Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

やっぱり5分でわからない!前回来日から今のモリッシー、7年の軌跡 その6

2023-08-22 13:01:29 | モリッシー来日 2023

前回その5 の続きです。

やっぱり仕事が始まるとなかなか書けないな~と思っていたら、早速宇野維正さんに煽って応援していただきました。

 

更新が「止まって」いるわけではなく、ただ書く時間がないだけなので(同じだけど)来日までには必ずや2023年の「いま」にたどり着けるようがんばりまっす! とか言いながら、今書き終わったら、「モリッシーが何をしていたか」というより日本での2019年振り返りみたくなりました。

 

2019年

5月

●『イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語』

前回までに紹介した2019年5月頃、モリッシーはあんなに受難の時を過ごしていた時、自分は何をしていたのだろう?と思ったら、字幕監修したモリッシーの青春時代を描いた映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語』が日本でも5月31日に公開されたタイミングであり、マーク・ギル監督にインタビューしていました。

 

監督自身もマンチェスターの出身なので、「マンチェスターAtoZ」を持ってって、実家の郵便番号まで教えてもらいました(笑)。モリッシーと共通するマンチェスター観が聞けてとてもおもしろかったです↓

モリッシー伝記映画の監督が語る 「ボヘミアン・ラプソディじゃない青春」

 

この映画、モリッシーはまったく「公認」していないし、インタビューで聞かれると「撮るって聞いてもないし何の話?」みたいな、意地悪な姑みたいな反応をしています。ギル監督によると、さんざんコンタクトを試みたのにお返事もらえなかったとのことです。この映画は「モリッシー」を描きつつ、監督自身は

「スミスのレコードを聴いていようが聴いていまいが、若者、もしくは若者であった人であれば、『ああ、この感じわかる!』と共感できるものが多分に含まれていると思う。居場所がなく、何かになろうともがき苦悩する青春の救いは何か、出口はどこか、ただの若者がどうやって世界の『モリッシー』になるのかという成長物語」(マーク・ギル)

と表現しています。ナニモノかになりたくて、ナニモノにもなれない焦燥感とか、そこにさしこむ光とか、暗~いマンチェスターを舞台に、普遍性をもって描かれている映画です。

「スミスの音楽映画を作りたかったわけじゃない。モリッシーに対して賛否両論があるように、この映画に関して好き嫌い意見があるのは当たり前。嫌われてもいい、これは僕が語れる物語だという気概を持って作品作りに臨んだ」

と言う監督に、私は意気込んで

「でも私は、真のファンってそうあるべきだと思うんですよ! 自分が愛しているものの実体に踏み込み、解釈し、その素晴らしさを紹介する。そして『きっとみんなにも通ずるものがあるんじゃないか』と、広く遍く提案することにこそ、意義を感じます」

と言っている。中年の主張!? ギル監督をファン仲間扱いしてるし「これはいらないんじゃないか」と思ったけど、当時の週プレ編集長が「これが上村彰子のモリッシーファン道のすべてのモチベーションを表している」と言ってたしそのままにしたんじゃないかな。でもそうなんですよ。だから、まだ、このブログを書いています!誰からも頼まれてないのに…とよく思うけど、冒頭の宇野さんのように煽って応援してくれる人がいると燃えます。

モリッシーの「ファン」であることは私はもう何があってもやめないんです。当時、モリッシーが「右翼ダー」「差別ダー」と言われまくりなことに、「あーあ」とは思ったけど、私がモリッシーに見出している凄さは世間の批判を凌駕しているので1ミリの不安もなかった。マーク・ギル監督も「政治的見解に大賛成!ってわけでないけど、モリッシーが自分に多大な影響を与えたことに変わりはない」と言っていました。ほんとそう、自分にとってその人が何なのか、が大事だと思います。

 

6月

●マイク・ジョイス トーク・セッション&DJイベント

で、そのすぐ後6月8日と9日には新宿で、

マイク・ジョイス トーク・セッション&DJイベント

があり、マイク・ジョイスのトークの司会をしました。

2日目にはお客様の熱いリクエストに応えて、「あれ!?なぜかステージにドラムがある…」ということで(華麗な仕込み)、なんとなんと、ドラムプレイまで見せてくれました!!

