お元気ですか?kikiの日記

以前のブログをやめ改めて立ち上げたブログです
今日も楽しい日でありますように

頑な父でした

2022-08-20 17:23:55 | 日記
木曜日の10時半に父を迎えに病院に行きました。
暫くして看護師さんに手を引かれてスリッパで降りてきた父。
顔色もよく普段通りの父でした。

外来のトイレを済ませ玄関に目に入ったものがあったのかそちらに行こうとします。
制止して近くの椅子に座らせ看護師さんに、説明もないし今後の事も聞いていません。そう言いました。

後で思うと義弟に電話で病院から説明、と言っても検査をしてもこれと言った悪いところがないので退院となったと説明はあったのです。

私は直接主治医と話せるものと思っていました。

連れて帰って今夜から一人でも大丈夫ですね?

その質問に、無理です。認知もあるし家族の方が一緒におられないと、退院したばかりなので今日明日は家族が付いてください。

頭は真っ白になりました。
まずお盆明けの17日は検査で説明があるからと仕事をキャンセルしました。
主人の事も気になります。

今後を思うとどうしたら良いのか…

迎えに来た妹に話があるからと妹宅に行き看護師さんから言われた話をしたあとに一緒にお昼を食べました。

義弟が父に お父さん一人で食事の支度ができますか?
すると父は ようせん、できんよ と言いました。

それならお弁当を取れば良いことなのでそうしましょう。

妹も義弟も話はみやすい方向に行くものとその時は思ったのです。

妹宅から館長に退院したことと、明日はかかりつけ医に受診するが最後の方で診察のため仕事に間に合わないので遅れることを言いました。

するとそれは良いけど先生焦りませんか?
それならお休みされてください。

お言葉に甘えてお休みとなりました。

しかし私はこれが嫌だったのです。
仕事を辞めれば何があっても対応できると思って辞めたのに、また仕事をしているために職場に迷惑をかけたのです。

なんのために辞めたのか、これじゃあ意味がありません。
本当に情けないです。


役場の職員が3時に来られるので早目に父を連れて妹宅をあとにし、ひとまず私が父の食べるものを買いに行きました。

暑い中に父を残すのでエンジンをかけてドアを開けると、エンジンを切ってくれ!と言うのです。
熱中症で入院したのに本人全く分っていません。

ひとまず買い物をして家に帰って役場の職員さんを待ちました。

担当者が二人で来られました。
母が亡くなってからの経緯を話し、お昼ごはんの時に食事を作れないのでお弁当の手配をお願いすることにしますと言うと、一人で作れます。弁当はいりゃあしません。車を運転して買い物も行くので弁当は要りません!

父はキッパリ言いました。

私たちはそれを一番心配していたのです。

それからは今まで通り全てできる、できると言い始めた父です。

こうなれば一筋縄では行かないことは百も承知です。

介護認定も受けていません。
お金がいるからと断っていたので、まず申請書を記入しました。

認定が下りるのは一月後。その間はどうしたらいいのか?

私は誰か僅かの時間でも話し相手が欲しいと言いました。
しかしヘルパーを頼めば最低でも20分なのでその間にできる食事作り、掃除その他のことを言われましたが何れにしても直ぐには無理。

民生委員が2週間に一度の訪問しか今はないと言われました。

その後父の生活する場をみられ、あれこれ説明する父です。

介護認定が下りなければ今は何もできない事がこの時に分かった私。

義母の時にやったことを実父にはしていなかったのが悔やまれました。

入院中お風呂に入っていなかった3日分を取り戻すように一人で髪も洗いました。

それを見届けて妹夫婦は帰りましたが時間は遅くなりました。

父は帰っても良いとは言ったけれど退院した父に何かあってはと気になって悩んだ末に泊まることにしました。

私はと言うとやはり退院したその日は帰るに帰れない、頭の中で葛藤がありました。

その後晩ごはんを食べるために立とうとしても立てません。
手を貸してくれ!
手を引っ張っても立ち上がれる訳はなく身体を上にあげようとしましたが直ぐにはできなかったです。

