台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

563 ブログ563 ギャンブルに絶対はない。

2013-07-06 17:57:39 | 台湾
麻雀、オートレース、パチンコ、競馬、競輪、競艇、株、
みんな本質は、一緒。絶対はない。そりゃ、勝つこともあれば負けることもあります。
ギャンブルには、リスクが付きものです。
もしかしたら、結婚も似たような性質を持っているかもしれません。
私は、ギャンブルは、大好きです。人生は、ギャンブルだとも思っています。
麻雀に戦術があるとしたら、流れを読む力、気合い、先見性、経験。
ぶれない心。これが一番難しい。お金の問題もありますが、その時の葛藤。
私は、流れを見て、自分の手を見て、ここは、行く。ここは、行ってはいけない。
それぞれ判断しています。ブロほど、冷静ではありません。プロは、これが当たりはこれだと思ったら、絶対切りません。私は、もちろん、切るときは、切ります。
なぜ 、100セントの当たり牌と言い切れますか。なかなかそれは、少ない。これではないか位は、思います。それは、戦術書に書いてあります。ま、どの本も、参考には成ります。けど、最終的に判断するのは、自分。これが一番。おもしろさは、ここにあります。
自分です。レートもするもしないも全部自己責任。
 私は、たまに牌が見えるときがあります。もちろん、錯覚です。けど、その錯覚牌がによく見える。そのことがいいことか、悪いことか、わかりません。
そう言う日は、滅多に負けません。だって、麻雀の神様が近くで教えてくれています。
牌を切ろうとした瞬間。それは、切っては・・・、もちろん、この声に逆らうときも・・・。そうすると・・・、後の声に迷いが生まれます。信じて良いのか、悪いのか。
だから、基本的には、天の声として、信じて打ちます。その天の声を聞いて、負けたこと、ない。だって、一年に一回あるかないかです。そりゃ、毎回俺に神様が降りるわけありませんる
 私のしたギャンブルの中で、結婚は、大正解。私を守り、お金を守り、子供を守り・・・、本当に・・・ギャンブルでした。向こうは、もちろん、○●○●の四文字です。
まったくギャンブルしない人でも、しています。
人生そのものがギャンブルに似ている所があるからです。自分の歩み、その流れ、幾く衝く先、そして、その結果。何が正解かは、死ぬまでわかりません。
私は、人生は、ギャンブルと思っています。おーばーに言えば、私が台湾にいるのも一つのギャンブル。依存症は治るかという人体実験。まるでまるで、森村誠一の731部隊。
細菌実験みたいな物です。
 なまじ勝てるときがあるから、損をする。ギャンブラーの宿命。
そんしても嘆かない。我が人生に悔いは、ない。多少、他の人に迷惑罹ろうが、私は、私は、私の道へ突き進みます
再見。

562 ブログ 562 お酒について

2013-07-06 16:39:32 | 台湾
私は、昔は、酒、ビール等アルコールは、大嫌いだった。学生時代に無理強いされて、飲んだ駄目だと思う。学生時代、先輩が「お、俺の酒や、一気に飲め」と言われ、コップ酒三・四杯飲んで記憶がないことが何度かありました。だから、酒も、ビールも全然飲めませんでした。教員になって、つきあう程度、それも、ビール一杯か二杯。全然おいしいと思えませんでした。
 現在は、毎週酒・ビールを買って、自分で飲みます。最初は、ビール。
その後、お酒。飲むと言っても、一合か二合。時に、三合ぐらいまで・・。話し相手が居れば、いつまでも飲めます。いつからか。五十歳ぐらいの時、飲んでみたら、おいしいと思うようになっていました。最初は、チョーヤの「梅酒」。だから、本質的には、酒は、好きではないと思います。けど、自分の身体が、酒を好むようになったか?
 このころから、「ユーチューブ」で川島英吾とか美空ひばりをよく聞いていました。
酒と歌がよく会うことも知りました。けど、不思議です。
酒が昔から、同じなのに。自分の方が、酒に合う身体になっていたことの方が・・。
だから、嫌いだと思っていた物も、いつか好きになることもあるのですね。
オートレースもそうでした。最初つまらないと思った物がいつの間にか・・・。
人は、変るのですね。その時代、その時代で変ると思う。
 変るきっかけは、覚えているのですが、余り良い気持ちになることがないので、内緒にしてきましょう。
 人は、内緒の部分があって良いと思う。私は、正直に自分の感性をぶつけて、読者から、
そんないいかげんな人が先生ですか、と叱られる。ま、ストレートに物事言うのが好きなのです。あまり、奥歯に、物の挟まった言い方、余り得意ではありません。
だから、本質は、関西系の人間なのだと思います。関東の人は、結構、上品に人と人との距離を作ります。そういうのを社会勉強と言うのでしょうが・・・。余り勉強昔から好きでなかった。ただ自分の好きなことだけは、一生懸命やるタイプ。
後は、いい加減。本当にいい加減に教師生活していました。けど、生徒は、大好きでした。
人間どこか良いところがあるとしたら、私は、人間が好き。生徒が好き。それぐらいですかね。好きな生徒に迷惑を掛ける・・・。どういう訳か、昔から、好きな子に素直に好きと言わず、すこし「いじわる」する生徒いるでしょ。そんな生徒でした。
私が変るとしたら、今度は、日本に帰って、妻が離婚届出していなければ、しあわせにしょうと思っています。もちろん、自信は、無いです。
自分が幸せをつかめないのに、相手に幸せあげること出来ますか。
 ま、まだ、夜は、浅いですが、幸せ論になってきてしまいました。
酒には、不思議な力があります
再見。

