吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

2011年11月2日の青森訪の記

2011年11月05日 | Weblog

ほぼ一年ぶりの青森訪は、東北新幹線大宮駅10:01のはやぶさ。昨年末の青森「たすけっこの会」は、はやてだった。ジャスト3時間の本州北端の町青森市は、新青森駅がスタートの24時間だ。

新青森駅周辺域の風景のサムサは、一年前と全く変わらない。ところどころのブタクサや背高雑草も変わっていない。開発か再開発かわからないが、全然進んでいない印象だ。おそらく10年かそれ以上も前に在来線青森駅と双子しての”新しい街”を構想してつくった新幹線新青森駅だろうに、その街はサムイ。市や県や商工会やこの地域の人々は、どのように思っておられるのだろうか。

バブルがはじけた頃スタートした人口30万人ぐらいの地方中心市の開発は大体どこも、この新青森駅周辺の姿だ。進展と展望が感じられない。右肩下がりの時代に入って”再考”や”再設計”が求められる地方の街づくりなのだ。

奈良さんのクルマは、いつの間にか一年前訪問した横内(横内中学校)あたりを過ぎてブナ林に入っていた。落葉して林立するブナとところどころに混じるカラマツらしき針葉樹の林にあって、低木や蔦類が季節の紅葉を演出していた。パーッと開けた高原は、八甲田山を眺望する萱野高原だ。

かやの高原から望む八甲田山は、文字どおり八つの甲山の連峰だが、南・北・中央の3山が正面視できた。高田大岳や石倉岳などがどの山か、わたしにはわからない。新田次郎の『八甲田山死の彷徨』のイメージはわかないが、遠くの中腹に黒く立つ後藤伍長像に帝国陸軍の当時が浮かんだ。

かやの茶屋の長生きの茶(三杯茶)をいただき、ブナ林を一路黒石方面に向かった。田代平や雲谷などを通り着いたところは中野もみじ山。それは見事な紅葉でした。真紅や橙黄色の紅葉を堪能し、ほとんど来た道をもどり本日の泊宿ホテル青森に着いたのは、夕方5時少し前だ。

本日の夕食は、奈良さんの活動を熱心に支援する図司さんと一緒。わざわざセットしていただいた夕食は、ホテルから5分ほどのレストラン「コリエンテ」(海流)だ。洋風スタイルのコリエンテさんの和食は、さすが図司さんの見立てだ。ごちそうさまでした。

翌11月3日(文化の日)、奈良さんの自宅にお招きいただき、一年ぶりのロータリークラブ中島会長のご紹介で(株)食能研の前田会長にお会いした。新しい地方農業の6次産業化に熱心な方だ。昼食後、午後2時半ごろのはやてに飛び乗り、新青森をあとにした。
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