こんな時に講習を受けていればとつくづく思いました。

食べ終えて座敷に座りカレンダーに記録を書く後ろ姿は何も変わっていない父です。

その後トイレに行こうと立ち上がろうとしても立てません。
コロンと後ろに寝てしまいました。私は自分で起きるところを動画で取り続けました。

やっと起きて立ち上がりトイレへ。
行きも帰りも足がふらついていつ転ぶか分かりません。

水は流していたけど多分おしっこも紙パンツにしたのでしょう。
夜だけ紙パンツです。

仏壇を指して、法名はここに入っとる!そう言いましたが、法名はまだ先でしょ!とか何とか言った私です。

父のベッドの下に敷布団を敷いたものの寝るに寝付けず私の病院でもらっている睡眠導入剤を飲みましたが、夜中何度も目が覚めました。

息をたしかめる私。
ああ良かった! 生きてくれている

一夜明けた昨日の朝、6時35分。
父がいません。
みると畳におしっこが

廊下も同じです。

トイレにいたのですが、紙パンツの中にそれまで使っていた紙パンツのおそらく両脇を切って一枚を安全ピンで後ろに止めていたのです。
いつもしていたのでしょう。
なのでそれがあるためおしっこが吸収できていなかったのかもしれません。

新しく紙パンツをはかせて寝るように声をかけるとベッド横のタンスからドライヤーを出して畳を乾かすと言いました。

私が前日の夜シャンプー後に髪を乾かそうとしてもドライヤーが見当たらなくて扇風機で乾かしたのです。
まさかこんな所にあったとは!

ということは今まで何度か失敗して乾かしていたのです。

大いびきで寝たので濡れた畳と廊下をきれいに拭いて、濡れた敷布団をお風呂に運んで熱湯をかけました。

7時過ぎに外に竿を出して干しましたが怒るに怒れません。

齢なのだから仕方ないことと。

8時半に介護施設で看護師をしている妹夫婦の長男が大好きなおじいちゃんを心配して来てくれました。

本当に有り難かったです。
起こし方等教えてくれました。


義弟が病院に診察に行くことを伝えていましたが最後に診察なので早くにはいけません。

私、妹、甥、途中から義弟が来てくれました。

12時前に診察室に入りました。
歩くことはできますが時間がかかるので父は車いすを借りました。

初めてご家族にお会いしますね

それが主治医の第一声でした。

今まで一人でしてきたし病院に一緒に行こうとしても一人で大丈夫と言うので、付いて来ませんでした。

正直に言いましたが元気だからと安心しきっていたのはやはり失敗だと思います。

既に入院から退院までの経緯はご存知ですが、病院なので病気ではない父は入院できませんと言われました。

甥が主治医に介護する家族を休ませる事も必要です。
元に一晩で伯母はどうしたら良いのかと不安になっています。

それを専門用語で言ったのですが初めて耳にした言葉です。

医者と看護師、元消防士のやりとりは専門用語が出ます。

当然主治医も甥の言うことは理解されています。

今現在歩行に不安があるのでリハビリ目的なら何とか入院できても、その後を家族の方はどうお考えですか?と聞かれました。

言葉がでません。詰まります。

家でみることが難しいのであれば老人ホームなどの施設に入所するしかありません。
しかし介護認定を受けておられないし…
色々説明され病棟に誰か来て!と連絡され来られたのは男性の相談員でした。

父は 家に帰ります。一人でできますから

もうこの繰り返し。

主治医があと二人診察があるのでまた聴きますと言われ、相談員さんと別室に移動しました。

認定を受けていなくても入所できる施設はあるのですね。
空きがあるか確認してもらっている間も、家に帰る、家に帰ると言い続けている父をどうしたら良いのか?

妹は涙を浮かべています。

診察を終えて主治医が来られました。
やはり家に帰ると言います。

この足では転ぶ可能性があるので入院してリハビリをして歩けるようになったら帰りましょう!
と言われると、リハビリなら家でします

堂々巡りです。
病院中に聞こえるようです。

義弟がこの状態で運転ができるか確認しました。

無理です。事故を起こすのはわかっています。
まあ今の足では力が入らないので運転はできないけれど、絶対にしてはいけません、警察問題になりますよ!と厳しく父に言われました。

とにかく時間ばかり経ちます。
お腹が空いた、早く家に帰りたい!と父。

父の後ろを付いていくとトイレ🚻でした。
ズボンにおしっこがかかっています。
夜しか紙パンツをはかないので入院中も看護師さんが困ったそうです。

主治医がおしっこも間に合わないのだから早く歩けるように入院してリハビリしましょう!

