小説は、大好きでした。本を初めて読んだのは、14歳。それから、ずっとたくさんの小説を読んできました。中学生時代は、山本有三、夏目漱石。高校生になつて、亀井勝一郎、漱石。芥川龍之介。
大学生は、五味川純平、石川達三、野坂あきゆき、五木寛之。 石原慎太郎、田辺聖子、有吉佐和子。教師になってから、黒岩重吾、森村誠一、松本清張、西村寿行、ヤン・ソギル。現代の売れっ子のも、結構読んでいます。
自分のどこか原点だかわかりませんが、やはり、好きなのは、黒岩重吾の自叙伝。
彼の生命力あふれる生き方が大好きでした。いつも誰かをだましだまし、詐欺師のように生きて居る姿。自分の過去と、現在が交差する。また、彼の夜のバーやキャバレーで働く女性を描く小説も好きでした。ギャンブルに溺れるところも。後半は、歴史小説の方へ行かれ、彼の描く聖徳太子が私の聖徳太子像になってしまいました。
石川達三の「人間の壁」も好きでした。その中の沢田先生が私の理想とする先生でした。
小説家は、不思議な才能です。自分で登場人物像を決めて、その人達がいかにも生きて、生活しているかのように描く。これは、正に才能。
この小説家の描いた人物像が私になり、いつもそういう生き方をしたいという手本になっています。しかし、やはり、小説の主人公のようなかっこいい生き方は、私には、出来ません。
小学校四年の時、 私は、昔作文が大嫌いで、原稿用紙二枚先生が書かないと、今日は、帰さないというので、一枚目が終わった後、「あいうえお」をさかさまにして、書いて提出したことがあります。当然先生は、翌日私を叱りました。なんでこんなばかげたことするの、と怒りました。
私は、その時、何で一枚も書ける能力がない人に、拷問のようなことをするのですかと言いたかった。大体、どういう事を書けばいいかも言わずに、題名だけ指摘して、作文を書け。当時の教育は、この程度。それと、先生に逆らう言葉を持っていませんでした。そう言う時代。先生には、逆らえない。反抗できない。もちろん、ツッバリもいました。が私は、ツッバリは、無理。基が素直でしたから。
今なら、生活綴り方を勉強してきた先生も居るから、自分の思ったこと感じたことを素直に、表現すればいい。それも、すべて書くのではなく、ある一部分を詳しく。
その時、何が見え、何を感じたか、そして、それがどうなったのか、これだけ書れば充分です。 私は、高校の先生に、自分の文章をぼろくそに言われました。その先生は、
毎週、毎週文集を印刷して、生徒に配り、良い文章例、悪い文章例。
私の文章は、いつも載っていました。大体悪い方に・・・。ま、そのお陰で、書くことに、苦痛を感じなくなりました。ただ、私の文章は、ただ、言葉をつないでいるだけ。その時思いついた言葉を書いて繋げているだけです。
いまも、黒岩重吾の「我が炎今だ死なず」と徒然草を手元に置いて、たまに、日本が懐かしいとき、読んでいます。
再見。
大学生は、五味川純平、石川達三、野坂あきゆき、五木寛之。 石原慎太郎、田辺聖子、有吉佐和子。教師になってから、黒岩重吾、森村誠一、松本清張、西村寿行、ヤン・ソギル。現代の売れっ子のも、結構読んでいます。
自分のどこか原点だかわかりませんが、やはり、好きなのは、黒岩重吾の自叙伝。
彼の生命力あふれる生き方が大好きでした。いつも誰かをだましだまし、詐欺師のように生きて居る姿。自分の過去と、現在が交差する。また、彼の夜のバーやキャバレーで働く女性を描く小説も好きでした。ギャンブルに溺れるところも。後半は、歴史小説の方へ行かれ、彼の描く聖徳太子が私の聖徳太子像になってしまいました。
石川達三の「人間の壁」も好きでした。その中の沢田先生が私の理想とする先生でした。
小説家は、不思議な才能です。自分で登場人物像を決めて、その人達がいかにも生きて、生活しているかのように描く。これは、正に才能。
この小説家の描いた人物像が私になり、いつもそういう生き方をしたいという手本になっています。しかし、やはり、小説の主人公のようなかっこいい生き方は、私には、出来ません。
小学校四年の時、 私は、昔作文が大嫌いで、原稿用紙二枚先生が書かないと、今日は、帰さないというので、一枚目が終わった後、「あいうえお」をさかさまにして、書いて提出したことがあります。当然先生は、翌日私を叱りました。なんでこんなばかげたことするの、と怒りました。
私は、その時、何で一枚も書ける能力がない人に、拷問のようなことをするのですかと言いたかった。大体、どういう事を書けばいいかも言わずに、題名だけ指摘して、作文を書け。当時の教育は、この程度。それと、先生に逆らう言葉を持っていませんでした。そう言う時代。先生には、逆らえない。反抗できない。もちろん、ツッバリもいました。が私は、ツッバリは、無理。基が素直でしたから。
今なら、生活綴り方を勉強してきた先生も居るから、自分の思ったこと感じたことを素直に、表現すればいい。それも、すべて書くのではなく、ある一部分を詳しく。
その時、何が見え、何を感じたか、そして、それがどうなったのか、これだけ書れば充分です。 私は、高校の先生に、自分の文章をぼろくそに言われました。その先生は、
毎週、毎週文集を印刷して、生徒に配り、良い文章例、悪い文章例。
私の文章は、いつも載っていました。大体悪い方に・・・。ま、そのお陰で、書くことに、苦痛を感じなくなりました。ただ、私の文章は、ただ、言葉をつないでいるだけ。その時思いついた言葉を書いて繋げているだけです。
いまも、黒岩重吾の「我が炎今だ死なず」と徒然草を手元に置いて、たまに、日本が懐かしいとき、読んでいます。
再見。