Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

アンディ・ルークとモリッシー

2023-05-22 19:40:53 | The Smiths misc.

2023年5月19日、アメリカの二ューヨーク メモリアル・スローン・ケッタリングがんセンターにて、ザ・スミスのベーシストアンディ・ルークが逝去しました。59歳という若さでした。訃報はジョニー・マーのSNSで発表され、長くすい臓がんを患っていたそうです。

この悲しい知らせに対して、モリッシーも同日、MORRISSEY CENTRALに追悼文を出しました。

BEAM OF LIGHT  光の輝き

時に、我々ができる最も過激なことのひとつは、はっきりとものを言うことではないか。誰かが死ぬと、その死を利用せんとばかりに、お決まりのおべんちゃらが出てくる。

私は、アンディに対してこのようなことをするつもりはない。ただ、アンディがどこへ行こうとも......彼が大丈夫であることを願うだけだ。

彼の音楽が聴かれる限り、アンディは決して死ぬことはないだろう。彼は自分の力をわかっていなかったが、その演奏は彼以外できないものだった。凄まじく卓越していて、型破り、そんなプレイができることを実証した。

アンディはまた、とてもとても面白く、とても陽気だった。スミス解散後も確固たるアイデンティティを保ち続け、決してわざとらしいことはしなかった。私たちは結局のところ、自分の存在に価値があったと感じたいのだと思う。アンディは、そんな心配ご無用だ。

……

なんて愛のある追悼文!こんなにアンディのことを(というか人のことを)モリッシーが好意的に語っているのは滅多にありません。『モリッシー自伝』の法廷シーンではアンディのことを「太ったローマ皇帝」(ひど…)と表現していたくらいです。私は正直言って、追悼で何を言っても世間に勘繰られたりたたかれるもんだから、思い出の写真一枚アップして「RIP」とかいうくらいかなとか想像していた。

ごめん、モリッシー。あなたは本当のことしか言わないから、この追悼文は本当に本当のことなのでしょう。本当にアンディのベーシストとしてのすさまじさを認めている。いろんな過去やらしがらみを越えて、「卓越したベーシスト」であるアンディの本質を敬い、思い続けるのだと思う。タイトルは「光の輝き」。「彼の音楽が聴かれる限り、アンディは決して死ぬことはない」、アンディが決して消えない「light」ということなのでしょう。

珍しいふたりの仲良しツーショット。

あと、あれだけモリッシーがいろいろ叩かれて四面楚歌のさなかの2019年、アンディがテレビのインタビューで「モリッシーみたいなおもしろい人いなきゃ世界つまらなくね?」と言ってくれたのも嬉しかったのではないかな…と思います←そういうのモリッシーの「not デスノート」に細かく記録していそう。

私が好きなアンディとモリッシーのエピソードは、スミス結成時マネージャーのジョー・モスの洋服屋クレイジー・フェイスでのリハ帰り、アンディとモリッシーは同じバス路線だったという話。毎晩20分間もの間、一緒のバス!!言うてもアンディは18歳、5学年も上の気難しそうなモリッシーを相手に話題探しに苦労したそうです。モリッシーを笑わせるためにくだらない話をし続けたと語る2004年MOJOのアンディのインタビューはこちら。読み返して、泣きながら笑いました。とてもとても正直な、アンディのおもしろっぷりが伝わってくるインタビューです。

マンチェスターのChapel Walksにあったジョー・モスの店からアンディの家のあるセールまでのバス路線を調べたところ、

たしかにストレットフォード通ってるwww 所要時間の記憶も確かなアンディ。 

その他モリッシーとのほっこりエピソードとしては、

「結婚していた頃、彼は僕の家に来たことがあるんだけどその際、元妻に大量の花束を持って来てくれた。ユリだったかな。あれは気がきいていたね」

と言っています。それは優しい!でもそんないいことばかりでなく例の「1986年、アンディヘロインヘロヘロでスミス(一時的)解雇、車の窓にモリッシーからの『さよなら』と書いたポストカード1枚で切られた事件」のことも語っている。「さよならと~書いた~手紙~を♪」ってモリッシー、堺正章か!(絶対違う)。もちろんモリッシーは「悪いのは僕の方さ~君じゃない~♪」などとは言わず、「そんなやり方で解雇を告知するわけないだろーが、嘘っぱち(怒)!!」とアンディを全否定しています。→2009年、「さらばアンディ」事件否定記事

