わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。
新約聖書:フィレモンへの手紙12節(新共同訳)
左顧右眄(さこうべん)・・・周りを気にして、なかなか決断を下さないこと。他人の様子をうかがって、決断をためらうこと。左を見たり右を見たりする意から。もとは、ゆったりと得意で余裕のある様子をいった語。▽「顧」はかえりみる。「眄」は横目でちらりと見る。また、かえりみる。
日曜日だし、ブログアップはしないつもりだったけれど
来てしまった
今日、浅草橋教会の牧師の黒木安信先生がおいでくださった。
私と黒木先生の思い出は、作曲家・故・高田三郎先生
何故かそんな風に感じてしまう
初めて訪った浅草橋教会で
黒木先生に高田三郎先生の直筆の楽譜コピーを頂いたせいであろうか?
高田三郎先生はカトリッククリスチャン
今朝の黒木先生のメッセージで「この地上の生涯」と言う言葉をお聴きした時
高田三郎先生作曲の「この地上」の「虎」と言う曲について
高田先生が私たち山形西高高等学校の音楽部定期演奏会に書いてくださったパンフレットの言葉を思い出した。
今手元にそのパンフレットが探せないので、うろ覚えだがこんな言葉を下さったのだ。
「私の曲に『この地上』の中の『虎』と言う曲がある。アフリカのライオンは群れるが虎は群れない。独りで行動するのである・・・中略・・・山形西高音楽部にも左顧右眄せず、一つの星を目指して孤高の道を歩んで頂きたい、そう思う。」
この時の「左顧右眄(さこうべん)」と言う非常に難しい初めて聴いた四字熟語が、17歳のわたしの心に残った。
あの当時(語弊があるかもしれないが、高田三郎先生の曲はそんなにコンクールでも流行っているとは言えなかった気がする。ある作曲家の曲が大流行していた時である。(はっきりその作曲家の名前は今は書かないことにする)そんな時頂いたこの高田先生のお言葉は妙に鮮明に今でも覚えている。
今日の黒木先生のメッセージをお聴きしているうちに、「この地上」→「虎」→「高田三郎先生」と言う連想が湧いた。その事を食事の時に黒木先生と皆さんにお話した。黒木先生はじっと私の話に耳を傾けていて下さったような気がした。
おこがましいが、私は黒木先生の音楽に対する感性はとても芳醇で繊細、そして豊かだと言う気がしている。そして、この高田三郎先生と黒木安信先生に共通するものとはなんだろう?と自分に問うてみた。それは「妥協の無い精神(信仰と置き換えても差し支えなかろう)」なのだと、ほどなく気付いた。
高田三郎先生は私が中3の時、山形西高の定期演奏会の客演指揮でいらして、会場の山形県民会館の大ホールで「私はクリスチャンです」と堂々と話された方である。私は当時、クリスチャンという人種を全く知らなかったが、「こんな風に自分を『私はクリスチャンです』と堂々と話す人って凄い」と、14歳の幼心にもはっきりと刻まれている。その後山形西高音楽部に三年間お世話になり、阿部昌司先生のご指導のもと、高田三郎先生の曲を身に染みるほど叩き込まれることになる。高田先生自らも何度か指導にいらしてくださり、良く私達は、履いていらっしゃるスリッパを投げつけられ「この下手くそ!」と怒鳴られた。高田先生がいらっしゃる時のご指導は戦々恐々としていた。それでも私達は高田三郎先生が好きだった。
高2のときに、女声合唱「水のいのち」を天童市民文化会館のホールで、お嬢様の高田江里さんのピアノ、高田先生の指揮で録音させて頂いたのも懐かしい思い出である。たった一枚、私が録音したCD。もう廃盤になっているが、一枚だけ私は購入し、今でも大切に持っている。
今日、妥協の無い黒木先生のメッセージをお聴きし、無性に高田先生の声が聴きたくなった。大阪フェスティバルホールで「イザヤの預言」を歌い、二年続けての銀賞に、声も出なくなって固まっていたわたしたちに、つかつかと寄ってきて「金賞は取れなかったけれど、僕は良い演奏だったと思う」と、ポツっと一言お声をかけてくださった高田三郎先生。そのお言葉で私達はどれだけ慰められたかしれない。その瞬間、100名の女子高生が皆泣き崩れてしまったのだ。特に私は山形西高で、絶対日本一になるんだ!・・・・その夢は敗れ去ってしまったのである。
当時はさっぱりわけのわからない、余り好きでもない「イザヤの預言」とか言う曲を歌って・・・(当時はそう思っていた)悔しかった。
35歳の誕生日の翌日、私は山形南部教会で洗礼を受けた。
それから旧約聖書のイザヤ書は、私の最も好きな聖書箇所になった。
私たちが銀賞しか取れなかった歌詞を、私は今でも歌うことが出来る。
見よ、私の僕は栄える
高められ、あげられ
偉大なものとなる
高田先生に会いたい。明日の米沢の聖会で、黒木先生はもうひとたび御用をしてくださるが、私は都合で行けない。判りやすく、学術的で、ずばっと核心に触れる黒木先生のメッセージを聞きたい。私は黒木先生が優しい中に、時々お見せになる鋭い眼差しが好きだ。
故・高田三郎先生、黒木安信先生にお会いできたことを心から主に感謝したい。
黒木先生の明日・・・もう今日になってしまったね・・・ご用が守られますように。黒木安信先生と奥様の体調を格別お守りください。
このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。
オヤスミナサイ。
画像は高田三郎先生。CD解説に大体このお顔が載っておられる。
私はとても好き。
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新約聖書:フィレモンへの手紙12節(新共同訳)
左顧右眄(さこうべん)・・・周りを気にして、なかなか決断を下さないこと。他人の様子をうかがって、決断をためらうこと。左を見たり右を見たりする意から。もとは、ゆったりと得意で余裕のある様子をいった語。▽「顧」はかえりみる。「眄」は横目でちらりと見る。また、かえりみる。
日曜日だし、ブログアップはしないつもりだったけれど
来てしまった
今日、浅草橋教会の牧師の黒木安信先生がおいでくださった。
私と黒木先生の思い出は、作曲家・故・高田三郎先生
何故かそんな風に感じてしまう
初めて訪った浅草橋教会で
黒木先生に高田三郎先生の直筆の楽譜コピーを頂いたせいであろうか?