ナマThe Queen Is Dead凄かったです。この時、ドラムに触ったのは10年ぶりとのこと。

DJ中は、自分でかけた“Barbarism Begins At Home”“How Soon In Now?”“Hand In Glove”に合せて自分のドラムにかぶせてドラミングするという、多重構造のDJ新スタイルでした 斬新すぎるし、お客さん大盛り上がり。

 

『モリッシー自伝』でモリッシーのマイクへの罵詈雑言を骨身にしみるほど浴びていたので、正直この役目を受けていいのか…と迷いもありましたが、マイクにもモリッシーのことを聞きた過ぎて、受けました。

 

マイクによるモリッシーコメント抜粋

「モリッシーは普通の人と違った。それまで自分がつきあってきた、仲間のパーティーアニマルたちとは違う。真面目で物静か」

「4歳上というのは、今だったら何でもないが、18歳と22歳では全然違う。音楽のみならず文学や映画、イギリス文化を彼から学び、影響を受けた」

「ヴェジタリアンになったのもモリッシーの影響。1985年、“Meat Is Murder”をレコーディングしたその日に食事中、モリッシーから動物たちのひどい扱いについて話しを聞いた。当時猫を2匹飼っていて、『君の猫が、食用の牛や豚と同じ扱いを受けたらどうする?』と聞かれて嫌だと思い、ヴェジタリアンになった。モリッシーの言葉にはパワーがある。それ以来30年以上ヴェジタリアン。アンディー・ルークは違う」

「最近のモリッシーの言動については何も言うことはない。自分が知っているのは30年以上も前のモリッシー。今の彼とは話しておらず、知らないのに皆自分に聞いてくる。彼とは今関係ない」

「モリッシーは、自分が知っている限りは『おもしろい人』。ひと言でいうと『ドライ』(湿り気がない)、そのユーモアセンスはダークで、すぐさまウィットに富んだことが言える。レスポンスの反応がとても速い。コメディアンとして成功している、モリッシーファンのラッセル・ブランドでさえ、モリッシーと初めて話すのは緊張したという。『あなたのショーを見たことがある』と言ったらすぐさまモリッシーに『アシカでさえショーはやるから』と返されたという。まったく容赦ない」

「モリッシーはただ物静かな文学青年ではない。スミスメンバーでサッカーをした時、モリッシーのサッカープレイはとてもアグレッシブで驚いた」

 

…というモリッシー情報を教えてくれました。確執の話はナシ(そりゃそう・・・)。

 

私の印象では、マイクは本当に「率直な元あんちゃん」の感じでした。いろいろ計算して動こうという感じではなく…。今さらどんなにモリッシーをかばっても二度とモリッシーに許してなんてもらえないのにモリッシーのことを悪く言わないので、本当にそう思っているのだと思います。

2018年、“News Thing”という番組に出演したマイク・ジョイスは、「今までにモリッシーが誰かに人種差別的なものを向けているのは見たことがない」と言っています。ただ、彼とはしばらく話をしていないので(そりゃそう…)誰しも年を取れば考え方が変わっていく、「実際のところ、モリッシーは30〜40年前のイギリスが懐かしいんだと思う」と言っています。マイクはモリッシーの父も母も移民だと言い、彼を人種差別主義と呼ぶことをためらっています。人種差別という批判については「彼に尋ねる必要がある」と答えていました(彼に尋ねられる機会があるかどうかは別だけど)。

Mike Joyce on The Smiths, Morrissey allegations - News Thing

最後の方でマイクは、「あなたはドラマーで、ベーシストではない。それでは答えてください、モリッシーは人種差別主義者?」クイズを出されて、とても困惑しています。クイズが本当にひどい!司会者のサム・ディレイニーが引用する言葉が、モリッシーによる発言か「別の有名なレイシスト」(ヒトラーとか)によるものかという質問に答えるんです。さすがのマイクもちょっと嫌な顔をしていました。こんなことして何になるんだ??世界の差別が、これでなくなるんか??