…そんな確執はさておき、この追悼文で「アンディは、とてもとても面白く、とても陽気だった」と認めているモリッシー。あのスミスの時から40年以上も経ったけど、モリッシーはアンディのこと「とてもとても面白い」と思ってた、そして今も思っているようだよ、アンディ。モリッシーが降りるストレッドフォードまでの20分間バス地獄での苦労が報われたね。

アンディのベースでは延々Barbalism地獄はもちろんのこと、Cemetry Gates、ロカビリー調のRusholme Ruffians での演奏も大好きですが、Miserable Lieの低音レベルを異常に上げて聴くのが好きなのでオススメです(ってあんまり伝わりにくいオススメ)。

このライブ映像での、狂った乳首とか出してる人と、そのうしろでだるそうに確実なミゼラブルプレイをする予備校生風情のアンディとのギャップがすごく好きです。

モリッシーのソロ活動の中でも、そんなふたりの共演はいくつかありました。もともとギタリストだったアンディは、マーには敵わんとベーシストに転向。でも子どもの頃からギターさわっているし優れた作曲家でもあります。モリッシーのソロ作品の作曲もしています。

”Yes, I Am Blind" ("Ouija Board, Ouija Board"B面)
"Girl Least Likely To" ("November Spawned a Monster"12インチB面、1997年の Viva Hate再発ボートラ)
"Get Off the Stage" ("Piccadilly Palare"B面)

中でも“Girl Least Likely To”が大好き。全体を流れる雰囲気がマンチェスターの空の色みたいで(※イメージです)抒情的。ふたりで帰ったバスの外の風景みたいかな…って、アンディ話題作りに必死で、外なんて見る余裕なかったかもね。

どうか安らかに。あなたのベースを聴き続けます。モリッシーが言うように。

The Smiths in Brussels December 1983

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マイク・ジョイス トーク・セッション&DJイベントレポート

2019-06-11 22:59:47 | The Smiths misc.

6月8日と9日は、新宿Marzで、元ザ・スミスのドラマー、マイク・ジョイスの

トークセッション&DJイベントでした。ご来場いただいた皆様ありがとう

ございました!


マイク・ジョイス、スミスに入る前から解散後までのいろいろをしゃべる

しゃべる、DJでは全曲アゲアゲで踊らせるし自分も踊る、2日目には

お客様の熱いリクエストに応えて、なんとなんと、ドラムプレイまで見せて

くれました!!


しょっぱなあの迫力の“Queen Is Dead”オープニング、DJ中は、自分でかけた

“Barbarism Begins At Home”“How Soon In Now?”“Hand In Glove”に

合せて自分のドラムにかぶせてドラミングするという、多重構造のDJ

新スタイルwww 斬新すぎるし、夢にまで見たスミス生ドラムはすごかった!

お客さん、大盛り上がり!!てか、マイクこそめちゃくちゃ楽しそうでした。

体からリズムがこぼれおちてくるかのようで、ブランクを感じさせなかった~。


トークセッションでは、司会進行を務めさせていただきました。

印象的なトークを、2日間分取り混ぜて抜粋で、ご紹介いたします。


●音楽の目覚め

・10~11歳の頃兄2人や姉2人の影響で、家でかかっていたT-REXやボウイで音楽に目覚める。

・15歳でバズコックスのドラマー、ジョン・マー(当時16歳)を見て自分もドラムをやりたくなる。

・ドラムは独学で学ぶ。お母さんの編み物の針で椅子を叩いて練習。

・ドラムの前は「フルート」を習っていたと書かれているものがあるが実は

普通の小学生が吹いているような「リコーダー」。

・1976年の伝説のピストルズマンチェスター公演は13歳なので行けなかった。やっていたのは

知っていた。当時モリッシーやフッキーなど17歳以上の人はみんな行ってた。

・当時パンクが流行り出した頃。ジョニー・ロットンばりのツンツンヘアにするが、

学校では目立ってしまうので「週末パンク」。


→大家族の末っ子で早熟。モリッシーのように音楽の目覚めが早い!