家を出てから長いので間に合わなかったと父。

とにかく口は達者なのです。

こうなると周りが根負げです。

主治医がじゃあ〇〇さん、月曜日にまた来てくださいね!

そう言われて病院を後にしました。

こうなることは予想していたと義弟。

思い出せませんが、父の頑な言葉で何もかもふり出しに戻ったことは過去に何度もあるのです。

気がつけば3時半を廻っていました。
遅い昼ご飯です。
何時間病院にいたのでしよう。

家に帰った父は水を得た魚のように元気、元気。
歩き方も早くなりました。

やっぱり家が大好きなんだ!

何度も何度も思いました。

一人なんだから何があっても知らんよ!

そう強く強く言いました。

病院でもわかっとると認めていました。

主治医がそれは僕らからしたら一番困るんですけどね。って。

甥がおじいちゃん、意識が無くなったら死ぬんよ!と言うと、目が覚めたら電話をかけて来てくれと言うよ!

目が冷めんかったらの話よ!

甥も一所懸命耳元で言ってくれても理解できていません。

帰り際相談員さんが、久々にみましたわ〜って。

普段はここまで頑固な人はいないそうです。

しかし頭もしっかりしているだけにできると主張する父の気持ちも十分過ぎるほど分かります。

今夜から一人で頑張ってね!

そう言って実家を後にしました。

エネルギーを使い果たして疲れているのに昨夜も寝付きが悪く安定剤のお世話になりました。

まだ課題はあるのです。
義弟からの提案で見守りとして家の中にカメラをつけること。

それにはネット回線を引くらしいのですが、恐らく あがあなものは要らんよ!と嫌がるでしょう。

その時は施設に入ってくださいと言おう?

義弟と決めました。

長文ですが退院してから昨日の5時半までの行動を備忘録として書きました。

ご心配してくださった皆さま、ありがとうございました。

わずか一晩なのにずっと介護されておられる方には頭が下がります。
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追記

2022-08-17 20:46:22 | 日記
今日実家に帰って冷蔵庫の中にある食材を片付けていました。

義弟から電話📞が入りました。

今病院から電話が入ってお父さん明日退院するから12時までに迎えに来てくださいって。

まさか明日退院とも思わなかったので慌てました。

私の頭に思いがありそれを受け入れなければ施設に入れると言おうと思っていました。

電話を受けて病院に電話をして事情を話し、相談員に変わってもらいました。

今後の事を心配して頂きました。

役場にも直ぐに連絡を入れてくださいました。

その後役場から連絡をもらい思いを全てお話ししたのです。

明日3時に実家に来てもらうことになりました。

まだまだと思っていたのでシーツやパジャマは洗っただけで我が家に持ち帰って乾燥しています。

心配してくださるすぐ下の家に帰るときに、明日退院しますと報告に行きました。

おじさんがそれが一番良いだろう、しかしどこまで見守るかを一緒に考えんといけん 話をしっかりせんと…

本当に嬉しい言葉です。

田舎だからこそのご近所付き合いなのです。

多分どころか絶対に父は明日帰っても変わることはないでしょう。

掃除をしながら父が住む家はやっぱりここしかないと思いました。

何もかも一人でやってきた父です。

腹が立っても父は父。

これからもブツブツ言いながらは目にみえています。

冷蔵庫を開けたらとてもきれいでした。
流しもきれいにしてあります。
これが94歳のお爺さんがすること?と思うと涙が出そうでした。

私たちをあてにせず掃除、洗濯、料理、畑や田んぼをしているのです。

やはりこの家は父を待っている!

心の底から思いました。

今年の3月に退職したのは遊びたかったのではなくて父をみることでした。

連絡がないのは元気な印とのんきに構えていた私に今日は色んな事を教えてくれました。

喧嘩しても親は親ですね。

明日迎えに行ってきます。

家は父を待っていました。
























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今後どうするか…  救急車要請

2022-08-16 20:03:42 | 日記
このお盆中に色々な事がありました。

先程家計簿をつけながら合計金額の下に日記を書く欄があるのですが、11日〜今日までを遡って読むと大変だったなあと思いました。

中でも昨日は長い長い一日でした。


三人でお昼ごはんを食べようと座敷に座りました。
父は一人暮らしなのでいつも一人で食べるのですが、私達がいるときは座敷に座ります。

朝ごはんを食べるときはちゃんと座っていたのにお昼はテーブルまで50センチ位離れています。

前に座るように声をかけても前に動くことができません。
???

