台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

572 ブログ 572 悔しいという気持ちで当たれば

2013-07-09 13:39:14 | 台湾
どんなことにも技術があり、それに対応するのに苦労する。教師が苦労するのは、日々の授業。毎日指導案を確認する。そうしないと最初の内は、授業が出来ない。二学年でると
結構負担。一学年だけなら、一つの教材研究で済むが、年によっては、二つの学年になる。
三回ぐらい学年を回ると、どうにか、苦労しなくなる。つまり一サイクル三年。三年掛ける三年。九年から十年。そう言う技術とスポーツ・バスケット・野球・サッカーの技術。
指導者の方は、技術論を言わず、根性で身につけろ。と
 悔しいという気持ちさえあれば、何でも可能と言うことを聞いたことがある。
もちろん、あるレベルの話。私は、どんな物でも、技術は、精神論では片づけられない細かいステップがある様に思う。
 例えば私は、卓球をやっていたが、最初にボールのとらえ方。打ち方。
そして、まずは、打ち返すこと、つぎにそれをコントロール出来る様にする。
このコントロールは、手加減が必要で、慣れると簡単なことだが、最初は難しい。
そして、100球打ち合う。結構生徒は、上手に出来るように成る。この辺までは才能でも何でもない。あるレベルのでは誰でも出来る。多少運動神経が鈍くても、毎日卓球台に向かって、打っていけば。ほぼ三ヶ月でマスターする。勝つようなレベルは、このレベルではない。更にサーブ、レシーブ。打ち込み。
まずどんなことを諦めず繰り返す基礎練習する。それを徹底する。基礎的訓練をすると身体がわかる。正しい打ち方の時は、こうなる。身体にわからせるまで、繰り返す。
しかも実践に即して。自分のイメージする玉に求めて。物事の手順、ノウハウがわかれば、
後は、日本人の得意な根性論でどうにかなる。
 すべてのことに、結果がでる。テスト・スポーツ・英語・中国語・日々の授業何でも。
うまい行くと嬉しいのだが、うまくいかないと、やはり「くやしい」。
この悔しいが物事の原点。これを持てないと、なかなか努力しない。ただこの気持ちは、人から与えられる物でなく、自分達の内部に自然とわき出る物だ。その悔しい気持ちが共有されると、結構厳しい練習にも、耐えられるようになる。卓球は、個人スポーツの側面が強いが団体戦もあり全体のレベルが物を言う。
 こんな物に負けて成る物かと思うが、技術という世界は、根性だけでは解決できない。
私は、あまり技術・根性が無いから、部活は、楽しく仲良くやればいいと思ってやっていた。
はっきり言って、勝つには、勝つための指導者に習わないと勝てない。それでも、日本国中の学校が勝つための練習をし、鍛え合っている。部活動全盛時代。子供が大人に成る過程、身体をめいっぱい痛めつけ、練習に耐え、その中で、成長すればいい。それを応援するのが教師と思い、土・日部活動していたが・・・。
 こういう運動のあり方に疑問を持つ者としては、適当なバランスで月に4回ぐらいの練習で充分に思っていた。かなり、顧問の裁量に任されている分野。顧問のあり方如何。
もちろん、学校全体で、規制している学校もあるようだが・・・。
バランスの取れた部活動と行かない者かいつも加熱しすぎる部活に疑問を持っている。                  再見。

571 ブログ571 コメントに対しての回答

2013-07-09 13:30:03 | 台湾
1 コメント
known (Unknown)2013-07-09 01:02:49治郎さん
twitter(ついったー)はやらないんですか-?
ぜひ始めてほしいですー

