8月に入りました。
天気予報によると、今日も、最高気温は37度を越えるとのこと。
8月になっても、しばらくの間は、今後も猛暑が続くようですね。
●8月中は、里山へのお出かけも中止することにしました。
朝方になって・・・不思議な夢を見ながら>>>目が覚めました。
どうやら、、、「私の新しい就職先が決まったらしい」ー????。
しかも、「全てを私に一任して任せてくれる」とのことー。
とても嬉しい気分になったところで、・・・目が覚めました。
今朝は少し曇っていたのですが、朝の5時半から朝の散歩に出かけました。
今朝は・・・河原沿いを散歩しました。
別に目的地のない・・・散歩です。
朝の散歩(ウォーキング)と、、、里山歩きとの違いは、特には、ありませんが・・・
強いて言えば、散歩は平地を歩きます。
出かける目的の場所を事前に決めておく必要もありません。
里山の場合は、目的地>>>「山頂」があります。
山頂まで登れば、必ず下山しなければなりません。
7月は「しん子さん」の食欲が減退していますが、、、
体重そのものは全く変化ありませんー。
むしろ少し太り気味で・・・50㎏少々あります(笑)。
ちなみに、最近は私氏自身の食欲もあまりありません。
食事後はオリンピックのテレビを、しん子さんと共に見ます。
特に柔道を見ることが多いですねー。
●しん子さん、曰く「お父さんも昔、柔道してたねー」・・・と。
昔の古い事は実に鮮明に記憶が残っているみたぃですね。
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以下は>>鳥取県にある・・・冬の「大山の別山パットレス」の画像に
なります。(画像は、youtube等々から一部お借りしました)。
猛暑の続く8月に・・・
雪降る寒い冬の「大山の画像を」どうぞ・・・
伯耆大山は中国地方の最高峰の山で、標高、1729mの山ですねー。
2.000mに満たない山ですが、、、全国各地から「登山愛好家」が
来られる魅力的な山ですね。
四国の「石鎚山」は、標高1.982mで「鳥取大山」よりも少し高い山なのですが、
四国には、あまり雪は降らないので・・・毎年、冬になると、
私たちも昔から「鳥取大山」へ出かけていました。
●画像は=「鳥取大山の別山バットレス」と言う雪の岩壁を登るコースです。
まだ、瀬戸大橋も開通していない時は、、、夜の6時頃~車で出発して、
翌朝の4時~6時頃には、別山バトレスの岩壁に取りつきます。
●画像の真ん中あたりに見える細い尾根が、登山用語で言う「ナイフリッヂ」ですね。
つまり、ナイフの刃のように鋭く切り立った尾根を歩きます。
左右とも、雪で覆われた深い谷になっています。
踏み出す足を一歩間違えば、、、命取りになる>>危険を伴うコースですね。
●これまでの私の、山の記録や写真は全て捨ててしまいましたが、最近になって・・・
2000年11月に発行された一冊の機関紙が出てきました。
その中に、私が投稿した記事の一部に「冬の大山別山バットレス}の記事が
載っていたので一部、UPしますね(笑)
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石鎚山でテントを張り夜明けまで人生を語りあったNさん。
冬の京都北山はとても寒くて資材置き場で一夜を明かしたメンバーたち。
結婚式を間近に控えてビッケルで顔に切り傷をつけてしまったK子。
決して器用ではなかったけれど、いつもマイペースで決してバテることの
なかったT君ー。
暴風雨で避難したオカメ岩で一夜を共にしたY子も、今は母親にー。
●冬の大山バットレスで二人だけとり残されてしまったS子・・・
いつも、意見が対立しましたねー。
思い起こせばきりがありませんが、もう久しくお会いしていない若い頃の
山の友たちです。
みんな、日本の何処かで、今、元気で暮らしていることでしょう。
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冬の大山バットレスで二人だけとり残されてしまった私とS子。。。。
私が20代後半? 彼女は20代前半だったと思います。
私は、いつも軟弱で優柔不断・・・S子はいつも前向きで活発な女性。
いつも意見は対立していましたが、何故かー? お互いに「気が合って」いました。
いわゆる・・・気の合う「ザイル・パートナー」でした。
あの日、あの時の「大山バットレス」での会話まで、今も鮮明に残っています。
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別山バットレスの核心である「ナイフリッヂ」で彼女の前を歩く私の足が、
突然止まりました。私と彼女は、お互いにザイルで結ばれています。
私が、谷に滑落すると、彼女も共に死んでしまう。
それだけではない・・・遺体すら、春の雪解けまで収容できないー・
足の止まった瞬間に、いろいろな思いが、交錯していました。
このナイフリッヂが、私はマジで怖かったのです。
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その時、私が発した「言葉」を今も鮮明に覚えています(笑)。
「俺には妻子がいる、今、お前とここで心中することは出来ん」。
冬の大山別山バットレス・・・
あの日、あの時~約40年ほど経過しました。
彼女も・・・もう、お孫さんがいてる年齢になっていると思われます。
老いてなお今も、もう一度、山行を共にしたいと思う「山の友」がいます。
●この時に参加していたメンパーを中心に翌年は「ヒマルチュリ」7800m
遠征登山が計画されへ山へ出かけましたが、2人が帰らぬ人となりました。
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以下は・・・・YUTubeの「大山別山バットレス」の動画になります。
どんな山かー? 関心のある方は、ご覧になって下さい。
【雪山登山】伯耆大山 別山バットレス中央稜
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