台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

566 ブログ566  自分の中国語のレベル

2013-07-07 21:48:33 | 台湾
教科書の一冊目は、大体大丈夫でした。ところが、二冊目現在点検中ですが、本を見て、聞き分けることは、出来るのですが、見ないと、時々わからなくなります。
私のレベルは、まだ、まだ。自分では、そこそこ言えると思っていたのですが・・。
看トンという段階。自分でその使い方自由には、使えない。見て、どうにか、使うことが出来るレベル。自由に物が言える段階には、ほど遠い。
 それでも、日本語の先生になるのですか、とりあえず、受けるだけは、受けようと思っています。中国語がヘタでも、何とかなる学校もあるかもしれません。もし、全くなかったら、もう一度、勉強し直します。学校へ行くか、現在の生活でやるかは、まだ、決めていません。
 甘いと言えば、甘い。日本語教師を舐めていませんか、と言われるかもしれませんが
雇う側が決めることです。読者に雇われているわけではありません。雇う側がもう少し、中国語のレベルをあげてと言われれば、それに従うしかない。まだ、面接受けていません。

物事のわかるという段階で言うと、1書いてあることがわかる。2 見て、書いたり、使いこなすことが出来る。 3 言っていることがイメージ化が出来、自由に使いこなせる。わかるという言葉をある人は、
「わかるとは運動化できること」だという。運動化のなかには、話すこと書くこと描くことが含まれる。要するに外に出して表現できることだ。そこまでイメージを明確化できることが「わかる」ということだという。
 私の段階、まだ2で言葉のイメージ化は、全然出来ない。まだ、やっと単語の意味がわかるレベル。 そのレベルの人間が、日本語は、できても台湾人に日本語を教えらるのか。相手が日本語のイメージ化が出来る人は、わたしは、教えられます。
その段階でない、私の中国語レベルの台湾人に、日本語を教えられるか。
共通の言語は・・・。授業者は、日本語しかわからない。生徒の方は、中国語しかわからない。けど、私の中国語の本を日本語訳したり、逆に、日本語の教科書を中国語に直したり・・・。学ぶ気持ちさえあれば・・・。けど、それでお金、貰えますか。
ブロと言えますか。問題は、そこ。
言語交換なら良いでしょう。けど、あなたは、仮にも、先生。
相手は、お金を払って、日本語を習いに来た生徒。
その授業で、お金貰えますか。
 難しいかも・・・。そんな気もしてきました。
あなたがしているのは、言語交換レベルです。プロと言えないでしょう。そうかもしれません 。
みょうに今日は、自分の書いたことに、納得がいってしまう。
おれは、これから・・・・。
だいじょうぶです。私のレベルが低いとわかったら、勉強し直します。
再見。
 

565 ブログ565 言葉の力

2013-07-07 17:21:59 | 台湾
私は、別に、たたかれようと思ってブログを書いているわけではありません。ただ、自分の安直な表現、性格が文章に出て、それが読者に指摘されることが多くなってきました。
そんなに大まじめに、考えるとブログは、書けません。酒のつまみ程度の物です。あくまで趣味。職業でも何でもありません。だから、あまり厳密に捉えて論じられると、何も書けなくなります。ただ、言葉のもつ力というのは、すごいと思いました。どのように書いたか、改めて読むことが多くなりました。
私は、今まで、作った文章滅多に見直さない。いいや。出しておけば、言いたいことの六七割が伝わればと思って書いて居ましたが・・・。最近読者のコメントが厳しくなり、良い加減に書くと、厳しいお叱りが待っています。
 有り難い反面そんなに、某新聞の社説ではないのです。たんなる話題提供・教え子へのメッセージ、自己の記録程度に考えて居ます。こちらの意図とは、別に様々なご意見があるようです。私は、そんなに厳密に物事を考え居ません。だから、酒の席の雑談、もしかしたら、みんなが元気になれば、いいなあと考えて書いて居ますが・・・・。
 最近のコメントは、硬派が多く、真面目。
私は、マジ面もありますが、はっきり言って、ポンコツ真面目程度。かなりいい加減です。そのいいかげんさが無いと、この61年間は、生きていけません。自己に対する嫌悪は、
少しは、ありますが最終的には、人間自分を好きでないと生きていけない。
なんといいかげんな人なんですか。そんなの許せません。怒りを感じるような方は、読まないでください。そう言う方は、もっと、真面目ブログをお探しになり、そこで持論を公表してください。一番イイのは、ご自分で、ブログをお作り成ることをお勧めします。
 私は、今まで、ブログという物をほとんど見たことありません。ここ何年か。
たまに、他人のを見ます。見たからと言って、コメントは、しません。なぜなら、感性がまったく違うから、どうも、他の人のブログには、ついて行けない。
自分のは、自分の物差し、感性で書きます。御批判があろうと、私の基準・物差しは、もう余りぶれない。そうでしょ。もうそんなに大きい変化、自己変節は、ない。
 若いときは、いろいろな人間の影響で、変るが・・・。もう自分の価値観にそんな変化は、無さそうに思います。ただ一つだけ。正確に書く努力をしていかないと、誤解をされるなと最近思いました。ま、下ネタは、消えることは、無いと思いますが、回数を減らしていく・・・。けど、生きることと性は、切っても切れないテーマの一つ。
ま、無理に書くことはしませんが、自然。
 言葉の力というのは、もの凄いと思いました。こうして文章を書きながら、自分の書いた物に責任のような物を感じるように・・・。一つだけ。あくまで、単なるポンコツ親父の記録。その程度のものです。厳密に考える方は、別のブログに行ってください。私の感性が好き・好きでなくても許せる人だけ、お読みください。
 勝手な事を書きましたが、その程度物です。あまり、ムキにならすお読みください。
                           再見。

