2017/04/18 安城市で歴史の散策道を歩く。(南桜井駅から堀内公園駅)
✿三河一向一揆
永禄6年(1563)から永禄7年(1564)まで半年間行われた一向一揆で、松平元康(家康)の家臣が強引に兵糧米を徴収に端を発し、本願寺派寺院との間の勢力均衡が崩れ、不入権を主張する三河本願寺教団の拠点で三河三ヵ寺(本證寺、上宮寺、勝鬘寺、本宗寺)と領地内に支配の及ばないことを不服とする松平元康(家康)との間に戦いとなった。そして勝敗を決することなく和議が成立した。しかし、その後家康は三ヵ寺に改宗を強要し、三ヵ寺は反対しため、寺は破却された。天正十一年(1583)に石川妙春尼(乳母)の請いで赦免され、20年ぶりに本願寺派寺院の再興が認められた。
✿本證寺(ほんしょうじ)真宗大谷派
寺伝によると、開祖は建永元年(1206)ごろ、親鸞の教化をうけた慶円(きょうえん)と伝える。
永禄六年(1563)の三河一向一揆では、三河三ヵ寺の中心として松平元康(家康)軍を相手に戦ったが、約5ヶ月後には敗れ、一時は廃絶した。天正十一年(1583)徳川家康が門徒の禁制をといたため、本證寺も再興され現在のような広大な伽藍に戻った。
境内地は二重の堀で、全国的にも珍しい城郭伽藍(国史跡)の形態であり現在も内堀と土塁が境内に残り、外堀は数ヵ所に残っている。
山門
石標
◇説明板
◇本堂(県文化財)
一揆から100年後の寛文三年(1663)に再建された。
◇堀から本堂を望む
◇本堂と庫裡間の堀
◇鐘楼(市文化財)
元禄十六年(1703)に建立された。優れた彫刻も牛久保(豊川市)の宮大工「岡田五左衛門」作と云う。
8本柱の特徴をもつ
◇裏門(市文化財)
18世紀前半に建立された、「薬医門」形式と云う。
◇鼓楼(市文化財)
宝暦十年(1760)の建立で、内堀の隅で石積み上に建つ姿は城郭の隅櫓を思わせ、城の見張櫓を思わせる重層の鼓楼である。
◇経蔵(市文化財)
文政六年(1823)の建立。
◇庫裡
文政十三年(1830)に一部を他から移築して再建された。
◇境内の土塁
◇境外の堀
✿蓮泉寺(れんせんじ)真宗大谷派
小川城主石川正康公の由緒碑に「小川城の一廓に一宇を建立した、康頼は蓮如上人の弟子となり明了と称した。これが蓮泉寺開祖である」と刻印されていた。
石標
本堂
◇小川城主石川正康公之墓所
✿護法有志の墓(殉教石川台嶺師僧俗四十余名之墓所)
明治四年(1871)三月、神仏分離令にもとづき菊間藩大浜出張所は、寺院の統廃合を実施しようとした。これに反対する真宗の僧侶と信者の農民多数が鷲塚(碧南市)に出向き、撤回を求めて交渉したがまとまらず、役人一人を殺してしまった。蓮泉寺の住職をはじめ、僧侶、農民が処罰された「大浜騒動」の分骨塚です。
✿加美古墳(加美地蔵尊)
✿王塚古墳
✿秋葉神社
✿姫小川古墳「浅間神社」(国指定)
碧海台地の端に位置する前方後円墳で、現在は後円部の墳丘上に浅間神社の神殿が建っている。時代は五世紀代とみられる。
古墳石標 神社石標
神社参道
✿姫塚古墳(市指定)
墳頂には「姫宮墓」と刻まれた宝筐印塔がある。
墳頂
✿崖古墳
✿姫地下拡(市指定)
✿誓願寺(せいがんじ)真宗大谷派
境内の周辺に堀や土塁の痕跡が見られる城郭寺院です。
山門
山門前の堀
本堂
◇内藤重清墓所
◇真宗墓碑(市指定)
自然石の墓標
✿菩提寺(ぼだいじ)浄土宗
桜井松平氏の菩提寺です。
石標
山門
本堂
弘法大師霊場
✿百塚古墳「八幡社」
✿桜井戸跡(市指定)
聖徳太子が当地に巡幸の際、お杖にて桜樹の下を掘り給うたところより湧水したと伝える井戸です。
井戸
✿円光寺(えんこうじ)真宗大谷派
三河一向一揆の時に本證寺と武勇を称えられています。太鼓楼が印象的な城郭寺院です。
入口
本堂
鼓楼閣
鼓楼閣
✿碧海山古墳(市指定)
✿堀内貝塚
✿堀内子供薬師
✿堀内古墳「天神社」(市指定)
七世紀ごろの円墳で、墳頂に社殿が建てられていることから「天満山古墳」とも云う。
天満古墳の石標
神殿
「天皇」刻印の祠はなぜ?
以上