高田三郎先生はカトリッククリスチャン
今朝の黒木先生のメッセージで「この地上の生涯」と言う言葉をお聴きした時
高田三郎先生作曲の「この地上」の「虎」と言う曲について
高田先生が私たち山形西高高等学校の音楽部定期演奏会に書いてくださったパンフレットの言葉を思い出した。
今手元にそのパンフレットが探せないので、うろ覚えだがこんな言葉を下さったのだ。
「私の曲に『この地上』の中の『虎』と言う曲がある。アフリカのライオンは群れるが虎は群れない。独りで行動するのである・・・中略・・・山形西高音楽部にも左顧右眄せず、一つの星を目指して孤高の道を歩んで頂きたい、そう思う。」
この時の「左顧右眄(さこうべん)」と言う非常に難しい初めて聴いた四字熟語が、17歳のわたしの心に残った。
あの当時(語弊があるかもしれないが、高田三郎先生の曲はそんなにコンクールでも流行っているとは言えなかった気がする。ある作曲家の曲が大流行していた時である。(はっきりその作曲家の名前は今は書かないことにする)そんな時頂いたこの高田先生のお言葉は妙に鮮明に今でも覚えている。
今日の黒木先生のメッセージをお聴きしているうちに、「この地上」→「虎」→「高田三郎先生」と言う連想が湧いた。その事を食事の時に黒木先生と皆さんにお話した。黒木先生はじっと私の話に耳を傾けていて下さったような気がした。
おこがましいが、私は黒木先生の音楽に対する感性はとても芳醇で繊細、そして豊かだと言う気がしている。そして、この高田三郎先生と黒木安信先生に共通するものとはなんだろう?と自分に問うてみた。それは「妥協の無い精神(信仰と置き換えても差し支えなかろう)」なのだと、ほどなく気付いた。
高田三郎先生は私が中3の時、山形西高の定期演奏会の客演指揮でいらして、会場の山形県民会館の大ホールで「私はクリスチャンです」と堂々と話された方である。私は当時、クリスチャンという人種を全く知らなかったが、「こんな風に自分を『私はクリスチャンです』と堂々と話す人って凄い」と、14歳の幼心にもはっきりと刻まれている。その後山形西高音楽部に三年間お世話になり、阿部昌司先生のご指導のもと、高田三郎先生の曲を身に染みるほど叩き込まれることになる。高田先生自らも何度か指導にいらしてくださり、良く私達は、履いていらっしゃるスリッパを投げつけられ「この下手くそ!」と怒鳴られた。高田先生がいらっしゃる時のご指導は戦々恐々としていた。それでも私達は高田三郎先生が好きだった。
高2のときに、女声合唱「水のいのち」を天童市民文化会館のホールで、お嬢様の高田江里さんのピアノ、高田先生の指揮で録音させて頂いたのも懐かしい思い出である。たった一枚、私が録音したCD。もう廃盤になっているが、一枚だけ私は購入し、今でも大切に持っている。
今日、妥協の無い黒木先生のメッセージをお聴きし、無性に高田先生の声が聴きたくなった。大阪フェスティバルホールで「イザヤの預言」を歌い、二年続けての銀賞に、声も出なくなって固まっていたわたしたちに、つかつかと寄ってきて「金賞は取れなかったけれど、僕は良い演奏だったと思う」と、ポツっと一言お声をかけてくださった高田三郎先生。そのお言葉で私達はどれだけ慰められたかしれない。その瞬間、100名の女子高生が皆泣き崩れてしまったのだ。特に私は山形西高で、絶対日本一になるんだ!・・・・その夢は敗れ去ってしまったのである。
当時はさっぱりわけのわからない、余り好きでもない「イザヤの預言」とか言う曲を歌って・・・(当時はそう思っていた)悔しかった。
35歳の誕生日の翌日、私は山形南部教会で洗礼を受けた。
それから旧約聖書のイザヤ書は、私の最も好きな聖書箇所になった。
私たちが銀賞しか取れなかった歌詞を、私は今でも歌うことが出来る。
見よ、私の僕は栄える
高められ、あげられ
偉大なものとなる
高田先生に会いたい。明日の米沢の聖会で、黒木先生はもうひとたび御用をしてくださるが、私は都合で行けない。判りやすく、学術的で、ずばっと核心に触れる黒木先生のメッセージを聞きたい。私は黒木先生が優しい中に、時々お見せになる鋭い眼差しが好きだ。
故・高田三郎先生、黒木安信先生にお会いできたことを心から主に感謝したい。
黒木先生の明日・・・もう今日になってしまったね・・・ご用が守られますように。黒木安信先生と奥様の体調を格別お守りください。
このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。
オヤスミナサイ。
画像は高田三郎先生。CD解説に大体このお顔が載っておられる。
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