「1-2の詩」は、道徳のカテゴリーに入れましたが、学級づくりと重なっています。
私が、学級担任をしていた後半10年間ほど、学級びらきの日に教室背面の壁に掲示したものです。
もちろん、1-2は、学年・組ですから、年度ごとに替わります。
”学級びらき”の日、この詩にこめた思いを生徒たちに語ります。そして、次のようなホームワークを与えます。
1の2の仲間たちへ(自己紹介資料)
私の名前は
. . . 本文を読む
『1の2』の詩
独りぼっちの人間は弱い
だから ついなまけたり
楽をしようとする
何かあるたびに
「しっかり勉強しよう」
「今度こそは」
「心を入れかえてがんばろう」と思う
しかし いつだって
その気持ちはくじけてしまう . . . 本文を読む
朝 校門前を掃く。
春は満開の桜が生徒を迎えるのだが
掃いても 掃いても落葉が溜まる。
毎日が自然との闘いだ。
自然の美しさと
掃き清められた美しさ
どちらが真の美しさなのか。
そんなことを考えながらも
吹き溜まりの落ち葉が目に入ると
条件反射のように
竹箒を取りにいく自分がいる。
他の誰かが
清々しさを感じてくれたら
なおさら嬉しさが増すだろう。
掃除は自分の心を清らかにする。 . . . 本文を読む
2015年10月19日の夜中に、ふと思い立って立ち上げたブログでしたが、実質3日間で予想以上の方に見ていただいていることに驚いています。
勤務していた中学校の廊下にある掲示板を任されて数年間、中学生の姿から思いつくまま記したことばを拙い筆書きで表現してきたものです。
まだ始めたばかりなのであくまでも今後の目標ですが、道徳の授業の中で表現された生徒たちのキラッと光る感性や、いじめの問題をどう克 . . . 本文を読む
「おはようございます」と声かけて
元気よくあいさつが返ってくると
とても うれしくなる。
こちらが気づいてない時に
「こんにちは」とあいさつされて
ふり向いた向こうに笑顔が並ぶ。
こんなときは じわっとうれしくなる。
横断歩道で赤信号を待っていたら
道を隔てた側の歩道を
女生徒が3人下校してきた。
青信号で私が歩き出すと
揃った元気な「さようなら」が
道路を越えて飛んできた。
校外の会議で疲 . . . 本文を読む
夕暮れの街角
数メートルの幅しかない道路の信号が
青の点滅になった。
そのとたん、走るのをやめ、
足踏みをしてじっと待つ部活動の中学生。
そんな生真面目な姿を
とても微笑ましく思った。
市の大会。
開会式前のまだ誰もいないフィールドに
無言で「前に倣え」をして整列し
腰を下ろして待つ選手たち。
「5分前!」の放送があって
ぞろぞろと列をなす他の学校の選手たち
厳格なほどマナーを大切にするチーム . . . 本文を読む
「あたりまえ」の基準は
属する集団によって異なる。
水が低いところに集まるように
人の意識も易きに流されがちである。
しかし、低いところに澱んでいても
自分を輝かせることはできない。
高いところから流れ落ちる水は
しぶきを上げ 透明な光を放つ。
水は高さのエネルギーで流れ出すのだ。
この世に生を受けた以上
精一杯光を放ち
いのちを輝かせよう。
高く跳び上がるためには
しっかりした土台が必要 . . . 本文を読む
4月の先生は厳しいぞ
あたりまえのことが
あたりまえに
できるようにするために
中学生としてのプライドを
身につけさせようと
心を鬼にして
目をカッと見開いて
みんなを見ているぞ
先生に言われる前に
自分で気づく
一歩先を進もう
気づかない友がいたら
ちょっとサインを送ってやろう
”わたし”のプライドのために . . . 本文を読む
人前で何かをするのは
誰だって恥ずかしいんだ。
でも、人は見られて成長する。
ふるえる緊張の中でこそ
君の一挙手一投足が磨かれていく。
上手くなりたかったら
堂々と真ん中でやれ。
下手だからと隅に隠れず
自ら進んで人前に出ることだ。
人の目が、
君をたくましく
磨き上げてくれるのだ。
人に見られるから美しくなる。 . . . 本文を読む
清掃
掃除は自然と人間との闘い
毎朝箒を手にして挑んでも
次の日はまた同じ
繰り返しである。
だが、歩道に掃き目が残るとき
清々しさを感じる
きれいになったと感じるのは
清められた場にいた経験があるから
掃き溜めた枯葉を手で掬うと
かさかさと乾いた音を立てる
夏の終わり
箒が掃った枯葉の下で
翅半分になった油蝉が転がっていた
枯葉も虫も役を終え
再び土へと還っていくのだ
掃除は生命の謎を . . . 本文を読む