斜めに背中を倒して器を持っているので、その姿勢じゃこぼれるよ!
何度も言った私です。

服にボロボロとこぼれて行きます。

とにかくいつもと様子が違うのは確か。

一人で食べるテーブルは学習机の椅子に座るので そっちに行こう! と二人で連れて行ったのですが、やはりおかしい!

その様子を写真に撮りラインで妹に送信し、文面を打っている間に更に様子はおかしくなって来ました。

こうなると119番通報しかありません。

主人に かけるよ! と言って固定電話で119番通報しました。

心臓ドキドキです😭

電話の向こうの質問に応え救急車が出動することになりました。

その後、妹の連れ合いに電話をして近況報告です。

義弟は私と高校の同級生で定年まで町内の消防署に勤務していたので内情が分っています。

今でも消防署にはしょっちゅう出入りしているので職員も全て知っています。

父はお昼ごはんのそうめんをひたすら食べていますが口からダラダラと床に落ちます。

病院には行かん!

食べながらそれだけはハッキリ言う父です。

こんな状況で救急車を呼ぶのはどうなのかと思い、再度119番にかけました。

救急車は必要ないと言うと、既に向かっているので隊員が様子を見てから家族の判断で取りやめる事も可能ですと言われました。

その後救急車がサイレンを鳴らして到着し担架が運ばれてきました。

父はまだそうめんを口に入れています。

救急隊の隊長が父に声をかけてもひたすら食べ続けているので、〇〇さん、食べるのをやめてください! と言われました。

水分補給されましたか?と聞かれたけど飲んではいないと思います。

割とまともな受け答えをする父。

隊長が私に状況を質問されるので、座敷で食べている写真を見せました。

隊長の父親もやはり消防署員で義弟の部下。
家も実家の近くです。
ですから親子二代で消防署員なんですね。
 
私のスマホで隊長が義弟と話しています。

義弟が元消防署員なので本当に頼りになります。

ふと父の顔をみると左眉が赤くなっています。
聞くとトイレの前で倒れドアで顔をぶつけたと言います。
そんな事があったとは全く知らなかった私です。

結局嫌がる父を説得して病院に搬送することになりました。

そうこうしていると妹夫婦が来て、義弟が私か主人のどちらかに救急車に乗るようにと言います。

主人にお願いしましたが受け入れ先の病院がなかなか決まらず発車できません。
その間に妹と家の片付けです。

かかりつけの病院は受け入れてもらえなかったので今は合併していますが、合併前は隣町だった病院(妹の嫁ぎ先の町)に搬送されました。

おかしいことに受け入れ先の病院を待っている間、兵隊に志願して北海道や知覧、シナに行って 訳の分からぬ独り言を言っていたそうです。

点滴中にも言っていたようで、先生から聞かれました。

戦争に行っていましたと応えました。

義弟と一緒に行ったのですが現役の頃に何度も搬送している病院です。

頭のCTを撮っていました。

頭は異常なしとのこと。
血液検査から考えられるとすれば熱中症ではないかとのことで、点滴が行われました。

イビキをかいています。

途中目が覚めた時にお昼ごはんの時の状況を話しても覚えていませんでした。

普通であれば点滴で元気になるので帰宅だそうです。
しかし一人暮らしなのでとりあえず入院してあちこち検査をすることになりました。

しかし問題はその後です。
退院して一人で生活するとなればまた今回と同じことになる可能性があります。

暑さが分からない高齢者ではあるしクーラーがない実家。
例えクーラーを設置しても電気代が要るとつけることはしないのが目に見えています。

普段から必要な時、それもその場所しかつけないのです。
考えられないほど始末に始末に生活しているので、電気をつけるよ! 給湯器のスイッチを入れるよ! ガスを使うよ!
必ず許可をとるのです。

ですからこんな父と一緒に生活はできるはずがありません。

本当にビックリされるでしょ!
おそらくどこを探してもこんな人はおられないでしょうね。

入院している今は良いけど退院後をどうするか考えないといけないのです。

病院が何か所か施設を経営されているのでそこに入所するか、退院して元の生活をするか。
しっかり家族で相談してくださいと言われました。

病院を後にして実家に戻り、わずか数時間前までここにいた父があのまま施設に入るとなれば、いかに難しい父でも可哀想になりました。

まだやる事があると94歳で草刈り、野菜作りと一人で頑張っているのです。

そんな父を施設に入れるのはどうなんでしょう?

