茶の湯の神髄は茶事の中にある
(小西宗和著「茶の湯入門」より引用)
一服のお茶を心を込めて点て、お客様においしく飲んでいただく。
お客様も亭主の心入れに感謝をする。
それが茶の湯のもっとも大切な心得である。
茶道の決まりごとは400年以上かけて培われてきた合理性である。
例えば、茶碗の正面を向けてお客様にお出しするのは、
いちばん美しいところを見せるためだし、
茶 . . . 本文を読む
詩を味わうこと
無駄や余分を排除して合理化してしまうと
確かに効率的かもしれませんが
どうしても、ものの考え方や人間関係が味気なくなります。
人間はすべったり転んだり悩み苦しみながら
時には無駄なことも経験して生きていく。
そこに深みや味わいが出るのではないでしょうか。
時代を越えて今も残る名詩には
人々の胸を打つ言葉の力や詩情が満ち溢れています。
今の人たちに足りないのは心の余裕でしょう。
. . . 本文を読む
朝 校門前を掃く。
春は満開の桜が生徒を迎えるのだが
掃いても 掃いても落葉が溜まる。
毎日が自然との闘いだ。
自然の美しさと
掃き清められた美しさ
どちらが真の美しさなのか。
そんなことを考えながらも
吹き溜まりの落ち葉が目に入ると
条件反射のように
竹箒を取りにいく自分がいる。
他の誰かが
清々しさを感じてくれたら
なおさら嬉しさが増すだろう。
掃除は自分の心を清らかにする。 . . . 本文を読む
「おはようございます」と声かけて
元気よくあいさつが返ってくると
とても うれしくなる。
こちらが気づいてない時に
「こんにちは」とあいさつされて
ふり向いた向こうに笑顔が並ぶ。
こんなときは じわっとうれしくなる。
横断歩道で赤信号を待っていたら
道を隔てた側の歩道を
女生徒が3人下校してきた。
青信号で私が歩き出すと
揃った元気な「さようなら」が
道路を越えて飛んできた。
校外の会議で疲 . . . 本文を読む
夕暮れの街角
数メートルの幅しかない道路の信号が
青の点滅になった。
そのとたん、走るのをやめ、
足踏みをしてじっと待つ部活動の中学生。
そんな生真面目な姿を
とても微笑ましく思った。
市の大会。
開会式前のまだ誰もいないフィールドに
無言で「前に倣え」をして整列し
腰を下ろして待つ選手たち。
「5分前!」の放送があって
ぞろぞろと列をなす他の学校の選手たち
厳格なほどマナーを大切にするチーム . . . 本文を読む
「あたりまえ」の基準は
属する集団によって異なる。
水が低いところに集まるように
人の意識も易きに流されがちである。
しかし、低いところに澱んでいても
自分を輝かせることはできない。
高いところから流れ落ちる水は
しぶきを上げ 透明な光を放つ。
水は高さのエネルギーで流れ出すのだ。
この世に生を受けた以上
精一杯光を放ち
いのちを輝かせよう。
高く跳び上がるためには
しっかりした土台が必要 . . . 本文を読む
4月の先生は厳しいぞ
あたりまえのことが
あたりまえに
できるようにするために
中学生としてのプライドを
身につけさせようと
心を鬼にして
目をカッと見開いて
みんなを見ているぞ
先生に言われる前に
自分で気づく
一歩先を進もう
気づかない友がいたら
ちょっとサインを送ってやろう
”わたし”のプライドのために . . . 本文を読む
人前で何かをするのは
誰だって恥ずかしいんだ。
でも、人は見られて成長する。
ふるえる緊張の中でこそ
君の一挙手一投足が磨かれていく。
上手くなりたかったら
堂々と真ん中でやれ。
下手だからと隅に隠れず
自ら進んで人前に出ることだ。
人の目が、
君をたくましく
磨き上げてくれるのだ。
人に見られるから美しくなる。 . . . 本文を読む
清掃
掃除は自然と人間との闘い
毎朝箒を手にして挑んでも
次の日はまた同じ
繰り返しである。
だが、歩道に掃き目が残るとき
清々しさを感じる
きれいになったと感じるのは
清められた場にいた経験があるから
掃き溜めた枯葉を手で掬うと
かさかさと乾いた音を立てる
夏の終わり
箒が掃った枯葉の下で
翅半分になった油蝉が転がっていた
枯葉も虫も役を終え
再び土へと還っていくのだ
掃除は生命の謎を . . . 本文を読む
ちょボラのすすめ
ボランティアとは
自らすすんで行動すること
人から言われてするのではなく
その自発性がいのちである
人から指図されるのが嫌な私は
そのくらい オレがやってやるさと
横着なくらいの気持ちで動く
人がしないことをやってやるんだ
誰からも気づかれなくても
やることに意味がある
他人から喜ばれて
結局 自分の心が 一番嬉しがる
ボランティアって
自分のためにすることなんだ
ちょっとだ . . . 本文を読む