「山本周五郎」の連作時代小説『小説日本婦道記』を読みました。
ここのところ「山本周五郎」の作品が続いています。
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千石どりの武家としての体面を保つために自分は極端につましい生活を送っていた「やす女」。
彼女の死によって初めて明らかになるその生活を描いた『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。
厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、哀しさがあふれる感動的な作品である。
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1942年(昭和17年)6月から終戦後の1946年(昭和21年)までに、『日本婦道記』のタイトルで雑誌『婦人倶楽部』を中心に発表された連作31篇のうち、以下の11篇が収録されています。
■松の花
■箭竹
■梅咲きぬ
■不断草
■藪の蔭
■糸車
■風鈴
■尾花川
■桃の井戸
■墨丸
■二十三年
■解説・年譜 木村久邇典
『松の花』は再読でしたね… 厳しい武家社会の中で家族のために生き抜いた女性たちの、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさや哀しさが溢れる物語、、、
そんな中で特に心に残ったのは、以下の6篇かな。
妻の死後、妻の酷く荒れていた手を握り、そして、生前のあまりに質素な暮らしぶりから、初めてその陰ながらの献身を知る『松の花』… 再読して良さがじんわりと感じられましたね、
不運な出来事で良人を亡くした女が、一人息子を育てるために勤労し、箭竹に「大願」の文字を彫りつけていたことが主君の目にとまったことから、その女性の生きざまが明らかになる『箭竹』、
夫の態度が豹変し、姑の態度もおかしくなり、結局は離縁という運びになってしまった女が、その後、それは故あってのことだと知り、実の両親からの義絶を覚悟した上で姑の面倒を見ようとする『不断草』、
年老いた父と弟と貧しい暮らしをする女は、実は養女だった… 現在は裕福な生家では、以前の貧しいときに養女へ遣った娘を呼び戻したいと願い、生家に呼び寄せるが馴染むことができず、貧しくて一椀の粥を啜りあっても、親と子がそろって暮らしてゆくことを選らび、の貧しい暮らしに戻る『糸車』、
訳があり下働きの女に暇を出さなくてはいけなくなったが、その女は離れたくないと言って聞かず、女の兄を説得して家に帰そうとするが、その道中、崖から落ちて頭を打ち、白痴のようになってしまい、口も利けなくなってしまう… やむを得ず、女を雇い続けることになるが、当主が亡くなり、その息子が当主となった際、あることを女に問い質し、衝撃の事実が判明する『二十三年』、
その他の作品も、それぞれ感じるところはあったんですけどねー 人の道というか、人の生きている目的や存在意義… パーパスというのかな、それを考えさせられ、現代人が忘れてしまったもの、無理矢理忘れようとしていることを思い起こさせる等、読み手の心を揺さぶる何かがあるのが魅力ですね。
『二十三年』の中で語られる、
「人間にとって大切なのは「どう生きたか」ではなく「どう生きるか」にある」
という言葉が印象に残りましたね。
ここのところ「山本周五郎」の作品が続いています。
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千石どりの武家としての体面を保つために自分は極端につましい生活を送っていた「やす女」。
彼女の死によって初めて明らかになるその生活を描いた『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。
厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、哀しさがあふれる感動的な作品である。
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1942年(昭和17年)6月から終戦後の1946年(昭和21年)までに、『日本婦道記』のタイトルで雑誌『婦人倶楽部』を中心に発表された連作31篇のうち、以下の11篇が収録されています。
■松の花
■箭竹
■梅咲きぬ
■不断草
■藪の蔭
■糸車
■風鈴
■尾花川
■桃の井戸
■墨丸
■二十三年
■解説・年譜 木村久邇典
『松の花』は再読でしたね… 厳しい武家社会の中で家族のために生き抜いた女性たちの、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさや哀しさが溢れる物語、、、
そんな中で特に心に残ったのは、以下の6篇かな。
妻の死後、妻の酷く荒れていた手を握り、そして、生前のあまりに質素な暮らしぶりから、初めてその陰ながらの献身を知る『松の花』… 再読して良さがじんわりと感じられましたね、
不運な出来事で良人を亡くした女が、一人息子を育てるために勤労し、箭竹に「大願」の文字を彫りつけていたことが主君の目にとまったことから、その女性の生きざまが明らかになる『箭竹』、
夫の態度が豹変し、姑の態度もおかしくなり、結局は離縁という運びになってしまった女が、その後、それは故あってのことだと知り、実の両親からの義絶を覚悟した上で姑の面倒を見ようとする『不断草』、
年老いた父と弟と貧しい暮らしをする女は、実は養女だった… 現在は裕福な生家では、以前の貧しいときに養女へ遣った娘を呼び戻したいと願い、生家に呼び寄せるが馴染むことができず、貧しくて一椀の粥を啜りあっても、親と子がそろって暮らしてゆくことを選らび、の貧しい暮らしに戻る『糸車』、
訳があり下働きの女に暇を出さなくてはいけなくなったが、その女は離れたくないと言って聞かず、女の兄を説得して家に帰そうとするが、その道中、崖から落ちて頭を打ち、白痴のようになってしまい、口も利けなくなってしまう… やむを得ず、女を雇い続けることになるが、当主が亡くなり、その息子が当主となった際、あることを女に問い質し、衝撃の事実が判明する『二十三年』、
その他の作品も、それぞれ感じるところはあったんですけどねー 人の道というか、人の生きている目的や存在意義… パーパスというのかな、それを考えさせられ、現代人が忘れてしまったもの、無理矢理忘れようとしていることを思い起こさせる等、読み手の心を揺さぶる何かがあるのが魅力ですね。
『二十三年』の中で語られる、
「人間にとって大切なのは「どう生きたか」ではなく「どう生きるか」にある」
という言葉が印象に残りましたね。
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