今日、ばあちゃん(母方の祖母)に、見舞いに行った。
画像が、昨日からばあちゃんのために一生懸命作った、私の手作りぬいぐるみ「うさ子」である。
母方の祖母、もうここでは「ばあちゃん」と呼ばせてもらいます、は今年で満97歳。
そのばあちゃんが、入院したと聞いた。
「そりゃ、そうだよな。もう97歳だし。一回目の入院じゃないし・・・」と、最初はそんな風に思っていたのだが、入院した次の日、「あと10日くらいかも。覚悟しておいてください」と電話が入った。
ばあちゃんは母の兄、つまり私の伯父夫婦に介護してもらっていた。けれど、親戚の結婚式や伯父の仕事の関係で、施設にショートステイした。にぎやかなのが好きなばあちゃんはこのショートステイが結構気に入ったらしい。しかしその施設のドクターがばあちゃんを診てくれたあと「ここにこのままおいては良くならない。すぐ病院へ移してください」と言ったということ。親戚の結婚式が終わり、伯父伯母は急いで入院させたら、翌日「あと10日くらいで・・・・」と言う電話が我が家に来た。
母にとってはたった一人の母だし、予想以上に私が動揺した。
97歳でどこも悪くない。結局のところ老衰なのである。けれど、「ばあちゃんが死ぬかもしれない!!」そう思ったらいてもたってもいられなくなり、水曜日の祈祷会に行ってお祈りしてもらった。(実はこの間も、私はかなり鬱がひどかったのだが、リースつくりもあったし?まず祈ってもらわなくちゃ心配でたまらない!という気持ちだった)
翌日木曜日、母と一緒に見舞いに行った時、ばあちゃんは口をあけて目をつぶってただ点滴していた。一瞬ドキとした。ついていた叔父叔母は「さっきもお医者さん来て声かけても起きないんだ。」と言う。
思わず「ばあちゃん!」と私は声をかけた。
そうしたらばあちゃんは、パチッと目を開いて
「まま(御飯)食って眠たいから寝るは~(寝るね~)」
と言って、また目をつぶってしまった!・・・かと思ったら、またぱっちり目を開いて、ニコニコ笑って私と手をつないだ。そしてその後は母とも叔母ともかなり確かな意識で話し始めた。私は本当にその時、
「私のほうが慰められた。」 というのが本音だった。
それでも前日来て様子を見ていた叔母と母によると、「これでも昨日より元気ないね」というらしいのである。そして、ばあちゃんは私と手をつないだり、ハグするのが大好きなので、ずっと手をつないでいたら、じとっと私の手に水がついた。
「何?これ?」
と、ちょっとビックリして母や叔母に聞いてもわからない。看護婦さんを呼んだ。
そうしたら看護婦さんがこう言った。
「ああ、これはねぇ、もう皮膚が弱くて破れちゃってね。体液が出ちゃうんですよ。仕方が無いのよねえ。でも、ガーゼを貼っておきましょうかね。でもね、このガーゼを貼るテープをはがす時がまた私たちも辛いのよ
それを見て帰ってきた私と母は「もう長いこと無いのかもしれない」と正直思った。弟にもそれを告げ、母は気丈に「喪服の準備をしておくように」と言った。
私は、とても怖くなって毎日教会の姉妹に電話をして祈ってもらった。「まだ老衰で痛みが無いだけ良いんだよ」と言って下さった方もいた。本当にそうだと思った。何かばあちゃんが喜ぶことを出来ないかと思った。それで、昨日から今日にかけて作ったのが、この画像のぬいぐるみ「うさ子」である。
昨日の夜11時半までかかって縫い上げ、今日は最後の口を刺繍し、寒いからピンクの毛糸でマフラーまで編んだ。
「これまで手作りのものなんて何も作ってあげたこと無かった。これを見てばあちゃんが元気になってくれたら・・・」と必死で昼過ぎまで編み上げ、昼ごはんもそこそこに車を病院に飛ばした。
「ばあちゃん!」と病室に入ると、ばあちゃんはいくらか元気そうだった。しかし、食事のプリンらしきものはほとんど食べていない。しかし元気に「さっきよー。介護の人が食べさせてくれたんだ」と喋る。
「んだがあ?ばあちゃん!んでも、元気でいがったな」さて、私はうさ子をばあちゃんに出した。
「ばあちゃん、見てケロ。こいつばあちゃんさ、作ってきたんだよ。なんた?(=どうですか?)」
ばあちゃんはうさ子をじーーーーーーっと見てこう言った。
「なんだがおちゃらけてるなあ。んでもよぐでぎだ。(=よく出来た)」
・・・・・想像の反応はしてくれなかったが、まず「よくできた」と言ってくれたから良いとしよう!しかし、うさ子をばあちゃんの側に持っていっても、抱いてくれない。
よし、ベッドのばあちゃんの側にうさ子を置いて私はこう言った。
「ばあちゃん、うさ子、ここさ置いていいか?」
ばあちゃんは、にっこり笑って、しかしはっきり、首を横に振った!
