朝夕は、すっかり過ごしやすくなりました。
今年は夏が猛暑続きで長かった半面、秋は束の間で終わりそうですね。
今朝も5時に起床し、軽くストレッチしてから朝の散歩に出かけます。
まだ外は暗いので小型懐中電灯を持参して家を出ます。
今朝の起床時の血圧は、140/83/56と少し高めでした。
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最近は曇りの日が多くて、朝の6時には太陽は雲の中に隠れています。
雨でないかぎり、最近は毎日のように里山まで散歩に出かけます。
足腰の痛みも少しはありますが、無理しない程度に歩いたほうが痛みも消えます。
足腰は鍛えられていいのですが・・・・・????
ある先生(医師)によると、下半身たけでなく上半身も鍛えないと・・・・
認知症などになって「はいかい老人」になるみたぃ。
上半身を鍛える運動などしたことがないのでチヨット心配です(笑)。
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●これより先は、昨日の日曜日の女子マラソンの画像と、
私と「しん子さん」さんのフルマラソンの画像と、
今から約31年前の「大阪国際女子マラソン」に初めてフルマラソンを走った
「○○ちゃん」の思い出の画像になります。
日曜日は妻の「しん子」さんのデイサービスはお休みになります。
昨日は朝の8時~東京の国立競技場発着のコースで行われた「女子マラソン」が
あったので、「しん子」さんと「女子マラソン」を見て楽しみました。
残念ながら雨が降り続く中での熱いレースでした。
この画像は、35㎞を過ぎた地点での3位&4位のランナーだと思います。
ここ最近は「女子マラソン」も見てなかったので、ランナーの名前は分かりません。
この大会の上位2位までが「パリ2024マラソン女子日本代表」に内定するそうです。
●ゴールまで、まだ約7㎞ほどあります。
まだ、まだ、上位2位までの可能性は十分あります。
フルマラソンの35㎞過ぎたあたりから、かけ引きが始まります。
この大会で優勝した「鈴木優花」さんです。
35㎞地点までは、確か、3位集団あたりだったと思います
その後、トップを走っていた
「一山 麻緒」を追い抜き、そのまま彼女が1位で優勝しました。
タイムは2時間24分9秒でした。
●女子で2時間20分台とは凄いですねー。
2位の「一山麻緒」さんです。
35km過ぎても、彼女が1位を走っていたようだけど、いつの間にか鈴木に追い越され・
後方からは3位のランナーからも迫られて苦しい展開になりましたが何とが逃げきりました。
この二人が、バリ2024マラソン女子日本代表に内定しました。
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この画像は私がフルマラソンを走っていた時にカメラマンが撮ってくれた写真です。
これは、まだスタート地点のようですね。 ゼッケン5490みたいです。
マラソンを始めたのは、妻の「しん子さん」のほうが先で先輩です。
私が後からマラソンを始めました。
まずは、走れるようになるための基礎体力作りからスタートし・・・・
フルマラソンを走るようになるまでの間、約3年間程度はかかったかと思います。
妻の「しん子さん」の画像です。
この大会は「小豆島のフルマラソン」の写真ですね。
誰でも、練習をすれば30㎞~35㎞ほどまでは走れるようになると思いますが、
42.195㎞を完走するのは。。。。なかなか難しいです。
タイムには関係なく最後まで走って完走するのは、とても苦しいです。
私も、妻の「しん子」さんも、
35㎞過ぎた後は走れなくなり何度か後は歩いてしまいましたね(笑)。
厳しい練習を 繰り返し 繰り返し たゆまず努力して、、、、
なんとかフルマラソンを完走するこが出来るようになりました。
●国際マラソン大会に出れるまでになるのは・・・・・・
ほんの少人数の素質のある方かと思います。
●以下は、
1992年に行われた「大阪国際女子フルマラソン」の「○○ちゃん」の画像です。
今から約31年前の写真です。
しん子さんのアルバムの整理をしていて出て来た写真になります。
現在は、普通一般の「女性」として日々暮らしているみたぃなので、正式な氏名は出さず
写真にはボカシを入れました。
彼女の「サイン」です。
左の端が「彼女です」。バルセロナオリンピックの女子マラソン大会後の1994年
の写真かと思います。彼女の右に立っているのが「私」です。
右の端に着物姿で立っているのが、妻の「しん子」さんです。
真ん中にいるのが・・・・彼女です。
後ろに立っているのが、私妻の「しん子」さんです。
「大阪国際マラソン」で初めてフルマラソンを走り「優勝」し、「日本新記録」を達成し
後にバルセロナオリンピック女子マラソン代表に選ばれました。
ちなみに、このバルセロナマラソンには、有森裕子さんも参加していましたね。
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女子マラソン史上、最も熾烈を極めた、バルセロナ五輪の代表選考。
有森裕子と松野明美が最後の最後の3枠目を争う傍らで、過酷な運命を歩んだ女性が
いたみたぃ。アスリートなら誰もが憧れるオリンピック。
しかし、今から31年前の、バルセロナ五輪女子マラソン代表に選考された
全く無名の「彼女」にとっては、そうではなかったみたい。
オリンピックに出たくない」。これが当時の「彼女」の偽らざる本音だった・・・。
当時20歳の「彼女」が、そこまで追い込まれていたなんて、、、知る人は少ないと
思います。
私と妻「しん子さん」の二人が初めて彼女と直接お会いしたのは1994年12年18日でした。
その時は全くそんな話を聞くこともなく、この15日の日曜日の「女子マラソン」を見終わって
から後に彼女が今、どうしているか少し気になってネットで検索してみると、色々な記事が
掲載されていて、初めて知りました。
当時20歳だった彼女も今は51歳になっているかと思います。
追伸
彼女は今は普通の一般人なので、あえて実名は控えました。
もし、気になる方がいたら彼女の実名を書いてネットで検索して下さい。
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