●スミス以前のバンドキャリア

・マンチェスターのバンドThe Hoaxのメン募を見つけて応募。16歳でオーディション

を受けてメンバーに。まだ10代で、ベルギーツアーなど一緒にまわる。

・17歳の時、北アイルランドからマンチェスターに移住し、近所に住んでいた

The Victimのメンバーと友達に。それで加入する。


→やりたいとおもうとすぐやる課。

 

●スミス加入のきっかけ

・フラットメイトのピート・ホープがスミスのデモテープを気に入り、オーディション

を受けることを勧めてきた。

・オーディションでは“What Difference Does It Make?”と“Handsome Devil”、

そしてThe Cookiesの“I Want A Boy For My Birthday”を演奏した。

“Suffer Little Children”もだったかもしれない!?

・オーディション中は、その後夜にマンチェスターの街中に繰り出すつもりで

マジックマッシュルームを少し食べていた。そんなにクレイジーになるほどは

食べていない。

・オーディション中モリッシーは歌わずにうろうろ徘徊して時々変な感じで

こっちを見てきた。品定めをしていたのか。

・他にオーディションを受けたドラマーはいなかったのではないか。自分は一発合格。

・当時まだヴィクティムにいたが、スミスのオーディションに行ったら今まで聞いたことの

ないバンドなので衝撃を受けて、「バイバイ、ヴィクティム」。


→気に入ると100%気持ちがそっちに行く系。 

 

●スミスの衝撃

・あんな音楽、前に聴いたことがなかった。今まで聴いてきたものとまったく違う。

パンクぽいけどパンクじゃない。ロックみたいだけどロックじゃない。独特のメロディーがある。

・オーディション合格後、すぐにスミスの一員として、一週間に7日、毎日リハーサル。

マネージャーのジョーモスの店「クレイジー・フェイス」で練習した。

・パンクが好きだったし、ホークスもヴィクティムも激しかったので、最初はもっと速く

激しくたたきたかった。しかし、スミスがいいのはすべての曲がすべて違う所。

“Miserable Lie”は激しいし、“Reel Around The Fountain”や“I Don't Owe You Anything”

はゆっくりとしていてソフト。色々な曲を演奏して、色々なスタイルを演奏できるように

なった。

・スミスのドラマーになったことで、ドラマーとしての表現力を身につけ、

成長していったと思う。やらないとクビになるから、成長せざるを得ない。

・スミスの音楽は4人のケミストリーのようなもので完成し、成り立っていた。

・1982年10月4日、マンチェスターのリッツで初ライブ。300人の前で演奏。

スネアドラムが破れたが対バンのドラマーがドラムを貸してくれない。仕方なくスネアドラムを

逆さにして演奏。


→「ザ・スミス」と共に、ドラマーとして成長していった。

 