 

11月

●『モリッシー自伝』急展開

こんなマイクを見たばかりなのに、2019年、事態は思わぬ方向に!

さんざんぱら暗礁にのりあげていた『モリッシー自伝』が出版できるかも!?の方向に動くのです。実は3月に「OKかも」の連絡がきていましたが、てんで信用していなかったら、11月に契約締結に!!6月に会ったばかりの優しくてノリノリ☆マイクへの地獄のような呪詛呪詛呪詛…をまた浴びることになります。ページにして、298ページから339ページなので、41ページ(下記「スミス裁判」比率参照)、ほぼ、マイク・ジョイスと裁判官、弁護士への恨み節のこのパートを訳するのは特につらかったです。

 

これは本当に1分でわかる!『モリッシー自伝』発売から日本出版、7年の軌跡

●2013年10月17日

『モリッシー自伝』の原書“Autobiography” が発売(最初の噂が出てから5年、また版元のペンギンブックスと直前までもめながら、ようやく出た経緯はこちらに書いてます)。

●2013年12月

発売を前後して、イースト・プレス社は日本での版権獲得オファーを開始。2013年12月に正式に日本版出版が決定。その他13か国でも発刊予定とモリッシーが公式に告知。

●2013年4月11日

モリッシーが当時公式情報を出していたファンサイト“True To You”にて突如、各国での自伝翻訳出版拒否を発表。14か国の翻訳版は発売禁止に。7割方終わっていた日本語翻訳版はお蔵入りに。それでもエージェントとの交渉は続けて行く。

●2014年10月

日本との契約を進めていたエージェントがクビに…。

●2015年11月

モリッシーが急に日本での発売をOKと言っていると新エージェントからの報。

●2016年11月 (←直前、9、10月にはモリッシー来日しています)

モリッシーに契約書を送っているもののサインをしてくれないとエージェントからの報。

そして2年4か月の月日が流れ……(←業を煮やして2018年7月には『お騒がせモリッシーの人生講座』出版

●2019年3月

モリッシーのマネージメントから日本での発売OKが急に出る。

●2019年11月

…契約締結。

●2020年1月~

日本版発売に向けて翻訳作業リスタート。

●2020年7月17日、イースト・プレス社より、『モリッシー自伝』日本語版刊行

何はともあれ、出せてよかった!私の人生は1度、2020年7月17日で終わったような気もします。2020年7月以降は、アフター・デス…ってことでちょうど今はAD3年。AD3年の今年、またモリッシーが来るので頑張らなきゃいけないですね。

8月18日、モリッシーチケット抽選お疲れ暑気払い会。でも11月まで塩漬け発券不可能邪気払い会↓

ちょっと旅に出るのでまたなかなか書けないかもだけど、つづく。

→つづきはこちら その7


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり5分でわからない!前回来日から今のモリッシー、7年の軌跡 その5

2023-08-15 12:14:09 | モリッシー来日 2023

前回その4 の続きです。「5分でわかる」くらいのものをちゃゃちゃーっとまとめてぱぱぱーっと書こうと思ってた目論見に失敗したのでタイトルを変えました。これで看板に偽りなく書く、クリーンなブロガーになったのでほっとしています。

前回ではモリッシーの右翼政党支持がいかに本国で波紋を呼び、「キャンセルカルチャー」の真っ只中にモリッシーが置かれることになったかを書きました。その中で引用したガーディアン紙のモリッシーが激怒した記事“Bigmouth strikes again and again: why Morrissey fans feel so betrayed”には、かつてのお友達ビリー・ブラッグも登場。モリッシーを裏切者とキツいコメントを寄せました。

 

