台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

620 ブログ620 家庭訪問の話。

2013-07-21 17:54:31 | 台湾
少し変な話です。大丈夫です。プラバシーには、触れません。
私の仕事が教師の頃、家庭訪問がありました。
そこで、親と話をし、こどもがどんな環境に育ってるか探ります。
そう、少し探偵のような所があります。親のプライド、経済力。いろんな事を聞いたり、します。そこで、この家が困って居るか、どこで判断するのか。
お金のある家、ない家、どこで判断しますか。
子供のこと、大体わかりますが、家の経済力は、中々わかりません。

 あなたなら、どこでわかりますか。
そりゃ、家がぼろいとか、給食費滞納しているとか、学年費を払えないとか。
そう言う段階だと普通だけでもわかります。
 そうでないときは、・・・・。
親の服装、庭が荒れているか。
決定的になのは、トイレが汚い
 トイレ。 トイレは、その家で一番重要なところ。ここが汚れ居ると言うことは、この家の主婦としてのお母さんが忙しいか生活に困って居るかどちらかです。
 だって、先生が来るというと、どこを掃除しますか。
応接間、和室、目の見えるところ。
 本当は、トイレが一番その家の、「こころ」を反映しますだから、たまに。様子を探るために、トイレをお借りします。それは、何のためですか。
もちろん、用足しもありますが、一番は、家庭の経済力・環境がどうであるか。
本当に子供の生活が安心できる環境にあるか。

 だって、みんなそうでしょ。家の中で一番考え事したり、真剣に考えるところとしてのトイレ。そのトイレが汚れていると言うことは、その家に安心・安全が壊れかけているのではないか、と言う疑いが・・・・。
もちろん、私なりの私論です。他の先生に行ったこともありません。
 だって、誰も信じません。

 けど、当たらずとも遠からず。一度、貧乏している人のトイレ入ってみてください。

 なるほど。と頷ける一理があります。
 
 もう、昔のことで忘れました。私の家庭訪問の一方法でした。

 とても変な話ですいません。
いいですか。トイレは、家の鏡です。お母さん、家庭訪問前には、掃除を。

再見。

619   ブログ619『小僧の神様』という小説から学んだこと

2013-07-21 13:45:15 | 台湾
 いつ読んだのか、中学生の頃だと思います。志賀直哉の小説で「小僧の神様」というのがありました。大正の終わり頃の話か。
ある小僧さんが、店の手代達が、いつも「寿司」の話をしていました。小僧さんは、寿司を食べたことがありません。いつか食べてみたいと思っていました。そして、小僧さんは、お使いに行く、電車賃を貯めて、ある寿司屋の前で、考えて居ました。お金が足りず、
そしたら、ある人物が出てきて、「小僧さん、お前さんは、寿司が食べたいんだろう。私が奢ってあげよう。」と。もちろん、小僧さんは、遠慮し、・・・。けど、寿司の誘惑には、勝てませんでした。等々御馳走に。
 初めて食べる寿司にかれは、もう。感動。感動。そして、寿司やを出て行き、そして、なぜあの人は、私が寿司を食べたいことを知ったのか、あの人は、神様に違いないと思うようになりました
 それから、小僧さんは、毎日毎日、神様のことを思いながら、働きました。
奢った男は、小僧さんをからかってしまった。金持ちが、貧乏人に、恵んでしまった自分に自己嫌悪になったという話。
一つの話が、一つは、美談。一つは、自己嫌悪の材料に。
物の見方というのは、実に面白いです。
一つの出来事が、立場や考えでまるで違うと言うこと。
 だから、物ごとは、余り悪い方ばかり考えるのではなく、良い方が考えた方が良いという事です。
 物の見方。これを学びました。物事を多面的に見れば、辛いことも楽しく思えると言うことを。私は、中学、高校とバスケットをやっていました。もちろん、超へたでした。
みんなの運動神経と全然違いました。ジャンプ力。敏捷さ、体力・・・・。ありとあらゆる物が違いました。けど、私は、止めませんでした。だって、私が居ることで、彼らは、楽になります。自分よりへたが居る。そいつも頑張っている。だから、わたしいじょうにみんな頑張りました。もちろん、優勝とかありません。
良いんです。みんなとスポーツすることが大切です。
 だって、私の青春時代。一人だけ。私と同じ様な運動神経のSが居ました。
彼とは、同じ中学校出身。彼とは、結構競い合いました。
けど、彼は、高校生になって、どんどん背が大きくなり、・・・。へーえ。人間て。
一夏で、八㎝も大きくなることを知りました。だから、ライバルにも、勝てませんでした。
けど、一応万年補欠で、バスケット部にいました。
 いいですか。なにも運動していたことを自慢しているのではありません。補欠でもなんでも一生懸命やることが目的。だって、選手になってお金稼げるわけではありません。
現在は、プロのバスケット選手居ますが、昭和42>43>44年には、いません。
 いまころ、Sは、どうしているだろう。
再見。