●モリッシーの衝撃

・モリッシーは普通の人と違った。それまで自分がつきあってきた、仲間のパーティー

アニマルたちとは違う。真面目で物静か。

・4歳上というのは、今だったら何でもないが、18歳と22歳では全然違う。音楽のみならず

文学や映画、イギリス文化を彼から学び、影響を受けた。

・ヴェジタリアンになったのもモリッシーの影響。1985年、“Meat Is Murder”をレコーディングした

その日に食事中、モリッシーから動物たちのひどい扱いについて話しを聞いた。当時猫を2匹

飼っていて、「君の猫が、食用の牛や豚と同じ扱いを受けたらどうする?」と聞かれて嫌だと

思い、ヴェジタリアンになった。モリッシーの言葉にはパワーがある。それ以来30年以上ヴェジタ

リアン。アンディー・ルークは違う。

最近のモリッシーの言動については何も言うことはない。自分が知っているのは

30年以上も前のモリッシー。今の彼とは話しておらず、知らないのに皆自分に

聞いてくる。彼とは今関係ない。

・モリッシーは、自分が知っている限りは「おもしろい人」。ひと言でいうと

「ドライ」(湿り気がない)、そのユーモアセンスはダークで、すぐさまウィットに富んだ

ことが言える。レスポンスの反応がとても速い。

・コメディアンとして成功している、モリッシーファンのラッセル・ブランドでさえ、

モリッシーと初めて話すのは緊張したという。「あなたのショーを見たことがある」

と言ったらすぐさまモリッシーに「アシカでさえショーはやるから」と返されたという。

まったく容赦ない。

・モリッシーはただ物静かな文学青年ではない。スミスメンバーでサッカーをした時、

モリッシーのサッカープレイはとてもアグレッシブで驚いた。


→マイクにとってモリッシーは多大な影響をもたらした「兄貴」。


●スミスのサウンド

・スミスのサウンドは“depressing”(憂鬱)とかいわれるが実際は“funny”(おもしろい)。

“depressing”と思うのは、スミスのメッセージをちゃんと受け取っていない。

“Heaven Knows I'm Miserble Now”でさえよく聴くとおもしろい。

・モリッシーの歌詞は真実であり、個人的なこと。真実を突きつけられると、普通の人はイヤに

なってしまったり憂鬱になってしまうから“depressing”と思うのかもしれない。

・「スミスでどの曲が好きか」と聞かれても「自分の子どもの中でどの子が一番好き?」

と聞かれるのに答えられないのと同じように選べない。毎日変わる。でも、“Hand In Glove”は

最初にレコーディングした曲。特に好きというのはある。

・アルバムだと“Strandeways, Hewe We Come”が一番好き、とすぐ答えられる。

他のアルバムは、もっとビックになりたい、次はもっと良いアルバムを作らなきゃいけないと

いうようなプレッシャーがあった。しかし、“Strangeways, Here We Come”を作る時は

ザ・スミスというバンドとしての自信が確立されていた。プレッシャーから解き放たれ、

スタジオに入ったらすぐ、川が流れるように完成した。

・曲によって違うが、モリッシーが歌詞、ジョニーがギターでデモを作って、ドラムとベースは

好きにつけていいスタイル。

・“Barbalism Begins At Home”のリズムソロは長いが、あれはジョニーがギターを置いて

しまったのでアンディーとふたりで自然にリズムラインを作った。スミスの中でも特殊なリズム

になった。(あのリズムに合わせてモリッシーとマーが踊っているのが見られたが)自分も

ドラムを叩きながら踊っている。

・スミスの曲には色々なリズムが採り入れられている。“Girlfriend In A Coma”ではレゲエ、

“What She Said”はアグレッシブだし、“That Joke Isn't Funny Anymore”はバラード。

・“Panic”“Sheila Take A Bow”はグラムスタイルでT-Rexみたい。あれは自分のアイディア。

・アレンジが一番難しかった曲は“Shakespeare's Sister”。短いし、簡単にできるが

ロカビリー調にしたかった。ハイハットが速くて難しかった。

・“The Queen Is Dead”のマーチ風なドラムも自分のアイディア。ジョニーのリフに合わせて

いたら自然とああなった。

・ジョニー・マー脱退後、元イースターハウスのギタリスト、アイヴァー・ペリーと

スタジオに入ったがうまくいかなかった。ジョニー・マーがあまりにもうますぎたから。他の

ギタリストではダメだった。彼の名前は忘れてしまっていたが(お客さんに教えてもらう)、

いい奴だった。

・クレイグ・ギャノンの性格は好き。今も友達。15、16歳でアズテック・カメラとアメリカ・

ツアーをまわったすごい才能の持ち主。あのジョニー・マーと同じステージでギターも弾ける

のだからそれも凄いと思う。

 