2019年

5月

●ビリー・ブラッグもモリッシーを大批判

1985年のザ・スミスの初北米ツアー時、若き日のふたり。モリッシーは半ズボン姿でさわやか。このツアーでビリーは、スミスのサポートアクト、スミスの”Jeane“をカバーしたそうです。ビリーとスミスの出会いは1984年の2月、ロンドンのライセアムでビリーがスミスの前座を務めました。モリッシーとマーがふたりでビリーの楽屋に来て彼のデビューにおめでとうを言ってくれたそうです。ビリーにとってはうれしい、光栄な思い出だったことでしょう。

それが!ガーディアンのインタビューで、

「モリッシーは今や往年のザ・スミスファンを裏切って、自らの遺産を裏切り、スミスファンたちを促していたところとは正反対の場所にいるような人々を支援しようとしているんだ」

と批判。元保守党、労働党の国会議員で、1930年代の初頭から1940年に解散するまでイギリス・ファシスト同盟の党首を務めていたオズワルド・モズレーに成り果てたと言っています。

「ザ・スミスの曲がかかると、飛ばしてしまう……どうしても聴けないんだ…」

と語るビリーの繊細さにはびっくり。ビリー・ブラッグほどの闘士がけっこう気にしている。

というか、ビリーがモリッシーを批判するのはこれが初めてではありません。2012年にはモリッシーのオリンピック英国開催批判に対して批判、2018年にはBBCのモリッシー批判記事にツイッターで反応し、”There Is a Light That Never Goes Out”を引き合いに出して「かつては灯りが点いていたけど、もう消えてしまったんだ」とツイート。そんなクソリプ…じゃなかった、引用リツイート、わざわざ聞かれてもいないのに言う~?(←そろ谷のアニメっちふうツッコミ) とにかくモリッシーはビリーのこと言わないのにビリーが言うんです。

ビリーは単に、モリッシーのことをそもそもすごく嫌いなんだと思います。もしかして好きで好きだったのが、嫌いで嫌いになって、こだわってしまうんだと思います。

「モリッシーは今や往年のザ・スミスファンを裏切って」と言っているけど、往年のザ・スミスファン=まぎれもない「自分」が裏切られたと感じて激怒しているんではないか。

2021年、ソウルフラワー・ユニオンの中川敬が行った『TURN』のインタビューでは、英国のベテラン・ミュージシャン、例えばモリッシーの差別発言や、ヴァン・モリソンやエリック・クラプトン等、著名ロック・ミュージシャンの陰謀論的発言をどう捉えているかと聞かれ

「ここでキーになるのは年齢だと思うね。君が例に出したようなミュージシャンたちは今みんな年老いてきている。僕も含めてね。ポップ・スターとして、かつて人々は彼らの言うことを聞き、リスペクトしていた。だから彼らは自分の意見が時代遅れに聞こえる可能性について考えないんだ。僕も同じ問題に苦しんできたけど、ソーシャル・メディアで若い人たちの行動をフォローすることで、今は炭鉱労働者のストライキで得た視点とは違う社会活動を考えるようになった」

と、落ち着いた意見を述べています。「ああだったのに変わった」「あれは失われた」という怒りだけでは社会を良い方向に変えていくために不十分だと、本当はわかっているのではないかと思います。ああ、そんなビリーの心をもっと掘りたい!!と思ったけどちょっとまた終わらないので先に進みます。

あ、これだけは言いたい。1996年ロンドンにいた時、友だちヴィンセントのフラットメイトがビリー・ブラッグでした。ヴィンセントが冷蔵庫に入れていたオレンジジュースをビリーが勝手に飲んだそうです!!何回も!

