台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

569 ブログ569  私の人生に影響を与えた小説家たち。

2013-07-08 09:40:25 | 台湾
小説は、大好きでした。本を初めて読んだのは、14歳。それから、ずっとたくさんの小説を読んできました。中学生時代は、山本有三、夏目漱石。高校生になつて、亀井勝一郎、漱石。芥川龍之介。
 大学生は、五味川純平、石川達三、野坂あきゆき、五木寛之。 石原慎太郎、田辺聖子、有吉佐和子。教師になってから、黒岩重吾、森村誠一、松本清張、西村寿行、ヤン・ソギル。現代の売れっ子のも、結構読んでいます。
自分のどこか原点だかわかりませんが、やはり、好きなのは、黒岩重吾の自叙伝。
彼の生命力あふれる生き方が大好きでした。いつも誰かをだましだまし、詐欺師のように生きて居る姿。自分の過去と、現在が交差する。また、彼の夜のバーやキャバレーで働く女性を描く小説も好きでした。ギャンブルに溺れるところも。後半は、歴史小説の方へ行かれ、彼の描く聖徳太子が私の聖徳太子像になってしまいました。
 石川達三の「人間の壁」も好きでした。その中の沢田先生が私の理想とする先生でした。
小説家は、不思議な才能です。自分で登場人物像を決めて、その人達がいかにも生きて、生活しているかのように描く。これは、正に才能。
 この小説家の描いた人物像が私になり、いつもそういう生き方をしたいという手本になっています。しかし、やはり、小説の主人公のようなかっこいい生き方は、私には、出来ません。
 小学校四年の時、 私は、昔作文が大嫌いで、原稿用紙二枚先生が書かないと、今日は、帰さないというので、一枚目が終わった後、「あいうえお」をさかさまにして、書いて提出したことがあります。当然先生は、翌日私を叱りました。なんでこんなばかげたことするの、と怒りました。
 私は、その時、何で一枚も書ける能力がない人に、拷問のようなことをするのですかと言いたかった。大体、どういう事を書けばいいかも言わずに、題名だけ指摘して、作文を書け。当時の教育は、この程度。それと、先生に逆らう言葉を持っていませんでした。そう言う時代。先生には、逆らえない。反抗できない。もちろん、ツッバリもいました。が私は、ツッバリは、無理。基が素直でしたから。
 今なら、生活綴り方を勉強してきた先生も居るから、自分の思ったこと感じたことを素直に、表現すればいい。それも、すべて書くのではなく、ある一部分を詳しく。
その時、何が見え、何を感じたか、そして、それがどうなったのか、これだけ書れば充分です。 私は、高校の先生に、自分の文章をぼろくそに言われました。その先生は、
毎週、毎週文集を印刷して、生徒に配り、良い文章例、悪い文章例。
私の文章は、いつも載っていました。大体悪い方に・・・。ま、そのお陰で、書くことに、苦痛を感じなくなりました。ただ、私の文章は、ただ、言葉をつないでいるだけ。その時思いついた言葉を書いて繋げているだけです。
いまも、黒岩重吾の「我が炎今だ死なず」と徒然草を手元に置いて、たまに、日本が懐かしいとき、読んでいます。
再見。

