Four seasons*

愛しきものたち
「一枚の葉が手に入れば、宇宙全体が手に入る」
*日本画家・安田靫彦が小倉遊亀へ送った言葉

☆令和6年 浅草名所 七福神もうで * ⑥石浜神社⑦鷲神社⑧吉原神社⑨矢先稲荷神社

2024-01-15 | ♥東京:お出かけ・寄り道・散歩

鷲神社の叶鷲(かないどり)

 

 

 

江戸時代八代将軍吉宗の頃、世も泰平が続き庶民も安泰を享受するようになり

江戸八百八町にはそれぞれ名所が開発され、観光と神仏詣を兼ねた行楽が盛んになりました。

江戸時代末期になると、各地で商売繁盛、無病息災等各種大願成就の福徳福運を求めて

七福神詣が興隆を極めるようになりました。

特に正月松の内(元旦~七日)に七福神を巡拝して一年の福徳を願うのが

今日の七福神詣の原型となったといわれております。

白浜神社HP:浅草名所七福神

 

 

 

 

 

残り4社寺、冬至は過ぎたもののまだ陽は短く

初社寺のお参りは、歴史・名跡にも興味があり時間がたつのが早いです

さぁ、明るいうちに~開運散歩

 

 

 

⑥石浜神社[寿老神]

ご祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

豊受大御神(とようけのおおみかみ)

浅草名所七福神のひとつで寿老神様」られています

 

724年創建の荒川区内最古の神社、源頼朝も奥州征討の際に祈願した

 

 

場所は荒川区南千住

隅田川沿いに広い公園のような場所に、のぼり旗

石浜神社です

「石濱茶寮 楽」で休憩したいところでしたが、先を急ぎます

 

途中「水琴窟」に気付き竹の筒に耳をあて、透明な響き♪

 

 

 

 

 

 

 

 

参道の途中には

信仰の歴史と由緒を物語る石碑や力石が、数多く残されています

 

 

手水鉢(元禄元年12年吉日銘)

取水口の龍の身体は動物体形?初見

 

 

 

 

狛犬

大正4(1915)年造

 

阿・吽とも穏やかに鎮護

 

 

 

 

 

白狐祠(左)、富士遥拝所(右)

・江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものです

・富士信仰・講の記念の一つ

 

 

隅田川の白鬚橋近く

 

 

石浜神社から鷲神社へ向かうのだが一番の長距離

白鬚橋手前、右(明治通り)に出てしまった、が都バスが運よく来、

三ノ輪2丁目で下車、初めて乗り物に頼った

下車から国際通りをダラダラ歩き、初めての街の歩きに疲れが出だす




⑦鷲神社(おおとりじんじゃ)[寿老人]

 

ご祭神日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)

浅草名所七福神の一つで「寿老人様」祀られています

「鷲神社」の名前の由来は、天日命の名前からと

鷲(ワシ)は大きな鳥なので「おおとりじんじゃ」と呼ばれるようになった、?とか

 

 

 

日本最大の「酉の市」起源発祥の地としても有名

浅草の鷲神社のいえば

江戸時代から「鳥の社(とりのやしろ)」や「御鳥(おとり)」と言われ

今では「おとりさま」と呼ばれて親しまれており江戸三大酉の市の一つです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸運を呼ぶ「なでおかめ」

縁起物の熊手に付き物の「おかめ」

 

 

「なでおかめ」のなでかた

おでこ:なでれば賢くなり

目:なでれば先見の明が効き

鼻:なでれば金運がつく

向かって右の頬:なでれば恋愛成就

左の頬:なでれば健康に

口:なでれば災いを防ぎ

顎(あご)から時計回り:なでれば物事が丸く収まると云う

 

 

心願成就のご利益

願い事を書いた願い札を「叶鷲」の中の納めて神前にお供えすると

願い事を大神さまへ届けてくれるそうです

 

 

※余談だが、鷲は英語でイーグルということで

鷲(おおとり)神社は「ゴルフの神様」としても有名です

 

 

 

 

 

⑧吉原神社[弁財天]

吉原遊郭に古くからあった5社を合祀した神社

浅草名所七福神のひとつで「弁財天様」が祀られています

新吉原遊郭ゆかりの神社で、歌舞伎や落語に語られている吉原の面影を現代に伝えています

 

 

 

 

 

 

龍燈鬼と天燈鬼の像?

仏前を照らすものとして作られた像だと思うのですが、燈籠が無く、壊れたのか

奈良市・興福寺の国宝館に、運慶の三男、康弁の作の龍燈鬼と天燈鬼の像似ています(木造)

 

 

午後4時近くになり、提灯が点灯した

 

吉原弁財天本宮には外から拝観、そのまま先を急ぐ

 

 

 

⑨矢先稲荷神社[福禄寿]

 

ご祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

浅草七福神のひとつ、「福禄寿様」が祀られています

 

ここでは当時、武士の鍛錬として、弓矢の「通し矢」が行われていました

京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として、稲荷大明神を勧請し、

その場所がちょうど「通し矢」の的先にあたっ側にあったことから名付けられた

 

徳川三代将軍家光が浅草三十三間堂の鎮守として創建

「日本馬乗史」なる拝殿の天井画は必見 (時間なく断念)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗くなりかけた午後4時半ごろ

矢先稲荷神社で満願達成です

境内にテントを張っていたので、その下で九社寺の福絵を撮影

 

 

 

 

合羽橋道具街通りを歩き、地下鉄・浅草駅へ

 

 

目についた かなや刷子 庭帚を買う(( ´∀` )

次回は馬毛歯ブラシを!

 

 

舟和で芋ようかん・芋どら焼を、、

亀十どら焼きは長蛇の列だったので、舟和で買っていて良かった、と思った

 

仲見世の先は風雷神門

 

 

風雷神門をくぐって、振り向けば雷門

 

 

 

 

大提灯の底には木彫りの龍が鎮座

仏像彫刻家:渡辺崇雲の作

木彫りの龍には、街が火事にならないようにとの願いが込められている

 

 

 

 

「七福神めぐり」巡拝して開運を祈る

その町の魅力を再発見する開運ウオーキングは、今年で3回目

1年間「福」がありますように

 

 


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