→「唯一無二」のスミスサウンドの肝でもあるドラムリズムはマイクがクリエイト。


●スミスの影響

・何度も繰り返しているが、モリッシーとジョニーは他と違うスペシャルな人。

オーディションの最初から、「このバンドはすごいことになる」と思った。

・スミスで自分は「バンド」としてやりたいことをすべてやった。スミスは自分が

欲しかったものをすべてくれた。

・正直、その後のキャリアには影響があった。スミス解散後、シニード・オコナー、

ジュリアン・コープ、PIL、バスコックス…と本当にすごい人とばかり活動をしたが

スミスの凄さから抜け出すことはできなかった。

・バズコックスのドラマー、ジョン・マーは自分がドラムを始めたきっかけ。10代の

憧れのアイドル。家をつきとめたり、ストーカーまがいのことをするほど好きだった。

そんな彼の代わりにドラムを叩くなんて(1990~91年)まったく考えられない。スミス

を通らなくては誘われなかった。

・PILもそう。15~16歳の頃、髪をツンツンに立てて、ピストルズに合わせてクラブで

踊っていた。そんなピストルズをやっていたジョン・ライドンと同じステージに立って

いるなんて(1992年)信じられなかった。それを自分にもたらしたのもスミスだ。


→スミスにいたお陰であらゆる夢を叶えてきた。それで満足。


●現在の活動

・今はドラマーとしてバンドに参加する気はない。30年間プロミュージシャンをやって

きて、色々なバンドにも参加して満足してしまった。

・現在はプレイヤーというよりリスナーで、DJ活動に専念。何かをやるとしたら100%

専念するタイプ。今は週に1回のラジオ番組(Mike Joyce on XS Manchester)のDJで忙しい。

全曲を自分でチョイスするスタイルはイギリスのラジオ番組では珍しい。準備に3日くらいかけている。

注目バンド、新しいバンドはラジオを聴いて見つけたり、チャートやNMEなどの雑誌で

見つける。音楽を聴いてエアドラミングをするのが好き。

・昨年キャンセルになった「クラシカリー・スミス」は、クレイグ・ギャノンとやりたかっ

た企画。72人のオーケストラで、スミスを聴いたことのない層に向けて演奏してみたかった。

しかし、ニューヨークとイギリス側のマネージメントで誤解があり頓挫した。それはのっぴき

ならない理由だったが、悪者は自分のようにされていやだった。

・マンチェスターの人はコミュニケーション好きでしゃべるのが好き。自分の考えを伝えたい

タイプなので、続々とミュージシャンやバンドが出てくることにつながっているのかもしれない。

・現在のマンチェスター出身のアーティストやバンドでおすすめは、Liam Frost。「どんな感じ」

と一言でジャンル分けできない、“interesting”なところがとても良い。シングル“Pomona”は

すばらしい。

Liam Frost - Pomona (Audio)

・あとBlossomsもいい。何年か前に見て、絶対大きくなると思ったら本当に大きくなってきた。

Blossoms - Honey Sweet (Official Video)

・若いバンドのプロデュースをする予定はないが、頼まれたらイヤとは言えない。ただやったら

夢中になりすぎて自分がドラムを叩きそうだ。

・スミスで共演した女性アーティストの印象:

サンディー・ショウ…“Hand In Glove” を一緒にやったのは名誉だった。彼女は英国を代表する

女性歌手。共演した時、彼女が歌っているのにガラス越しに見とれて、まったくドラムを見ないで叩いた。

カースティー・マッコール…2、3度会っただけだが静かで優しい人。美しい声なのに自分が歌うことに

自信がなく緊張していた。この性格なのでグイグイいくのでひいていた。

・卒業旅行でマンチェスター:

オススメのミュージック・ヴェニューはThe Deaf Institute。また、スミスが最初にライブを行った

The O2 Ritzなどもまだあるので行ってみるといい。


→マイクの現在の本業はラジオDJ、リアルタイムの音楽に詳しい。

(そして家庭菜園で野菜を育てるのに夢中)

 

…以上、サマリーでしたが、トークセッションレポートでした!とても話し好きで楽しいパリピな

マイク・ジョイスでした。日本のオーディエンスにとても喜んでくれて、よかったです。

手を伸ばすお客様ひとりひとりと握手をして、丁寧にお話しや写真撮影もしていました。

東京最高!と何度も言っていたマイク。マイクにとってもファンにとっても「ザ・スミス」

はかけがえがなく、影響は大きく、終わってもなお「生きている」と思えた2日間でした!