561 ブログ561 少し、正直に書きすぎました。 コメントに対して

2013-07-06 16:29:03 | 台湾
 さまざまな日本人 (JAN)2013-07-05 20:36:35私は中国で仕事をしていた時、残念ながら何度も多くのトラブルに巻き込まれてしまい、その都度中国人職員に助けられた記憶が有ります。時には生命の危険も有りました。
中国に入り日々を重ねるごとに私の考え方や思いを理解してくれた職員、そして中国人のネットワークなんでしょうね、それまで会話をしたことのない職員までが協力して私を救ってくれた事が有りました。
日本では到底有り得ない事です。
 でも、通訳の職員たちから聞きましたが、日本語学校の日本人教師が教育以外の、いわゆる性的目的のために入れ替わり立ち代わりでやってきては、日本語を習得して日系企業に勤務したいという生徒たちを物色していた事を被害を受けた当人からも聞きました。だから、現在も日本人の日本語教師については正直不信感を持っています。
勿論まともな方もいらっしゃるとは思いますが、それは比率的にかなり少ないと思っています。
それも勿論、経験からです。
悪意を秘めて純粋な生徒に接する方がいなくなり、純粋な教師が増えてくれることを心から祈ります。
 私は、最初から、性的な目的で、日本語教師を目指しているのではありません。どうも、私の表現が適切でありませんでした。
 私は、現在61歳。そして、日本には、妻子もいます。六一という年齢は、「正直です。」肌、髪の毛、体力あらゆる所に現れます。
 つまり、私に会う人で合う確率は、非常に低い。それでも良いと思っています。
 人と人が知り合うのは、性行為が目的ではありません。どうも、わたしがいつも「下ネタ」をブログに書く物だから、こう誤解されるのも、 無理ありませんが・・・。
 どんなところにも、人と出合いは、あります。一期一会です。だから、それは、単なる先生と生徒という関係であることの方が圧倒的に多い。また、それが普通です。
 今でも、日本にいる教え子と会ったり、連絡を取り合います。けど、それは、人間的なつながりゆえです。人と人のつながり。
なぜ?
それは、その人の魅力としか言いようがありません。好きですか。もちろん。けど、それは、決して性的な関係に入ることのない関係。彼女も私を好きです。こういう関係は、中々理解出来ないかもしれません。
けど、事実なのです。
知り合うきっかけは、教師と生徒ですが、現在は、もうそれを超越しています。
 一般には、理解出来ないかもしれません。
私がブログで性的な事をオバーに表現しすぎたかもしれません。誤解を招く言動したことは、事実ですのでお詫びします。               再見。

562 ブログ 昨日、曜日を間違えました。

2013-07-06 00:18:16 | 台湾
 今日は、土曜日だと思い、つい、「獅頭山」へ登りました。
その間、約三時間。まえ学校で勉強した中国語を最初から聞きました。
最初の方は、良かったのですが、後半全然聞き取れない自分。
もの凄いショック。聴く力、単語、文章全然聞き取れていない、駄目でした。
 大体毎日が日曜日だからと言って、金曜日と土曜日を間違えるのは・・・。
何か、少し狂っているのかもしれません。しかも、気づいてのは、家に帰り、シャワーを浴びて、パソコンの電源を入れたとき・・・。どうも、今日山頂に人が少ない、変だなと思っていました。ま、曜日の勘違いは、兎も角。中国語の方は、深刻
 少し、休んでから、また、一冊目を最初から聞いたら、今のところは、クリアしそうですが、先日コメント。日本語の先生が、中国語が出来ない人は、生徒にも、同僚にも、迷惑を掛けると言っていました。もしかしたら、自分は、そのレベル。 とりあえず、就職活動をしますが、現実を知ったら、再び、学校へ戻るかもしれません。学校は、学校は、どこでも良いです。師範大学でも文化、政治大学でも・・・。
要は、原点に戻るという事です。自分では、それなりにやったつもりですが、現実の聴く力、会話力が思ったよりついていない現実。
 とりあえず、前の教書書が一通り理解出来るかどうか自己チェックしてみます。
その上で対応策を先生とも相談し、考えたいと思います。
 自分積み上げてきたと思った物が、「砂上の楼閣」まぼろし。そんな気もしてきました。まだ、チェックは、一冊目ですら、・・・。
この先に進んだとき、やはり、と言う場合。
 もう一度学校へ戻り学生をする、このままのやり方で、続ける。かまわず、仕事先を探す。
いろいろ選択枝は、あるかもしれませんが・・・。
他の人にとって、どうでも良いことですが、私には、重大な岐路にさしかかっているのかもしれません。
まず、「汝自身を知れ」。
 その通り。
 とりあえず、明日、明後日を使って,チェックしてみます。もちろん、「りゅう」先生にもお願いしてみます。
 ま、こういうことも起こりうることかもしれません。
                                      再見。