568 ブログ568  ペットと生活

2013-07-08 09:34:51 | 台湾
私は、子供時は、もちろんペットを飼うゆとりもありませんでした。
結婚して、春日部に住んでいたときは、マンションなので、飼えませんでした。
児玉郡に住み始めて、初めて、犬を飼いました。16年間生きて、生活を共にしました。
今は、帰ると、彼の犬小屋だけが寂しく今も残っています。
彼の名は、キャンデー。兄は、実家で、育てられ、彼は、クッキー。
まったく性格の違う犬でした。キャンデーは、滅多に吠えません。人懐っこい性格。
誰からも好かれるキャンデー。散歩と食べる事が大好きな犬でした。
 キャンデーが居るときは、朝は、家内。夕方は、私が散歩に連れて行きました。
私の時は、時々、綱を放し、自由にさせてやったこともありました。二・三日帰らずみんなを心配させたこともありました。 そのたびに、こっぴどく叱られました。
 私は、ペットという物を飼ったのは、この一度きり。結構頭の良い犬で、こちらが待て、伏せ、お座りなど簡単な芸というものは、直ぐに出来ました。動物というのは、不思議です。いつのまにか愛情の様な物を持つ、かわいい。だから飼えるのだともう。キャンデーは、人間で言えば80歳ぐらいまで生きたことになる。老衰で息を引き取った。
台湾では、結構ペットを飼っている人が多い。大きい犬、小さい犬。さまざま。
日本でたまに犬に服を着せている方がいる。そこまでする必要はないように思うが、それも愛情の一つ。犬の床屋、犬の病院、ホテル、結構みんな流行っているようです。
 あと一つ。ペットになるか成らないかわからないが、「メダカ」を現在も飼っています。世話は、今は、家内に任せていますが、もう、三年ぐらいか。一時期は、増えたようですが、現在は、七匹。何でも、飼ってみると面白い。それなりに愛情が湧く物です。
現代は、「癒し」を求める人が増えているから、結構、さまざまなペットがあることでしょう。亀、ワニ、鳥、鶏、モルモット、カブトムシなどなど。中には、それを増やし、商売にする人も居るくらいですから。仕事になると、一匹一匹愛情をもちか、別。
動物でも、植物でも身近に愛する物を持って居ると、毎日いとおしい。そう言う気持ちすーごくよくわかります。私に孫か生まれたら、かわいがりすぎて、性格が歪むかも・・。そんな気がします。孫は、ペットではありません。人格を持った人間です。
 ペットにも人格があるように思いました。キャンデーは、争い事が嫌いで、小さな犬が吠えても、決して相手しませんでした。もちろん大きい犬も。犬としての闘争本能に欠けけていたのかも・・。けど、我が家には、ぴったりの犬でした
 今頃天国で、自分の家族を持ち、幸せに生活しているのではないかと思っています

再見。

567 ブログ567  面白いコメント

2013-07-08 01:13:48 | 台湾
Unknown (Unknown)2013-07-07 23:55:15こんばんはー。
私も色んな日本語教師がいても良いと思ってます。

生徒には先生を選ぶ権利があるので
問題のある先生や面白くもなければ
教え方も下手クソな先生に生徒はついていかないですね。

ブログを見ている限り治郎さんから言語は
教わりたくないですけど
治郎さんにコメントを書いていた日本語教師さん(?)、
あの方もナーバスそうでもし自分の先生だったらないやですね。
即チェンジです。
生徒ってそういうの敏感に読み取れるじゃないですか。

でも、色んな先生がいて良いと思います。

日本語教師をなめてるとかなめてないとか
自分に自信があれば他人のブログにわざわざ来て
文句なんて書かずにこの画面の向こうで「あはは」って笑ってますよ。
 わたしは、はっきり言って、教師として、こんな教師もいていいかなと思ってやっていました。真面目な先生、直ぐ殴る先生、人格のある先生、教え方がうまい先生、
涙もろい先生。
 私は、もちろん、一番最後の情にもろい、なきむしせんせい。
生徒の前で何回も泣きました。それは、私の過去に、一つだけ、悔いても、悔いても、悔いきれない大きな出来事が・・・。今これを書いて居ても、もう、目に涙をためています。いろんな先生がいてもいいと私も思っています。
 生徒の対する愛情は、誰にも負けません。生徒の中に入り、ふざけたり、遊んだり、
けど、生徒の中には、いろいろな悩みを抱えながら生きて居ました。
 普通の先生なら、飽きられるところをわたしは、諦めませんでした。
登校拒否の生徒を何年も、何年も家庭訪問したことを覚えています。
そうすると、生徒も、私をせんせいと見ずに、相談してくるようになりました。
そうなると、彼の立ち直りは、早かった。
 私が台湾で、日本語の先生になれるかどうかは、雇う側が決めることです。
私のような人間が、台湾で先生が出来るどうかわかりませんが、
諦めない心だけは、いつも持って居ます。人間は、夢、目標がある限り、毎日張りがある物ですそれを失うと、生きて居る意味を失い、引きこもりになったりします。
私は、引きこもりには、なれません。なぜなら、社会と切り離されて、生活することが出来ないからです。あなたの書いてくれた、コメントは、私にこういう読者も居てくれるのだ、ブログというのは、面白い。你的文章很有意思 、謝・謝。
再見。