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Romi Mori 写真展:「ザ・スミス」のモリッシー写真を撮った日本人アーティスト

2016-12-18 21:38:31 | The Smiths misc.
1984年、当時洋楽に目覚めたもののおこづかいが「ひと月1000円」の12歳の私は、足しげく地元の貸レコード屋「友&愛」に通っていた。それでも使えるお金が限られているので、よっぽどの確実な情報(友達か雑誌)がない限り、当てずっぽうにレコードを借りることなんてできなかった。

それが、初めて、理屈でなく、私に「借りろ」と言っているレコードに出会った。ザ・スミスと書いてあって、それがバンド名だかアルバムタイトルだか、なにがなんだかわからないけど借りた。

丁寧な解説と歌詞対訳。そのライナーでこの写真に出会った。



…この人、苦しいの?と思った。何かにすごく苦しんでて、どうしようもないような顔の男。そして、レコードに針を落とすと、聞いたことのないギターと、聞いたことのない声が聞こえてきた。まるで彼岸から響くような。すべて諦めた後、またどこかで生まれたようなキラキラな音がした。

“it's time〜”とこのアルバムの1曲目が鳴った時、私のtimeも始まった。

もうその日が、何月の何日だったかとかわからないけど、その時の気持ちはずっと覚えてる。「ザ・スミス」で出会ったモリッシー、ずっとこの声を聞きたいと思った。このスリーブの2色刷りの人を見つめて、今までまったく、誰にも感じたことのない気持ちになった。なんだかはわからなかったけど、離れられないと思った。

…時を隔てて32年、すっかり毎日「モリッシーファン」をやってたら、驚くべき告知が目に入ってきた。



Romi Mori Photo Exhibition「Eternal Dusk」

“フォトグラファー、そしてThe Gun Clubのベーシストとして80年代初頭からロンドンを拠点に活動するRomi Moriさんの国内写真展開催”

このRomiさんこそが、あのファーストのインナーのモリッシーポートレイトを撮ったと!!

実は、昔誰かに、あの写真は日本人が撮ったものだと聞いたことがある。でも都市伝説みたいなモリ伝説だと思ってた。ポートレイトの下に“ROMI”とあるのは知っていたけど、まさか本当に、日本人が撮ったとは!共通点、「日本」しかないけど、胸が熱くなった。

トークセッションもあると知り、すごく行きたくなった。でも予定がたてこんでて諦めかけていたら、モリッシーファンのMさんが「行きたいイベントには行かなきゃ!」と誘ってくれた。モリッシーファンの皆さんのactionする力とか、現場主義には、いつも頭が下がる。Mさんのおかげで17日土曜日、私のすべてが始まった1枚を撮られた、Romi Moriさんを「見に」出かけた。



会場に行くと、トークセッション前のRomiさんとお話できた。なんだか胸がいっぱいで、ろくなこと言えなかったけど「32年前にRomiさんの撮ったあの1枚を見てすべてが始まりました」と言った。Romiさんは美しく、ふっ、と笑って「そっか…もう32年も前になるのね」と言った。それが「昔は懐かしいな…」じゃなくて、「ずーっと今も続いてる」から「32年にびっくり」という感じだったし、繰り返しますが美しいので、現役感と現場感でみなぎっていた。会場で売っていたパンフにサインをいただいた(パンフの中のツネグラム・サムさんのレビューもとても良いです!)。



この、ファーストのモリッシー写真。2色刷りに慣れてたけど、ほんとはカラーなんだ((泣))と、脈拍がはやくなった(いつもは不整脈ですw)。

ご一緒したアクション美女Mさんは、もちろんもうすでにRomiさんの撮った写真をお買い上げ。私も写真展で目にしたら、どうしても欲しくなった。



Mさん、写真買うなんて初めて!と言っていた。私もそうだし、「買った」というより、「家に来てもらう」という感じがした。自分の原点を目につくところに飾っておきたいと思った。

その他、落ち着いて見ると(笑)会場には躍動感のあるモリッシーと、その他知っている方たちの写真が。



あまりにも自然に。あまりにも当時の空気をまとって、そこにあった。飾ってあるんじゃなくて、ひとつひとつの写真が呼吸しているよう。





時代の、場所の、空気感や、湿り気や、有機的なものが感じられる写真たちがたくさん「いた」。じっと見つめていると、その場に行けそう。

そして楽しみにしていたトークセッション開始。司会のツネグラム・サムさんの采配と、クロスビートの荒野さんの何でもアーカイブぶりに感心しまくりつつ、Romiさんと久保さんのぶっちゃけトークもすごく楽しかった。