人を家に入れるのが嫌いなのでヘルパーさんにお願いすることも嫌います。

本当にどうしたらいいのか…

実家を片付けて妹の嫁ぎ先に寄りました。

親族揃って話し合いです。

入院先の病院に甥の幼なじみ(男性)が看護師で勤務されています。
田舎なので彼の親御さんも妹夫婦と仲良しで家族ぐるみのお付き合いです。

幼なじみが父の担当となり昨夜仕事から帰って来てくれました。

看護師として色々アドバイスくれました。
今日もし一人でいたら多分死んでいたかもしれない。

たまたま家族がおられたから良かったけど、生きられたということは最後まで今まで通りにされるのもありですよ! と。

施設に入所すれば認知症が進むことも聞きました。

濃い内容の話をしっかり聞きましたが、父が今まで通りの生活をするには私が一緒に住むのがベストなのです。
しかしあの父との生活は誰が一緒に住んでも絶対に無理と誰もが言います。

義弟が お姉さんも最初は私がお父さんをみなければと頑張るけどストレスを抱え出して最後はお兄さんとも喧嘩をしだして家庭崩壊になると言いました。

こういう例は沢山みてきたからと

じゃあどうすればいい?

離婚してまで帰ってこの家を継げ!

ここまでお父さんが言われるのは弱ってきたからだと義弟が言います。

そんな話を夜の11時半までして日付の変わる頃に帰宅しました。

長い長い一日でした。

ここ数日間に答えを出さなければならないのですが答えがでません。
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今日も実家

2022-08-13 21:01:31 | 日記
お盆ですね。
銀行に行って主人の実家に帰ろうとしたら国道が大渋滞。
毎年のことなので国道を諦めて、自宅に帰る道に戻りそこから主人の実家に帰りましたがどこも渋滞していました。

関東圏はこれから台風🌀接近ですね。 
被害が出ないことを祈ります。
こちらは3時ころに夕立ちが来ました。




裏の山から落ちてくる笹の葉を集めて畑に持って行くのに☔では行けません。
暫く違う作業をして雨が止むのを待ちました。

私、多分初めてしたのかも?

側溝がきれいになりました😋

実は昨日ワクチン接種をしてブログを書いたあとから腕の痛みが出てきました。

寝るにも寝れず、痛みとの戦いでした。 今朝は起きたのが8時を廻っていました。

洗濯物を干そうとタオルで竿を拭こうとしても痛みで腕が上がりません😭

そう言えば前回接種した3回とも痛みが襲いました。
まあ時間と共に楽にはなったけど辛かったです。

        

義母が養子に行った三男をものすごく心配していました。

あの子が帰って来る家がないようでは困る!