 

6月

●“Morrissey Central”にインタビュー公開。ロバート・スミスに謝りたいと言う

6月24日、“Morrissey Central”に4月に甥っ子のサムによって行われたインタビューを掲載。「甥っ子がおじさんをインタビュー」って、夏休みの宿題ぽいです。インタビューでは質問者のところに「sam」、回答者に「m」って書いてあるけど、きっとこれ徹頭徹尾mmmmmmmmmmmmmmmmなはずです。

モリッシーは自身を批判する記事を発表しているガーディアン紙を訴えようとは思わないのかとsamに聞かれると、

「エンタテイナーと呼ばれる者として、どうやら私には人権がないようだ。自分を表に出したからだ。もし私が郵便局員だったら、今頃は『ガーディアン』に嫌がらせ裁判で勝訴して、賠償金として1000万ポンドくらい受け取っているはずだ」

と回答。ガーディアン紙に関してはこう続けます。

「『ガーディアン』はミュージシャンたちに私と一緒に働かないように呼びかけ、容赦ない嫌がらせで困らせてきた。昨今の刃物の犯罪件数の増加だったり、硫酸をかけられる事件が起きていたりするのを見ると、『ガーディアン』はもう少しモラルを持ったほうがいいと思う。でも、そんなのはありえないんだ。もしも『ガーディアン』の暴政が原因で私が身体的に傷つけられることがあったとしたら、ガーディアンの従業員たちは歓声を上げるんだろうし、シャンパンを開けることになるんだろうなっていうことが想像できる…….血の気が引く思いだ。ガーディアンは、自分たちが政党であると信じきっている」


政治的な立場については、イギリス独立党やブレグジット党、その党首であるナイジェル・ファラージを支持したことは「一度もない」と言いつつ、言わなきゃいいのに、ナイジェル・ファラージであれば「言うまでもなく、いい首相になるはず」だと語り、フォー・ブリテン支持に関しては「もちろん」と答えています。

「アン・マリー・ウォーターズこそ、右派と左派を束ねることができる唯一の英国人党首だと思う。それを望んでいる党首を私は他に知らない。英国は今、危険なほど憎悪に満ちた場所であり、狂気に歯止めをかけ、皆の代弁者が必要だと思う。私は、アン・マリー・ウォーターズがそのような人物だと考えている。彼女は非常に知的で、この国に猛烈に献身的で、とても魅力的で、時にはとても面白い」

と、アン・マリー愛を躊躇なく語っています。「sam」(たぶんほんとは「m」)が「マスコミの評価は、彼女が明らかに人種差別主義者だというものですが、私は彼女が人種差別的な発言をしたのを聞いたことがありません」と言うと、「人種差別主義者」に関しての持論を展開します。


「現代の英国で『人種差別主義者』と言うことは、言葉を使い果たしたということだ。議論を打ち切ってトンズラしようとしていること。もうその言葉は無意味だ。誰もが最終的には自分の人種を好む。すべての会話を人種の問題に還元する人々は、最も伝統的な『人種差別主義者』であると言える。誰もが決して一致しない考えを持っているのであれば、多様性が強みになるはずがない。国境がそんなに恐ろしいものなら、そもそもなぜ国境が存在したのか?国境は秩序をもたらす。ハラール食肉処理に反対することが人種差別につながるとは思えない」

と、またもやどくとくな論をご披露。

どくとく、ではありますが、なんにでも「差別だー!ひどいー!」「はい、差別主義者、終わり」とレッテル貼りして安心するような風潮はあると思います。既存のレッテルや名づけ行為で終わらない、収まらない向こう側に本当の恐ろしさや重要なことが存在していると思います。そういうメタ視点を、メタメタ(だと思われがち)な論理展開でモリッシーは提示しているのだと思います。

政治観や自分の音楽に関してまで全部入りのこの長い~mmmmmmmインタビューには、かなり重要な話も出てきます。samに「何か後悔していることはありますか?」と聞かれ、意外にも、犬猿の仲でおなじみのザ・キュアーのロバート・スミスに!!謝罪がしたいと言っているのです。

ふたりの確執はいろいろなところでネタになっていますwww もう本家本元のもめごとをこえている。

Robert Smith vs. Morrissey

「35年前に私は彼にひどいことを言ってしまったんだ……けど、それは本気じゃなかった」

とのこと。

モリッシーの後悔している「35年前のひどいこと」とは、1984年に音楽雑誌『ザ・フェイス』の特集の一部のインタビューで、「ロバート・スミス、マーク・E・スミス、弾の入ったスミス&ウェッソンと一緒に部屋に入れたら、誰が最初に弾丸を食らうか?」という質問に対しての答えです。

