物事を対立的に考える方法で、ディベイトという方法がありました。
今思うと、最初からはなかったから、1980年代後半かな 。
自分でも、この方法を使うと生徒が面白いように発言する。
討論に近いが、普通にに討論をしようとすると全然しない。ところが。ある程度、何回か、ディベイト後は、ある程度討論の楽しさを味わった生徒達が乗ってくる。
テーマは、分かり易く「この世の中、男が得、女が得」など簡単なテーマ。
その理由となることを五つ上げさせ、それについて論争させます。そして、最終判断は、聞いている生徒たち。五人か六人のグループを作り、6グループで競い合いました。
クラス全体が討議することが好きになり、何が正しいか、多面的に考えるようになります。中学生でも、ほぼ大人に近い論理力を持っている生徒も居ます。それと、感情がはいり、エキサイトしますが、それは、あくまで議論上のこと。
昔は、こういうディベイトは、なかった。今、全国ディベイト甲子園というのがあり、全国大会まであるようになってきた。日本人は、人前で意見を言うのは、苦手な民族。
大体日本の教育は、討論とか。対立的に考えるというのは、まったくしていない。
先生が賛成の者、反対の者。それで少し議論することがありますが・・・。ま、ほとんど自己主張をすることなく、教育が終える。
少なくとも、私は、大学を除いて、人前で意見を言ったのは、たった一回。
前にブログに書きました。それこっきり。話すことも好きでなかったし、恥ずかしがり屋。だから、人の言うのを聞いているのが好きでした。自分が発言し、人と討論するようになったのは、大学のゼミ。大学生になって、初めて、ディベイトの様な学習形態を学びました。結構やってみると楽しい。それと、その人の考え方、道筋がよくわかる。
頭の良い人は、どっちに行っても、討論自体が好きらしく、乗ってきます。
今、国際化が叫ばれていますが、人前で意見を言うことは、大切なことですが、どうも、アジア圏の人達は、先生に質問も少なく、聞くことが好きなようです。ところが、欧米系の人達は、わからないことは、直ぐに質問し、納得いくまで聞いてきます。
日本の教育を受けた人間にない資質を欧米系の人達は、持って居ると言うことです。
恐らく、それは、教育の違い。日本の教育は、一斉授業。教師の話が中心。生徒は、聞き理解する活動。ところが、欧米では、教師は、テーマを投げかけ、生徒同士が議論。
討論することになれている。その違いがすべての活動に出ている。彼らは、自分の納得がいかないことは、とことん追求。その辺の違いが、国民性に出て来る。
これからの日本の教育にも、ディベイトというな議論すること自体を楽しむ授業が合っても良いように思います。 議論することで、人前で意見を言うことを恐れない人間になります。日本人は、あまりにも、言わなさすぎ・・・それでは、国内は、何とかなるがね国際社会では生きていけない。ある程度の自己主張の出来る人間が必要に思う。
再見。
今思うと、最初からはなかったから、1980年代後半かな 。
自分でも、この方法を使うと生徒が面白いように発言する。
討論に近いが、普通にに討論をしようとすると全然しない。ところが。ある程度、何回か、ディベイト後は、ある程度討論の楽しさを味わった生徒達が乗ってくる。
テーマは、分かり易く「この世の中、男が得、女が得」など簡単なテーマ。
その理由となることを五つ上げさせ、それについて論争させます。そして、最終判断は、聞いている生徒たち。五人か六人のグループを作り、6グループで競い合いました。
クラス全体が討議することが好きになり、何が正しいか、多面的に考えるようになります。中学生でも、ほぼ大人に近い論理力を持っている生徒も居ます。それと、感情がはいり、エキサイトしますが、それは、あくまで議論上のこと。
昔は、こういうディベイトは、なかった。今、全国ディベイト甲子園というのがあり、全国大会まであるようになってきた。日本人は、人前で意見を言うのは、苦手な民族。
大体日本の教育は、討論とか。対立的に考えるというのは、まったくしていない。
先生が賛成の者、反対の者。それで少し議論することがありますが・・・。ま、ほとんど自己主張をすることなく、教育が終える。
少なくとも、私は、大学を除いて、人前で意見を言ったのは、たった一回。
前にブログに書きました。それこっきり。話すことも好きでなかったし、恥ずかしがり屋。だから、人の言うのを聞いているのが好きでした。自分が発言し、人と討論するようになったのは、大学のゼミ。大学生になって、初めて、ディベイトの様な学習形態を学びました。結構やってみると楽しい。それと、その人の考え方、道筋がよくわかる。
頭の良い人は、どっちに行っても、討論自体が好きらしく、乗ってきます。
今、国際化が叫ばれていますが、人前で意見を言うことは、大切なことですが、どうも、アジア圏の人達は、先生に質問も少なく、聞くことが好きなようです。ところが、欧米系の人達は、わからないことは、直ぐに質問し、納得いくまで聞いてきます。
日本の教育を受けた人間にない資質を欧米系の人達は、持って居ると言うことです。
恐らく、それは、教育の違い。日本の教育は、一斉授業。教師の話が中心。生徒は、聞き理解する活動。ところが、欧米では、教師は、テーマを投げかけ、生徒同士が議論。
討論することになれている。その違いがすべての活動に出ている。彼らは、自分の納得がいかないことは、とことん追求。その辺の違いが、国民性に出て来る。
これからの日本の教育にも、ディベイトというな議論すること自体を楽しむ授業が合っても良いように思います。 議論することで、人前で意見を言うことを恐れない人間になります。日本人は、あまりにも、言わなさすぎ・・・それでは、国内は、何とかなるがね国際社会では生きていけない。ある程度の自己主張の出来る人間が必要に思う。
再見。