言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより
言葉と言えるほどのものが無い
今日の朝刊のコラム「折々のことば」(鷲田清一)は、
1982年の茨木のりこの詩集「寸志」からこの一節を紹介し、
前首相から現首相へと引き継がれた「空虚な饒舌」を揶揄
しているかにみえる。
そして「人びとはもはや言葉を信じていない」と続けて、
詩人はそこに「亡国のきざし」を見た、と結ぶ。安部君や
菅君の空虚な饒舌も歴史があるのである。
先月末の菅首相の記者会見に同席した尾身分科会会長が、
国民と危機感を共有するためになすべきことはと問われ、
「ひとつは言葉ですね」と答えたという。
尾身さん、貴方が言わんとすることはよく理解できる。
ほんとうに久々に晴れた昨日、真昼間の散歩から
長く続いた雨で河川敷が矢印まで冠水したようだ
これが矢印の坂道
冠水した河川敷に降りる
盆休みが終り流山橋の万年渋滞が戻る
緊急時物資荷揚げ用の三郷港
武蔵野線の鉄橋下、江戸川の本流は茂みの向こう側
30℃を越えていてそろそろ限界、ここで折り返し