日本人が英語が苦手なのを学校教育のせいにしたり、入試制度のしたりする人が多いが、一番の原因は、「英語を使う必要がない」というのが正解なのではと思う。例えば、科学分野にしても社会科学にしても大学院レベルの学習に日本語で対応できる、つまり、世界的レベルの研究に自国の言語で対応できる国は、そう多くはないと思う。「素粒子」だったり「形而上学」「肺動脈性肺高血圧症 」など。日本語で十分なのである。なのに都知事が「エッセンシャルワーカー」や「東京アラート」などあまり馴染みのない横文字を頻繁に発出するのは、漢語を含めて外国のものにあこがれる日本人の歴史的性格が表に出ているような気がする。
だからと言って、英語が必要ないということに結論付けるのは、馬鹿げている。英語ができれば仕事上でも趣味上でも楽しいことはいっぱいある。できないよりは、できたほうがいいに決まっている。が、普通の人にとって英語を話す機会はそう多くない。小中学生に「なぜ英語を勉強するのか」と尋ねると必ず「外国人に話しかけられたときに困らないように」という子が何人もいるが、実際、日本の地方に生きてきて外国人に話しかけれたことは、人生で3回くらいしかない。そんなことのために必死に英語を勉強しなければならないはずはない。
では、どんな時に英語が必要かといえば、やはり、外国に行った時が一番多いのでないだろうか。さらに、外国で頻繁に「世界の環境問題」や「難民問題」を話し合うわけでもなく、やはり、飛行機に乗った時やイミグレーション、ホテルやレストランでの会話が一番多い。それくらい話せば、英会話の第一段階は突破と言っていい。そのための参考書を一冊見つけた。
『絵で見てパッと言う英会話トレーニング 海外旅行編』
海外旅行がいつ再開されるか定かではないが、その日のためにトイレにおいて毎日数ページ学習する。お勧めの一冊でもある。若いころ、初めて外国に行くときに覚えた英会話フレーズ「Nothing to declare.」(申告するものはありません)が懐かしい。
ところで、オンラインの英会話を塾で始めたころ、相手教師は、全員フィリピン人なのだが、often を「オフテン」と「t」を発音しているということで大問題になったことがある。「ネイティブじゃない」「正しく発音してない」など大声で文句をつける輩もいたが、結局、イギリス人でもアメリカ人でもオフテンと発音する人も多いということで決着がついた。ただし、学校でオフテンと発音すれば、みんなから笑われる。なにが正しいか、むずかしいところである。
さて、私は、飛行機に乗るときは必ず「window side ]を希望したが、妻が飛行時間が長いから通路側を希望するようの伝えてということで「aisle side, please.」言った。通路側をずっと「アイスル」サイドと言っていたことが判明した。sは読まない、「アイル」または「アイウ」と読むことを初めて知った。ちょっと恥ずかしいが、誰もいままで訂正してくれなかった。30年くらい間違っていたのだが、まあ、外国人の話す外国語はこんなもので大丈夫ということでもあろう。間違ったっていい。どんどん話し続けることが、やはり、だいじ。
<主夫の作る夕食>
ピーマンに肉詰め、ごぼうの味噌汁、タケノコ。いい感じの味つけでした。
<思い出の一枚>
近くの公園にある滑り台のトンネルを這う2歳児