化学や科学には程遠い自分。大学も文系で、世の中に出てもずっとアナログタイプで、科学的アプローチや論理が苦手。感覚人間というより科学的に検証したりする行為そのものが”面倒な”手抜き人間なのかもしれない。これだけサイエンスやハイテク時代だというのに自分の目や肌で感じたことしか”実感”できないのだ。
その反動なのかも知れない。最近の自分は、肌着や靴下だというのに医学や科学に近い先生や研究生の助勢を借りようとしている。スポーツ医学や人間科学を専攻している方々の治験や分析や意見にすがる。ど素人のクセに、ヒトの細胞の働きやエネルギー産生を考えたり、ニオイや香りを科学的に捉えることに関心が高い。
にもかかわらず、化学や科学的アプローチをするようになったのかといえば逆だ。最後は感覚や体験や主観頼りだ。サイエンスやテクノロジーに弱い自分は、なかなか科学が信用できないのだ。試験や実験、ナノテクや高分子、イオンや電子などに弱い。自分の目で"見たことがない”からだ。
しかし、最近言うところの”ニセ科学”のせいではない。厚労省や農水省および公正取引委員会などのお役人さんも案外科学やハイテクなどに”アレルギー”なのではないかと思う。公正取引委員会が昨年一年間に出した56件の排除命令の多くの製品が実は、”ニセ科学訴求”製品なのは悲しい。
マイナスイオンで燃費が向上するというモノ。超音波で蚊が寄らないという蚊とりやゲルマニューム物。銀イオンや納豆菌でのカビ防止剤などはまだしも、たばこのニコチンがビタミンに変わるというシロモノなど”眉に唾”したくなるものの多くが排除命令を受けた。
現在自分がかかわっているゼオライトやナノテクなどでさえ、超微細分子の動きを自分はみたことがない。ましてや電子線によって変わると言う電子の進行方向変更や散乱やスピン現象など、自分には実感できない世界だ。
自分の目や感覚や主観での納得や理解しか信じられないなら、自分はサイエンスやハイテクに近づいてはいけないのではないか。そういわれても、直ぐにナノテクやハイテクの話に乗る自分を寛容に受け入れてくださるよう世の中の人々にお願いしたい。
その反動なのかも知れない。最近の自分は、肌着や靴下だというのに医学や科学に近い先生や研究生の助勢を借りようとしている。スポーツ医学や人間科学を専攻している方々の治験や分析や意見にすがる。ど素人のクセに、ヒトの細胞の働きやエネルギー産生を考えたり、ニオイや香りを科学的に捉えることに関心が高い。
にもかかわらず、化学や科学的アプローチをするようになったのかといえば逆だ。最後は感覚や体験や主観頼りだ。サイエンスやテクノロジーに弱い自分は、なかなか科学が信用できないのだ。試験や実験、ナノテクや高分子、イオンや電子などに弱い。自分の目で"見たことがない”からだ。
しかし、最近言うところの”ニセ科学”のせいではない。厚労省や農水省および公正取引委員会などのお役人さんも案外科学やハイテクなどに”アレルギー”なのではないかと思う。公正取引委員会が昨年一年間に出した56件の排除命令の多くの製品が実は、”ニセ科学訴求”製品なのは悲しい。
マイナスイオンで燃費が向上するというモノ。超音波で蚊が寄らないという蚊とりやゲルマニューム物。銀イオンや納豆菌でのカビ防止剤などはまだしも、たばこのニコチンがビタミンに変わるというシロモノなど”眉に唾”したくなるものの多くが排除命令を受けた。
現在自分がかかわっているゼオライトやナノテクなどでさえ、超微細分子の動きを自分はみたことがない。ましてや電子線によって変わると言う電子の進行方向変更や散乱やスピン現象など、自分には実感できない世界だ。
自分の目や感覚や主観での納得や理解しか信じられないなら、自分はサイエンスやハイテクに近づいてはいけないのではないか。そういわれても、直ぐにナノテクやハイテクの話に乗る自分を寛容に受け入れてくださるよう世の中の人々にお願いしたい。