564 ブログ564 親子共同体の教育

2013-07-07 17:08:11 | 台湾
私の通ってる図書館で、毎週土・日に親子で、勉強居ている親子が居る。日本ではスポーツの世界では、父と子で同じ目標に向かい、練習していく人が有名人になっている。
一番は、イチロー。これは、もう天才級。天才。宮里親子。さくらパパとさくら。
卓球の福原愛と母親。どれも、一流。世界では、ナブラチルワ。お父さんと娘が有名。
 こういうのは、本人の意志が一番。本人がやりたい、なりたいと行って応援するのは、良いと思うが・・・。果たして、勉強を親が教えるのは、良いことなのか。私は、親から、一度も教わったことがない、また、そう言う時代でもなかった。現代では、就職活動に親が付いて行く時代。そこまでする必要かあるのか、なんか過保護を感じてしまう。
 一人一人の個性。それを大切にしたいというのは、わかる。子供も、10歳ぐらいになると自分の希望・将来の夢が出来る。それに向かって、親子で頑張る、そういう人生のあり方も有りだろう。とくに、スポーツによっては、大変なお金が掛かる。それを負担するだけでも大変。私は、本人が海外で何か勉強したいと言えば、自分が大人に成って行くのが一般的。けど、子供時代に、海外生活すると、自然と言葉は、覚える。それも本格的な発音。当たり前と言えば当たり前。現地の子供と英語は為せば英語。中国語、フランス語、ドイツ語。どんな言語でも、子供時にたたき込むと、自然発音がまったく違う。そう言う意味では、幼児教育というのは、大いに意味ある。そして、その人がその外国語を武器に、社会で活躍できるスキルになる。
 けど、結果は、同じだが、大切なのは、本人の意志。やりたいという気持ちが合っての活動。ところがどうも日本や台湾で見る幼児教育は、「競争」に勝つための教育。親の意志が先行しているように思う。
なんか、そういう早期教育に疑問を感じる。そこに、本人の意志は、本当にあるのだろうか。昔城山三郎氏の「素直な戦士」と言う本を読んだことがある。親子で、受験にチャレンジする物語。私は、世の中お受験ブーム。子供の数少なくなり、その子供の教育に、親子が闘う姿。確かに子供大変。一つの塾が終わると次のお習い事。スケージュールが次から次へと・・。お金の負担も大変だろうが、それをレールに載せる親も・・・。
中国も、韓国も。そういう競争教育。
 確かに大切な人生。私は、一番大切なのは、本人が、自分で自分の人生について考え、自己決定していく過程が一番大切なのだと思う。だから、はじめから、親がレールを引き、子供の人生を牽引していくのは、間違いとは言わないが・・やり過ぎ。
子供が自己決定するまで、待たないと・・・。その「待つ」ことが今日大切な愛情。
後は、それをするための援助。お金がほとんどだと思うが、必要最低限が良いと思う。
自分の人生。自分で切り開く。ただ今日、学費が高すぎる。私らの時代のように、自分のアルバイトで稼げる額ではない。貧富の差は、ここに出る。今二部の学費は、・・・。一部の半分として、自分で稼げる額を超えている。
 もうすぐ参議院選挙。日本の高い学費を三分の一ぐらいに政治の力でしてくれるような政府が出来て欲しいものだ。
千恵さんにこういう親のありかたを中国語で何というのか聞いたら>「過份関心」 と言うのだそうです。子供関心を持つことは、大切ですが、過干渉になりすぎないように・・・。そう言っている私は、全然娘に教育に関わり持ちませんでした。これも、まだ失格。適当な、親子共同体が一番。その「適当」がとても難しい。賢いあなたたち、大丈夫でしょ

再見。