生命倫理学者・粟屋剛氏の講演を聞く。
死ぬとはどういうことか、
死の定義、死の原因、死の意味、死がもたらす生への影響、
多岐にわたる観点から死について語られる。
氏は、徹底的に死を分析し、
客観視する。
客観視することでしか、
死の恐怖から逃れられないと、
あまりにも死の恐怖が強いため、
生を特別視することを避けているようにさえ感じられる。
氏の考えを聞き、
気持ちが少し楽になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生まれた瞬間から死ぬことは分かっているのに、
何のために生まれてくるのだろう。
生きることに、どんな意味があるのだろう。
そもそも、
人間の存在は、何を意味するのだろう。
この問いは、
古今東西をとわず人類と共にあり、
答えは知らない。
知っている人がいるのかどうかも知らない。
だから、このことについては、
ずっと考えているが、
考えてはいけないのかもしれない。
だからこそ、
ペンタクルのクイーンが出るとほっとする。
答えは知らないし、答え自体があるのかどうかも知らないが、
ともかく、それで良いのだと言ってくれている。
良いとは、
生きていること、である。
生きている、この事実のために、
自分がなしていること、である。
ただ一つ、
ペンタクルのクイーンが良いということの中核から、
慈しみを外すことはできない。
慈しみの心を持つならば、
それで良いのだという。
しかし、
ここでまた、
悩まねばならない。
慈しみとは、
そして、
その心を自分は持っているのか、と。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます