もうすぐ、新しい季節がくる。
新しい職場、新しい住所、新しい制服や新しい出会い。
別れの季節が過ぎ、湧き上がるような始まりの季節。まさにスプリングだ。
スプリングは、春や泉、跳ねるという意味があるが、
泉を手にしたカップのナイトは逆位置で、馬も跳ねる様子はない。
彼には、春がやってこないのだろうか。
ずっとずっと前、桜吹雪は、まさにこういうことだな、という経験をしたことがあった。
私にも恋する季節はあって、桜吹雪は、失恋と同時にやってきた。
出会いの季節に別れが訪れて、桜吹雪は、それを全部、巻き上げていった。
今思うと、ほんとに漫画みたいにドラマチックなことってあるんだぁ、なんて思うけど、
そのときは、悲しいやら、土埃が目に入るやらで、涙が止まらなかった。
それから幾年月。
今や、カップのナイトを見ても、白馬の王子様などとは思わない。
結局、ナルシストなのよ。繊細なふりして、ほんとは、嫌なことしたくないだけでしょ、なんて
物事を常に斜めから見る癖が。
だけど、今日は、突然あの桜吹雪の日を思い出し、
逆位置のカップのナイトをじっと見つめる。
あの日、学校の裏庭で、古い、大きな桜の木の前。
随分年を取ったその桜の木は満開で、黒い幹と白い花びらが美しかった。
風が本当に強くて、ずっとスカートを押さえていたっけ。
じっと思い出しても、もう、あのときのように、美しい気持ちは湧き上がらない。
逆位置のカップのナイトは私自身。
自分に自信はなくても、好きな気持ちを伝えずにはいられない、
湧き上がる泉のようにきらきらして、透明で、繊細だった私の心。
いつの間に、こんなに鈍くなったのかしら。
何かに夢中になって、心を揺らして、
花びらや風と呼応するように咲いたり、舞ったり。
あの桜の木ように、うんと年をとっても、美しい、白い花を咲かせる心。
もう一度、あのときのように思いを胸に刻みたいと思うけれど、
なぜだろう、刻めるほど、もう柔らかくないんだよね。
なんで、こんなこと、思い出させたんだろうね、タロットよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます