものとなるはずです。

と、行きがかり上とはいえ、エラそうなことを書いてしまいましたが、事はそれほどかんたんではありません。できるかできないか、どちらの方がより確率が高いかといえば、残念ながら後者なのかもしれません。そう思いながら、書こうか書くまいかと逡巡しつつ、ええいママよと書いてしまいました。

結局のところ、「詰める」という行為は、その背後にある動機と目的を正しく実現するために、相手との関係性を考慮し、相手を追い詰めるのではなく、今そこにある問題を解決すると同時に相手の成長を促すというものでなければ行うに値しないものかもしれません。
それが困難なのであれば「詰める」のを止めるか、はたまた、その困難を承知でさらにソフィストケイテッドされた「詰める」へと進化させて実践するか。
さて、ぼくのあしたはどっちなのでしょうか。


と、思わずそんな問いかけをして、いかにも意味ありげに締めくくろうとしましたが、考えてみれば、そのような二者択一ができるほど人間が達者にできていないからこそ、これほどダラダラと考え、それを綴っているのですし、今も、これまでも、あしたからも、どのみち倒けつ転びつ七転八倒しながらしか進めない身です。ならば、その時々その場合場合であっちこっちとゆらぎながら平衡を保とうと足掻き、他者あるいは自分自身との折り合いをつけていくしかないのでしょうから、自問しても詮無いことではあります。

そう。結局は他者もしくは自分自身との折り合いでありバランスです。それを忘れさえしなければ、「詰める」という行為も捨てたものではないと思うのです。

 ~おしまい~

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