(個人的にはThe Gun Clubの“Mother Juno”のジャケは、Jeffrey Lee Pierceが、神田正輝と松田聖子が裕次郎の病院に行くとこ写真にインスパイアされたものを、The Fallの“c.r.e.e.p”のジャケ絵も描いたClaus Castenskioldが描いたというエピソードが一番衝撃でしたw)

ついでのマイc.r.e.e.p


トークセッションの終わりの方で、Romiさんのお友達である久保憲司さんが、80年代のイギリスを評して「あの時のにおいや感覚はもうわからないだろうなぁ」と言ったら、Romiさんがスパッと「だからこれやってるのよ」と言った。Romiさんて、時空間を超えてる人だと思った一言だった。

その後、大学の同級生MoodmanがDJしていたので話してたら「Romiさんのギャルパワーはすごい」と言っていた。もちろんいい意味で。ボーダーとか、既成概念を越えるのがギャルパワーってことかなと思った。

帰り際にRomiさんに「女っていろいろ大変じゃないですか。やはり大変なことたくさんありましたか」と聞いたら「もう自分が女とか捨てちゃってないのよ」というようなことをおっしゃってた。男とか女とかにこだわってる自分がまだまだ青いなと思った。

トークセッションでも、モリッシーのセクシャリティの話にもなった。久保さんは、モリッシーがRomiさんを気に入っていたので(モリッシーからのお手紙には“I adore you”と書いてあったそう!)、第2の「ジョンとヨーコ」をモリッシーがねらってるのかと思っていたそう。でも違った。私は帰りながら、モリッシーがRomiさんを“adore”したのは、その男とか女とか超えた、なんでも越えていく「Romiパワー」がわかったからではないかと。モリッシーがいまだに歌ってるのは、性とか既成概念を越えた超えた先にある、もっと自由な、人間の本来の力強さへの確信だから。

写真見たらわかる。お父さんにもらったカメラひとつで、いままで女の子だった子がイギリスに来て、なにもかも飛び越えて、素敵なものを切り取った。その自由な力を感じたモリッシー。彼はRomiさんが撮った写真を引き伸ばして部屋に飾ったそう。本当に気に入っていたのだろう。

Romi said;

「私が気に入っているのは青いモリッシーの写真。ファンの持っていたグラジオラスがステージに敷きつめられ、その上で歌うモリッシー。とても美しかった。私が見たスミスのモリッシーのすべてがこの写真にある」



自分が見た美しさすべて写真に、生き方にこめるパワーを持った美しい人のオーラに触れられた夜でした。

★このRomi Moriさん写真展は、12月22日まで、恵比寿リキッドルームで開催中です。

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ザ・スミスとモリッシー写真集『The Smiths』発売

2013-07-13 01:14:01 | The Smiths misc.

気を取り直して…

 

スミス・モリッシーファンには楽しみ♪な話題もあります。

ザ・スミス、およびモリッシーのお宝フォト満載の写真集

『The Smiths』が8月12日にイギリスで発売



スミス、モリッシーそしてミュージシャンばかりを撮り続けてきた

元『NME』のカメラマン、ローレンス・ワトソンの写真集で、

「今まで見たことがない!」写真がたくさんなようで今から楽しみ!

スミス駆け出し時代から撮り続けてきた人の写真…

感慨深い!!

 

在りし日のスミスと、ワトソンさん。

 

ちょっと恰幅よくなった最近のワトソンさん。

 

さっそくアマゾンで買いました(って、なんでもう買えるんだろう??)。

なんか007みたいな表紙でこれまたアガる~!

 

ローレンスさんは、こんな写真集も出してました。

 

ウェら~

 

このウェラーかっこよすぎ。。。

 

…あ、スミスのことに戻らなきゃ。

ワトソンさん撮ったモリッシーだと、これ有名ですね。

 

今回の写真集には

こんなのが載っている~

エコベールはベルギーの洗剤メーカー、環境にやさしくて

「1979年の創業以来、動物実験を一切行っていない」

のでもちろんモリッシーも支持!アピってるのでしょうか?

 

の、飲んでるし。。。!!!

うわ~それはステマwにもほどがある!!

