大昔に勾玉(まがたま)を造っていたというこの辺り、
駅名は玉造(たまつくり)です
大阪の環状線の多くの駅には駅前の大通りをまたぐ高架橋があります
玉造駅前にも高架橋がありますが、ここには、、、
銃撃を受けた跡がそのまま残っています
終戦間近に近くの軍事工場が空襲を受け
”ついでに”条約違反の民間市街地の銃撃を受けたのだそうです
橋脚にめくれた銃弾の貫通穴が残っていました
角度からして艦載機はこちらからやって来たのでしょう
あ、こっちにも銃弾貫通穴が開いています
今は平和に環状線の電車が通りますが
その下には銃弾貫通穴
これはこちら側から撃たれたものでしょう
艦載機は縦横無尽に飛び回って攻撃したようです
終戦間際だったといいますから、その日も暑かったことでしょう
リベットで組まれた高架橋は昭和を耐え、今の令和に語り伝えているようです
こちらの橋脚は耐震補強が施してありました
この通りは歴史の散歩道です
マンホールふたは大阪城と桜のデザイン
歩道の柵も太閤さんらしいでしょう
駅前のアーケード商店街
勾玉デザインの駅に戻りました
何か意味不明の歩道上の丸い塗装
若い人たちがスマホを持って並んでいるカフェ
またゆっくり来よう
改札からホームに上がります
バリアフリーで手すりが付いていますね
次の電車がやって来ました
線路はかなりカーブしていますね
やって来た223系は奈良の加茂行きでした
玉造駅から寺田町駅に戻りました
ここには古い駅名標が残されています
日中は信号機の照り返しで逆光になるほどの強い光
暑っい!!
阪急の京都線では停電があったようです
弁天町まで来ました あ、ここにはまだ公衆電話があったんですね
国際電話もできるようです
夕方にはまた雨、、、
とてもとても暑い日の玉造駅付近探訪でした。