2018/11/13 岐阜県可児市の美濃金山城跡を訪ねた。
天文六年(1537)斉藤大納言が烏峰城に入城、後の永禄八年(1565)信長から森可成(よしなり)に烏峰城が与えられ金山城に改称された。城主森可成から森長可(ながよし)となり小牧・長久手の戦いで長可死去ご忠政(弟)に城主が継がれた。慶長五年(1600)忠政は国替えとなり慶長六年(1601)に廃城となった。
天正十年(1582)六月本能寺の変で死去した森乱丸(蘭丸)はここの金山城で生まれたと伝える。
兼山地区センタ
〇美濃金山城跡(国史跡)
本丸の標高276mで城下町とは約170mの高低差がある古城山の山城です。
城跡登口 出丸
案内板 大手枡形
二の丸の石垣
東腰曲輪
金山城趾石標
本丸より城下を望む
本丸の礎石
本丸より木曽川の下流を望む(今渡ダム)
〇兼山湊跡
江戸時代に可児、加茂、土岐域の塩を扱う場所であり、岩村藩や土岐郡内の村から年貢米もこの湊から出したと伝える。
・常夜灯は天保七年(1836)で一帯は県の指定史跡となっている。
湊入口の常夜灯 湊から見る石段と常夜灯
〇専養寺(せんようじ)日蓮宗
徳野藩主(第二代)平岡頼資公墓がある。慶長九年(1604)家康に召し出され美濃国内に1万石を与えられ徳野藩を立藩したが、頼資の子で頼重は家督相続が認められず幕府によって徳野藩は廃藩となって1000万石の旗本として存続したと伝える。第一代藩主は平岡石見守頼勝である。
山本家は江戸時代酒造業を営み、尾張藩に納める御用金を任されていた豪商で代々兼山村の宿長を務めたと云う。
石標 山門
本堂
平岡頼資公墓所 山本家墓所
〇浄音寺(じょうおんじ)浄土宗
烏峰城城主斉藤正義の墓所があり、山門は鳥峰城裏門の移築と伝える。
山門 本堂
〇可成寺(かじょうじ)臨済宗
森家(森可成、長可)の菩提寺で森三兄弟(乱丸、坊丸、力丸)の墓がある。
石標 山門と石標(森武蔵守長可公廟所)
本堂
工事中で廟所へは入れない 以前に訪れた時の墓碑
〇常照寺(じょうしょうじ)真宗
妙向尼の墓所がある。妙向尼(えい)は森可成の妻であり森蘭丸の生母でもある。
山門 本堂
妙向尼(森蘭丸の生母)墓碑
以上