「うさ子はいらないってがーーーーーーーっ!?」
ばあちゃんはうさ子を一顧だにせず、私が「ばあちゃん、これ(残したプリン)食べっか?」と言ったら「うん」と言った。そして結局残したプリンをもりもり食べて
「んまいなあ!んまいっ!やっぱり一人だと退屈だしよ~!」と元気一杯だった。向かいのベッドに寝てるおばあちゃんから(ちょっと迷惑そうに)「元気良いずねえ~」と言われ孫の私は、
「すみません」
と謝った。
結局ばあちゃんとそうして二時間近く一緒にいた。
「そろそろ帰ろうかな」と思ったとき眠そうだったので「ばあちゃん寝たらいいんねが?」と言ったら「んだな。寝るがな。」と言ったので、「んだら、まだ来るからな」と言って、最後の駄目押しで言ってみた。「ばあちゃん、うさ子どごさ置く?ベッドの側?テレビの側?」
ばあちゃんはうさ子はテレビの側に置くようにと指示した。
「ばあちゃん、またな。バイバイ」私は手を振って病室を出た。
ばあちゃんも元気に手を振ってくれた。
・・・・うさ子はばあちゃんは気に入らなかったようだが、ご飯のプリンは私が食べさせたら全部食べてくれた。
そして、今日は手の皮も破れてなかった。
帰りの運転中のBGMは賛美歌「一羽のすずめに」だった。カッコの中はシズコの独り言である。
こころく~じけて~(くじけてるよ。あれほどがんばって作ったうさ子なのにさ。
思いな~やみ~(いや、思い悩むほどじゃないけどね。でも、まあ、ばあちゃんが元気に食事を食べたし、喜んでくれたからいっか
そう思って帰途についた。
帰り、カフェオアシスでうさ子とばあちゃんのことをオーナーのTさんに話したら大爆笑された。(でも、私でも苦笑しちまったよ・・・・)
とにかく、ばあちゃんが元気になってくれて良かった。
明日も見舞いに行こうと思ったが、礼拝に行くかちょっと迷ってる。
けれど、ばあちゃんは、確実に元気になってる。それが一番だよね。
きょうのばあちゃんのことを通して、私は自分の自己満足でうさ子作ったのをちょっと神様に指摘された気がする。
でも、凄く勉強になった。
ばあちゃんにプリンを食べさせてあげる時、どのくらいのタイミングで出したら良いのか、おそるおそるだった。
うさ子のことは残念だが、ばあちゃんが元気になってくれたのは本当にほっとした。
お祈りしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
画像が、昨日からばあちゃんのために一生懸命作った、私の手作りぬいぐるみ「うさ子」である。
母方の祖母、もうここでは「ばあちゃん」と呼ばせてもらいます、は今年で満97歳。
そのばあちゃんが、入院したと聞いた。
「そりゃ、そうだよな。もう97歳だし。一回目の入院じゃないし・・・」と、最初はそんな風に思っていたのだが、入院した次の日、「あと10日くらいかも。覚悟しておいてください」と電話が入った。
ばあちゃんは母の兄、つまり私の伯父夫婦に介護してもらっていた。けれど、親戚の結婚式や伯父の仕事の関係で、施設にショートステイした。にぎやかなのが好きなばあちゃんはこのショートステイが結構気に入ったらしい。しかしその施設のドクターがばあちゃんを診てくれたあと「ここにこのままおいては良くならない。すぐ病院へ移してください」と言ったということ。親戚の結婚式が終わり、伯父伯母は急いで入院させたら、翌日「あと10日くらいで・・・・」と言う電話が我が家に来た。
母にとってはたった一人の母だし、予想以上に私が動揺した。
97歳でどこも悪くない。結局のところ老衰なのである。けれど、「ばあちゃんが死ぬかもしれない!!」そう思ったらいてもたってもいられなくなり、水曜日の祈祷会に行ってお祈りしてもらった。(実はこの間も、私はかなり鬱がひどかったのだが、リースつくりもあったし?まず祈ってもらわなくちゃ心配でたまらない!という気持ちだった)
翌日木曜日、母と一緒に見舞いに行った時、ばあちゃんは口をあけて目をつぶってただ点滴していた。一瞬ドキとした。ついていた叔父叔母は「さっきもお医者さん来て声かけても起きないんだ。」と言う。
思わず「ばあちゃん!」と私は声をかけた。
そうしたらばあちゃんは、パチッと目を開いて
「まま(御飯)食って眠たいから寝るは~(寝るね~)」
と言って、また目をつぶってしまった!・・・かと思ったら、またぱっちり目を開いて、ニコニコ笑って私と手をつないだ。そしてその後は母とも叔母ともかなり確かな意識で話し始めた。私は本当にその時、
「私のほうが慰められた。」 というのが本音だった。
それでも前日来て様子を見ていた叔母と母によると、「これでも昨日より元気ないね」というらしいのである。そして、ばあちゃんは私と手をつないだり、ハグするのが大好きなので、ずっと手をつないでいたら、じとっと私の手に水がついた。