618 ブログ618   たばことの付き合い

2013-07-21 07:48:18 | 台湾
私は、喫煙歴は、長い。もう、十五歳の頃から、時々、親のたばこを盗んでは、一服。
とくに、当時、親父のたばこは、一番強い、ピース。
 私は、どうもたばこに対して、嫌いでないようでした。むしろ、最初から好きなタイプ。たばこの吸い殻が火鉢の中で残っているとき、少しいぶすと、良い香りと感じていました。嫌いな人は、もう、耐えられない。たばこを吸う人が、現在は、減っていますが、当時は、半分ぐらい。
 ピースが25円。二つで50円ぐらいか。しんせいが20円位か。
私が大学生の頃、ハイライトが70円で、マイルドセブンが100円位か。
もちろん、中学生の時は、時々、夜中に、息抜きに、いっぷく、にふくていど。
高校時代は、吸いませんでした。お金もなかったし、だから、その当時は、まだ、中毒性は、無かったようでした。お金を稼ぎ始めた浪人から本格的に喫煙。
それでも、一日、10 本ぐらい。
 たばこの刺激が堪らなくなったのは、大学生で、酒飲んだとき、麻雀しているとき。
それから、一日、現在は、十四・五本。もう止めることは、無いと思う。現在日本では。410円。かなり高い。
もっと高くすれば、買う人がいなくなる。500円時代、700円時代、1000円時代が来ることだろう。いいんだよ。
たばこ吸う人がたくさん税金を納めれば・・・。
どれぐらいになったら、止められるか。一つ一つ実験したらよい。
台湾では、85元。日本円で,255円。やく260円。台湾は、まだ、町中等少しは、吸えます。日本は、自分の家でさえ、外ですっいる始末。ま、吸わない人に迷惑かけない。大切なマナー。止めようとしたことは、何回か、トライしたが、大体、麻雀で挫折。
大体ギャンブルやる人は、たばこのみが多い様に思う。もちろん、吸わないこともたくさんいます。
 どうして、たばこ吸うのですか?  それは、一瞬の中国語の「舒服」 シューフと書いて気持ちいい、気分良い時に使います。酒を飲んだりすると余計、合います。これは、一つの習慣。依存症のひとつです。食後・お酒の時、麻雀時、ギャンブル時に吸わなければ、卒業するでしょう。一番は、お酒の時か麻雀の時かな。
けど、もう。今ぐらいの値段であれば止めないでしょう。止められない。甘えかもしれません。意志を鍛える意味がない。誰に見せるわけでもありません。孫でも生まれたら、考えます。
癌になるか確率・肺気腫等成ったとき、止めること出でしょう。他人が成ろうが、自分は、・・・、変な自信があります。今、日本では、五人に一人。もっともっと減ることでしょう。減った方が良いでしょう。
 JTもたばこの利益が少なくなるのを覚悟して、経営の多角化を図って居るではないですか。たばこのみも病気。最近では、医者に行き直す人も、いろんな方法があるでしょ。
要は、依存症。自分の意志力が試される。まったく自信ありません。
 これも、ギャンブルと同じ「刺激」。この刺激が快楽を作り出す。ま、すべてほどほど。
けど、もう私が死んでも、そんなに迷惑もかけない。お金も、買える範囲のお金であれば、止められないでしょう。
医者に行って、直すほどの必要性がない。どこかで、その必要性が出たとき、考えます。 吸わない人には、きっとわからない。また、わかる人が増えては、いけないとも思っています。
では、一服してきます。
再見。

ブログ617 朝日と夕日どっちが綺麗。

2013-07-21 07:40:53 | 台湾
私は、どっちも好きです。どちらか一つと言われれば、朝日。
今日も、朝日を見ようとしましたが、少しだけ寝坊して、起きられませんでした。
台湾のいまの朝日は、五時45前後。六時では、遅すぎます。
私の睡眠のリズム、3時間睡眠だから、夜12時前に寝ないと起きられない。三時間後に一度必ず、目が覚めます。汗びっしょり。どんなに涼しくても、汗で起きます。
汗かきのようです。日本では、汗かいても目が覚めませんでした。台湾だと何故目が覚めるのかわかりません。だから、四時半に目が覚めるには、10時に寝て、一時。それから、もう一度寝れば、・・・。ところが10時寝るのが大変。
ま、寝たことは、ありますが・・。
朝日は、台湾に来てから、何十回と見ました。夕日は、数回。だって、暗くなると、山道は、・・・。見えなくなるから。
 どうして、朝日が好きか。時間は、短いがこの一日の勇気・エネルギーを貰えた気がします。夕日方が綺麗です。あの真っ赤なもうたぎる青春のような赤。ただそれからが暗くなるから・・・。どうも。日本では夕日の方が好きでした。だって、道に迷うこともなく帰れるから。
 どっちでもいいです。自然と共に生活することが大切。日の光を浴びると、身体が、しゃきんとして、「夜光虫」の様な人間には、なりません。
自然とともに生活している人には、悪い人は、居ないように思います。なせですか。
自然がナニが悪いこと、いいことか教えてくれます。だいたい、悪いことは、夜考えることが多くないですか。そして、その感覚で実行。夜と昼では、感覚がまるで違います。
 太陽というのは、今ある自然の中では、かなり大きい。宇宙というのがありますが、これは、もう怪物。私は、天文学等詳しくありませんが、何光年。何億光年。
普通の人は、太陽と月ぐらいか。よく知って居るのは。それと、太陽浴びているときは、妄想・空想等は、ありません。現実に対応する力。これを得ることが出来る様な気がします。よく富士山の登山が有名。ご来光とかいって、何千万、何億という人が、この登山で、力を得たことでしょう。これは、日本人の信仰のようなもの。別に、宗教ではありませんが、宗教の方も、利用しているようです。
 だって、自然を前にすると、人間の悩み・苦しみが小さく感じます。自然の雄大さ・たくましさに比べ自分の現在の気持ちは、そうか。そうだ。もう前へ向いて歩こうという気になります。ま、悩んでいる人が、朝日・夕日をいつも見ているとは、思えません。
悩む人は、どちらかというと、朝早起きしません。普通の生活。朝五時、五指半に起きる人は、元気な人です。元気なのは、こころ。心が元気なひとは、よく行動します。そして、よく働く。そういうひとは、悩みません。なぜなら、よく眠れるから。

だから、朝日・夕日を見る生活をしてみてください。
再見。