 

他に掲載されているという写真で一番「いい!」

と思ったのがこれ。

「やめろよ~!!」という声が聞こえてきそうな

「小学校男子の休み時間か!?」写真!

 

あの、ちょっとけだるい感じで若い4人が並ぶ、おなじみの

サルフォード・ラッズ・クラブ写真とイメージがまったく

違って、とっても微笑んでしまう~。

 

…と思っていたら、アメリカのモリッシーファンさんが

この写真に対してこんなこと言ってました。

 

「マイク、いないしwwwどこwww」

 

ほんとだ…

たとえばこの本からではない、他の写真も見てみました。

 

いない…。

 

ほとんどいない…。

 

ほとんどいない…。

 

いるけどいない…(切られている)。

 

これはマーの方が少しいない…。

そして、マイク顎乗せ現象の序章…。

 

いた…でも生首心霊写真みたい…。

 

はっきりとしたアゴ載せ…。

 

ほとんど、背後霊…。

 

「はい、すいませ~ん。

ジョイスく~ん!ジョイスくんっ!

いたら返事してくださ~い」

 

「…あ、は、はい」

 

「ずっと…いますけど…」(以下、黙々と、叩く。)

 

ほっ。

出欠の確認もできましたので、〆にうつりたいと思います。

 

私の大好きなアルバート・フィニーの店写真

の、こんなテイク↓ も入っていて

この今となっては奇跡のような「4人」の直列並びに

(電池が直列だと、豆電球の明るさは4倍)

いまだトキメキ感じます。

ワトソンさんも

 

「スミスやモリッシーの写真をこうして再び現像していると、

世界で最高なバンドのひとつと仕事をしていた素晴らしい時代の

思い出が蘇ってくる。彼らの音楽が永遠であるように、

これらの写真も彼らの何が特別だったのかを

伝え続けるものなんだ」

 

と語っているそう…。

 

う~、ほんとうに写真は「一瞬を永遠」にしてしまう。

そして、今となっては完全に失われたものの姿の提示が、

わたしたちの中には、まだ、「まったく失われていないもの」が

あることを、より鮮明に思い起こさせる。。。。

 

本当に写真集、届くのが楽しみ♪

ペラペラめくりながらスミス聞いて夏を乗り切る~

ガリガリ君60本分くらいの値段ですが、ガリガリ君を

食べるのを我慢して…(どんだけこの猛暑耐え忍べはいいんだ…)


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Oh, Manchester so much to answer for...

2012-02-24 19:23:18 | The Smiths misc.

昨日、わたしは偶然にもJR成田線「佐倉」駅に降り立った。

そう、それは「和製モリッシー」こと、長嶋さんの出身の地!

佐倉…そこは…言ってみれば… 「和製マンチェスター」…!?

 

はい、ここで。

 

これほんとのマンチェスター。

「英国製モリッシー」(←って、つまりモリッシー)の出身地駅

かいなってぃー、1992年20歳の時に初めてマンチェスター仲間(New Order熱烈ファン)

チヒロックさんとマンチェスター訪れました。

そう、それは聖地巡礼!!

 

今でこそ

こんな便利なおブックがありますが、当時は

これ持って、もう伊能忠敬並みの足調査!

 

はい、これ。モリッシーの生家ね。(たくさんあるからサクサクいくわ)

 

はい、これ。モリッシー出身の学校

地元の女子中学生に連れて行ってもらいましたw

こここそ「らららららららーいえ~♪」←The Headmaster Ritualの舞台ですな。

 

はい、これ。かいなってぃーの選ぶThe Smithsナンバー1ソング

Miserable Lieに出てくる

「Just a rented room in Whalley Range」

のワーリー・レンジ!!

地元の失業者に連れて行ってもらいましたw

 

 

んで、ファンだったら

「黒ぶち眼鏡かけて自転車で集合したくなる」

(※参考映像

 
さるふぉーどらっずくらぶ~~~!

モリッシーはここにめちゃ思い入れあって、

2007年に保存のための救済寄付までしています

£20,000!!

えへ。

 

2008年のモリッシー50歳のお誕生日にはここにファンが集まりました

聖地ですな・・・

 

Oh, Manchester

So much to answer for...

かいなってぃー、大好き写真☆

コメント (2)
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