それが口ぐせでした。

嫁に行くのと同じですね。
恋愛でもないし養子に行かなくても良いのに三男だから養子に行ったのです。

養子だからあちらの親と一緒に住むのが昔の考えでした。
しかし当時はお祖母さんも、義妹もおられ県営住宅で生活をスタートしました。

その後お婆さんも亡くなられ、義妹も嫁いだのに2回失敗して実家に帰っています。
ですから県営住宅が主で田んぼや地域の行事は義弟がでています。

退職して再雇用ですが今まで通りに仕事はないようで人が足らないときだけ行っているようです。

次男の嫁である私は義弟を心配していました。

義母が気にかけていたのを私がしないといけないと。

以前のブログに書きましたが、義弟が病気になってから夫婦して新興宗教に入信しています。

義弟よりも義妹がとても熱心なのです。

義妹は義弟が預かっていた義母のキャッシュカードで密かにお金をおろしていました。
義弟も全く知らなかった出来事でした。

何に使ったのか聞いても、言えないと拒んだ義妹です。
位が上がったのでおそらく宗教に使ったのだろうと義弟は言いました。

その事があってからはお金の管理は主人がするようになりました。

私が主人に高齢の義母に何かあった時のために貸金庫を借りようと話し、数年前から取引先の銀行の貸金庫を借りています。

まとまった金額を入れているので義弟に渡したら?と常々主人に言っていた私です。

今まで何回も電話をしたのに携帯に出ない義弟なのでそのままになっていました。

昨夜しびれを切らして、電話をして!と言いましたがやはり出ませんでした。

今朝貸金庫のお金を取りに行き実家から電話をするとやっと出てくれました。

主人の第一声は 元気にしとる?
でした。
それほど実家から離れてしまった義弟です。 
あれだけ仲の良かった兄弟なのに義妹が黙って使い込んだお金の件依頼、会うこともなくなりました。

昨年の義姉の法事でも顔を観ただけです。
それほど他人になっていました。

主人が一人で来てくれるかと言っていました。
義妹が一緒だと困るのです。

電話をして1時間も経たないうちに何年ぶりかに帰って来ました。

先日の病気の話をしました。
初診で受診した帰りに立ち寄ったスーパーで働いている義妹と病気の事を話したのに、実の兄である主人の事を話していませんでした。

最初は黙って聞いていた私ですが、義妹の話と義弟の話が違うのです。

随分前に 仮面夫婦ですから
そう言った事がありました。

多分今もそうなんでしょう。

主人がこれはと貸金庫から持って帰ったお金を弟に渡しました。

助かります!
何度も言う義弟です。

退職金は嫁ぎ先のリフォームに使ったんですね。

長男が亡くなって凍結された遺産を復活するためにあちこち動いた話は何度もしていました。

家庭裁判所に行って成年後見人制度のビデオをみたけれど、なかなかラチが開かなくて司法書士さんにお願いして、義母と義姉の遺産分割協議書を作ってもらった事も詳細に話していたのです。

全て私が司法書士さんの言われるように動いたあの当時の話です。

しかし義弟は初めて耳にした言い方です。

私は主人の身体を思うと助けて欲しいと言いました。
しかし兄貴よりワシの身体が悪いと思います。
そう言われてしまいました😭

確かに喘息になってステロイド剤で股関節が溶けて宗教に入ったものの胃癌にもなったし、辛かったことと思います。

しかし実家なんだから手伝ってくれても良いのではないでしょうか?

先日の受診で余命○年と言われた事も全て話したのにです。

一人息子の別れた嫁から自動車の廃車の事で何度も話したことも知りませんでした。

今日初めて耳にしたのです。

スンマセン、色々迷惑かけて…

ただただその言葉しか出ませんでした。

そしてお金を渡すととても喜んでいました。

このお金は好きなように使えばいい。義妹に渡しても良いしそれはお母さんのお金だから 

そう言った主人でした。

最後に義弟に私が聞きました。

もしそのお金を義妹に渡したら宗教に持って行くかね? と。

そしたら
そりゃあ、あいつの事ですから持って行きますよ!

やっぱりでした。

あいつには月に6万円食事代を渡してます。それ以外は全部ワシが管理しています。

足らないから義母のキャッシュカードを使ったんじゃない!と思わず言いそうになった私です。

今も宗教で献金して苦しんでいる家族を取り上げていますが、義妹もあの宗教ではないだけであるお金は入信している宗教団体に寄付しているのをハッキリと義弟から聞きました。

今日渡したお金を義弟が義妹にわからないようにできるのかは疑問です。

お金をもらった義弟はありがとうございました!と言って帰って行きました。

その時に私は主人に、草刈りをしたらいい?と聞いたのです。
今日がお休みなら草刈りを手伝ってくれても良いのに、やはりお金が縁の切れ目なんでしょうか?
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ゴミを出してきました

2022-08-12 22:14:49 | 日記
昨日主人の実家で片付けた衣類や、納屋に適当に(本当に適当です)置いてあった諸々の物を出して来ました。

ビックリしたのはシカの角まで置いてありました。
下の棚の右端です。  
手に取ったものの気持ち悪くてまた戻しました(笑) 
私の実家にも玄関にシカの角が飾ってありますがきれいです。