私の生まれは、1951年。未だに、メールも、スカイプ、フエィスブックも全然わかりません。わからないことには、手を出さない。唯一、このブログぐらいです。これもやっと。どうにか少しずつ、書いて居る次第。
つまり、この世代は、機械音痴。現代の浦島太郎状態。
 今日、中国語の先生の千恵さんがフエィスブックをやっているとのこと、へぇーすごい。彼女73歳です。
けど、先ほど行ったように、これで一杯一杯。
ツイッターというのが、どんなものであるかわかりますが、私の生活全部がそれに取られる危険性を含んでいます。何でも、一生懸命やってしまうのがこの世代の特徴。
ある意味で真面目。ある意味で現代の馬鹿。古い人間なのです。最近、やっとどういう事は、書いて良いか見当が付いてきたところです。自分のことは、書いて良いが他人のことは、書くな。とくに、それぞれのプライバシーは、絶対に。
けど、また、どこかでわからなくなり書いてしまいそうな自分が居ます。
日々書くことは、適当。その時思ったこと、感じたこと、ニュース、ユーチューブなどなど、書くことは、無限です。
 人の幸せを願っていますが、その為には、まず自分が幸せにならねばと思って、「幸せ道」に励んでいるところです。もちろん、宗教でも何でもありません。
自分の信じる道に、信じて諦めず追求すればね人は、幸せになる。」
こういう考えに基づいて、実験しているだけです。もちろん、この実験は、私が死ぬまで続くのですが、とりあえず台湾に居る間と決めています。
物事に永久は、無いと思っていますから、台湾生活している間、このブログで充分。
ブログして何が面白いですか。 
 いろいろ。人それぞれの考えが、違う。当たり前ですが、自分の経験と、読者の経験の違いから、違う意見がたくさん寄せられます。否定する人、応援してくれる人。
ま、それを覚悟してやっています。人というのは、自分の感覚を信じて生きて居ます。
私は、まさに、自分の妄想に基づき、突き進むタイプ。
 幸せ研究として、こんなに面白いテーマは、ない。
人生みんな幸せを求めて生きて居ます。ところが、現実は、まったく逆の立場の人がたくさんいます。現代の社会を決して肯定しません。ただ、政治を批判しても、中々解決しない。だから、自分の中に、軸となる考え方を持って居れば、多少の困難があっても、ぶれない。現代が怖いのは、自分を追い詰めるタイプがあまりにも多い。
 よく「ブラック企業」の話が良くでます。私がブラック企業に入ったら・・・、
どうするだろう。我慢して我慢して、どこかで、もう一度、冷静に今を見つめます。
そして、このまま、企業戦士となるか、自由に生きるか。私は、頭で考えて今が、現実に勤めている方もたくさんいるはず・・・。
 とても、難しい問題。ただ一つだけ、自分がノイローゼになり、自殺を考えるようなら
もう辞めます。どんな問題でも、命以上の者は、世の中にあり得ない。
「生命」を捨てる気になれば、人間難でも出来るはずです。勤めることは、あくまで、
途中の手段。幸せを求める過程で、それが゛絶対必要なら手に入れるでしょうが・・・
果たして、世の中に命を賭けて、打ち込む値打ちのある者がこの世の中に、あるでしょうか。私はそこまで自己を追い詰めたことありません。また、考えて見ます。
再見。

570 人生、自分が納得すればいいジャン。

2013-07-09 00:41:54 | 台湾
 今まで、ユーチーブで、「売れない、食えない、笑えない」芸人のドキメンタリーを見ていました。
お笑いの世界は、大変だというのは、大学時代「落語」を少し勉強したからわかって居ました。
私の大学時代の同級生にプロがいました。彼も大変苦労していたようです。もう今は、天国へ行っています。
 年収百万円。これでは食べていけません。だから、彼らは、それぞれアルバイトして、一人は、スナック。もう一人は、漫画喫茶。
この二人は、漫才。はっきり言って、高校生の漫才に毛が生えたレベル。難しい。お笑い取るのは、やっている方が余り、「マジ」に怨じています。笑いは、「間」です。間を「真面目」の真では客が引きます。高校生の文化祭なら、それでも受けます。
 もう一人は、元吉本興業の漫談師。彼は、もう38歳。もう二十年。
いつまで、芸の肥やしにするのか、いつになったら食べていけるのか、わからない世界。
 私は、もう芸というのは、自分には、難しいと思って諦めました。学問のように追求すれば、わかるものではありません。
才能があるか、ないか。それだけ。吉本に入学して、「やすきよ」『ダウンタウン』などなどたくさんのスターを目指し、未だに、多くの人がお笑いの世界で修行。
 私は、これは、これで良いと思う。もしかしたら、結婚もできず、家も持てず、親には、心配掛ける・・・。
私には、出来ないけど、自分で納得した人生が一番イイ。
 夢は、夢と成るかもしれない。だって、お笑いの世界で食べていける人は、五百人、千人。目指している人は、次から次へ出てきます。
よく一発芸人と言うのが居ます。一発でも世間に知られれば、すごいことです。
 
私は、いまの自分の生活に納得しています。これから、日本語教師を目指し、何年もかかるかもしれません。それは、それで良いのです。
私の場合、幸いにも、お金にそんなに困りません。だから、自由に勉強し、雇って貰える学校を探し・・・。
先が見えなくても、不安は、ありません。人は、時として、「ぶれる」迷う。誰でもありますが、私の人生、失敗ばかりで、嫌になることありますが、ぶれは、ありません。私は、私の未来予想図Ⅱ向かって、少しずつ少しずつ、前進すれば良いだけです。
 
 生きることは、闘いです。一番の敵は、自分です。人間、自信を失うと、自身を失います。
一番怖いのは、ノイローセ゛に成ったり、頭が壊れ、自分が何をして良いかわからない状態。

 ひきこもりのひとは、迷い道に入ったのだと思います。いつのころか、自分の人生の迷路にはいり、出口が見つからず、
何年も何年も、家周辺に引きこもり、・・・・。私は、お説教はしません。だって、もう二十歳過ぎた人に・・・。
私の生徒ならいいます。「お前も、辛いんだよな。男は、そのつらさに・・・・・・。?
耐えなくちゃ・・・。けど、どこか出口かわかんないんだろう? おれもわからないけど、一緒に考えよう」
またくるから、再見。といいます。
               再見。