「何?これ?」
と、ちょっとビックリして母や叔母に聞いてもわからない。看護婦さんを呼んだ。
そうしたら看護婦さんがこう言った。
「ああ、これはねぇ、もう皮膚が弱くて破れちゃってね。体液が出ちゃうんですよ。仕方が無いのよねえ。でも、ガーゼを貼っておきましょうかね。でもね、このガーゼを貼るテープをはがす時がまた私たちも辛いのよ
それを見て帰ってきた私と母は「もう長いこと無いのかもしれない」と正直思った。弟にもそれを告げ、母は気丈に「喪服の準備をしておくように」と言った。
私は、とても怖くなって毎日教会の姉妹に電話をして祈ってもらった。「まだ老衰で痛みが無いだけ良いんだよ」と言って下さった方もいた。本当にそうだと思った。何かばあちゃんが喜ぶことを出来ないかと思った。それで、昨日から今日にかけて作ったのが、この画像のぬいぐるみ「うさ子」である。
昨日の夜11時半までかかって縫い上げ、今日は最後の口を刺繍し、寒いからピンクの毛糸でマフラーまで編んだ。
「これまで手作りのものなんて何も作ってあげたこと無かった。これを見てばあちゃんが元気になってくれたら・・・」と必死で昼過ぎまで編み上げ、昼ごはんもそこそこに車を病院に飛ばした。
「ばあちゃん!」と病室に入ると、ばあちゃんはいくらか元気そうだった。しかし、食事のプリンらしきものはほとんど食べていない。しかし元気に「さっきよー。介護の人が食べさせてくれたんだ」と喋る。
「んだがあ?ばあちゃん!んでも、元気でいがったな」さて、私はうさ子をばあちゃんに出した。
「ばあちゃん、見てケロ。こいつばあちゃんさ、作ってきたんだよ。なんた?(=どうですか?)」
ばあちゃんはうさ子をじーーーーーーっと見てこう言った。
「なんだがおちゃらけてるなあ。んでもよぐでぎだ。(=よく出来た)」
・・・・・想像の反応はしてくれなかったが、まず「よくできた」と言ってくれたから良いとしよう!しかし、うさ子をばあちゃんの側に持っていっても、抱いてくれない。
よし、ベッドのばあちゃんの側にうさ子を置いて私はこう言った。
「ばあちゃん、うさ子、ここさ置いていいか?」
ばあちゃんは、にっこり笑って、しかしはっきり、首を横に振った!
「うさ子はいらないってがーーーーーーーっ!?」
ばあちゃんはうさ子を一顧だにせず、私が「ばあちゃん、これ(残したプリン)食べっか?」と言ったら「うん」と言った。そして結局残したプリンをもりもり食べて
「んまいなあ!んまいっ!やっぱり一人だと退屈だしよ~!」と元気一杯だった。向かいのベッドに寝てるおばあちゃんから(ちょっと迷惑そうに)「元気良いずねえ~」と言われ孫の私は、
「すみません」
と謝った。
結局ばあちゃんとそうして二時間近く一緒にいた。
「そろそろ帰ろうかな」と思ったとき眠そうだったので「ばあちゃん寝たらいいんねが?」と言ったら「んだな。寝るがな。」と言ったので、「んだら、まだ来るからな」と言って、最後の駄目押しで言ってみた。「ばあちゃん、うさ子どごさ置く?ベッドの側?テレビの側?」
ばあちゃんはうさ子はテレビの側に置くようにと指示した。
「ばあちゃん、またな。バイバイ」私は手を振って病室を出た。
ばあちゃんも元気に手を振ってくれた。
・・・・うさ子はばあちゃんは気に入らなかったようだが、ご飯のプリンは私が食べさせたら全部食べてくれた。
そして、今日は手の皮も破れてなかった。
帰りの運転中のBGMは賛美歌「一羽のすずめに」だった。カッコの中はシズコの独り言である。
こころく~じけて~(くじけてるよ。あれほどがんばって作ったうさ子なのにさ。
思いな~やみ~(いや、思い悩むほどじゃないけどね。でも、まあ、ばあちゃんが元気に食事を食べたし、喜んでくれたからいっか
そう思って帰途についた。
帰り、カフェオアシスでうさ子とばあちゃんのことをオーナーのTさんに話したら大爆笑された。(でも、私でも苦笑しちまったよ・・・・)
とにかく、ばあちゃんが元気になってくれて良かった。
明日も見舞いに行こうと思ったが、礼拝に行くかちょっと迷ってる。
けれど、ばあちゃんは、確実に元気になってる。それが一番だよね。
きょうのばあちゃんのことを通して、私は自分の自己満足でうさ子作ったのをちょっと神様に指摘された気がする。
でも、凄く勉強になった。
ばあちゃんにプリンを食べさせてあげる時、どのくらいのタイミングで出したら良いのか、おそるおそるだった。
うさ子のことは残念だが、ばあちゃんが元気になってくれたのは本当にほっとした。
お祈りしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。