裏が竹やぶなので、年中笹の葉が落ちてきます。
この家に住むには笹の葉を履かなければなりません。





長男である義兄が他界してから一度も2階に上がった事がありません。
階段も真っ白。

2階は8畳が2部屋あり、どちらも床の間があります。
田舎の家屋はどの家も本間なので、8畳と言っても広いです。

昨日何とかトラックに入れて焼けるものは畑で焼きました。 



その後義母が畑をしていたところを周りをシカが入ってこないように柵をしました。

この作業は先月末に途中までしていたのですが、主人の検査結果を聞いてから決めようと言った私です。
即に入院して治療となれば私は絶対に無理と言いました。

いつもは我を通す主人なのにこのときばかりは素直に止めたのです。
おそらく心には不安があったのでしょう。

私が片付けをしていると一人で黙々と作業をしていました。

田んぼに柵をしているのを5枚外してシカが飛び越えて入らないように囲いました。
石垣に草が伸び放題だったのでここは私が草を刈りました。

軽トラックにタンスまではさすがに詰めませんでした。

一夜明けた今日無事に持って行ったのですが、主人が道を勘違いして口喧嘩になりました。

隣町にある主人の何十年来の友達の家の上に、広島市北都資源選別センターがあります。

私の頭の中には我が家からでも実家からでも時間は大差ないのに、主人はこっちの道が近いからと出発したものの、橋を渡って下流に向かう左に行かないといけないのに右にウインカーを出します。

違う!違う!左に行って!
そう言う私に、何をいいよるんかさっぱりわからん!

わからんことを言う!

わからんことを言うのはあなたでしょう!

隣の区に行くときは主人の友人の家の前を通って行くのに主人がバカな事を言うのです。 

こんなことなら私が運転するんだったと後悔しました。

左に行くところを右に行くので、迷いました。
一度も通った事のない道です。

言っても怒るので会話もありません。

何処へ連れて行くつもりなんだろうと黙っていました。 と言うか話す気にはなりません。

こうだと思ったら意地でも通す主人です。

まあ好きなようにすればいい、あと何回喧嘩ができるのかわからないし…

初めて通る道をトンネルを越えてあっちこっちと行きやっと到着。  

こんなに時間をかけるのなら、いつも通る道を行けば迷う事もなかったのです。 

しかしここは主人の友人宅と道路を挟んで反対の施設の埋立地です。

そこではガラス、器、蛍光灯の傘を取ってもらい、資源ゴミは友人宅の上にある施設に行くように言われました。


主人の友人の家の上に資源選別センターがありました。

職員は手伝うことはなく書いてあるブースに自分で入れます。
ここで衣類を出したのでかなり少なくなりました。

しかし私が積み込んだのにきちんと把握できなくて鍋を出すのを忘れました。

ここからはスマホでマップを頼りに隣の区に行きました。

こういったゴミの処理場は町の中にはありません。
山へ山へと上がって行きます。

こんなに車が多いのはお盆だからみんなゴミを出しに行くんかね?と主人。

そんなことはないでしょ!

イエイエ主人が言う通り、前の車はほとんどが大型ごみ破砕処理施設に入りました。

まあ初めて見る光景にビックリしました。
多くの職員さんに広い建物。
車が列をなしています。
おそらくお盆とお正月前は多くの人が持って来るのでしょう。

何を持って来たかと聞かれました。

自分で搬入なので無料です。




係の方に指定された場所に車を停めて降ろします。

乾電池だったか何だったか忘れましたが、これは取れないので吉島にもって行くか、家庭ゴミで出してください!と言われました。

ドライブ・マイ・カーで撮影現場となった処理場ですが、さすがに遠くて持っては行けません。

市の収集日に出すゴミを持ち帰ることになりました。

来た道を引き返すと車が🚗どんどん入って来ます。 

考えることは皆さん同じですね。

あれだけの施設にあれだけの職員。 
税金が高いのがよーくわかりました。

約2時間かかって無事に作業は修了😋

帰り道に撮りました。




主人の友人宅の上にある施設に行く案内板。

いつも向こう側から手前に来ますが、今日はこの橋の一本上流の橋を右折したのでこの道は通って来ませんでした。

長男夫婦が亡くなってから何年も気になっていた諸々の物を、やっとお盆前に片付けることができました。

その後、今日は3時から4回目のワクチン接種に行って来ました。
 
今のところ体調に変わりはありません。

明日は朝実家で笹の葉や松ぼっくりを集める予定です。
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