「一発の弾丸が全員を同時に貫通するように並べる。ロバート・スミスは泣き虫だ。スミスの出現と同時にビーズを身につけ始め、花束を持った写真を撮られていたのは、不思議なことだ。彼は私たちの活動をかなり支持してくれていると思うが、私はキュアーを好きになったことがない......”The Caterpillar”ですら」

モリッシーのこのコメントは、彼の実際の意見を誇張したものだと言われていますが、もちろんロバート・スミスにも伝わり、こう反撃。

「モリッシーは鬱陶しいから、もし彼がすぐに自分から消えなければ、僕が消す」

1989年、ロバート・スミスはQマガジンにも

「モリッシーは貴重で惨めなろくでなしだ。彼はみんなが思っている通りの人間だ。モリッシーは口を開くたびに同じ歌を歌っている。少なくとも僕には”The Love Cats”と”Faith”の2曲がある。ザ・スミスのようなグループにいることがどれだけ簡単なことか、みんなが知っていればいいんだけど」

同年発売のザ・キュアーのアルバム"Disintegration"のリリース後にNME誌と行ったQ&Aで、モリッシーはこのアルバムのことを 「まったく下劣」と評し、さらにこう付け加えました。

「ザ・キュアー:"ガラクタ "という言葉に新たな次元を与えた」

この地獄のような毒舌合戦が、ま、ま、まさか2019年になって新たな局面を迎えるとは!!

この件についてはロバート・スミスも2021年になってサンデー・タイムズ紙のジョナサン・ディーンのインタヴューのアウトテイクの中で見解を示しています。モリッシーとの確執について「インターネットによって諍いが手に負えなくなってしまった」と語っていたそう。「モリッシーについては世間からの反発を食らうことになったけど、『それがどうしたものか』と思ったよ。20年前に起きた架空の確執だからね」とも。

 

でも、あの何でも後悔しない、モリッシーが後悔しているので、本当にひどいことは言ったんだと思います、モリッシーはwww

「私は(学園を舞台にしたイギリスのドラマである)『グランジヒル』のようになってしまっていただけなんだ」って、学園ドラマの中の無邪気で残酷な少年同志のいざこざぶっていますけど…かなり違うような…

実際にはロバートには会ってないんでしょとsamに聞かれたモリッシーによると、なんと、2000年代にロンドンで鉢合わせていたそう!!

「奇妙なことに、10年ほど前、バッキンガム宮殿の近くのパブにいたとき......彼がいたんだ......対立しているかのようにじっ~と見ていた。1983年に私が何を言ったとしても、私は道義的な責任は取らない......結局のところ......誰が取るんだ?」

反省しているようなしていないような…でも35年ぶりの新事実もわかったインタビューでした!

そしてまだまだ、つづく。

→つづきはこちら その6


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5分でわかる!前回来日から今のモリッシー、7年の軌跡 その4

2023-08-14 15:29:32 | モリッシー来日 2023

前回その3 の続きです。2019年、モリッシー受難の年の続き。モリッシーは5月22日に60歳になりましたが、受難の還暦を迎えることに。このお誕生日月は、サイアクなことが多いモリッシー人生の中でも何本かの指に入るサイアク月ではないでしょうか。

(モリッシー2019年10月LA公演にて)

 

2019年

5月

●世界最古のレコード・ショップにてモリッシー全作品の販売中止

モリッシーはテレビ番組「ザ・トゥナイト・ショウ・スターリング・ジミー・ファロン」に右翼政党「フォー・ブリテン」のバッジをつけて出演、「ガチ右」のレッテルが貼られました。この「フォー・ブリテン」支持表明を受けて、英国カーディフにある1894年(日本で言ったら明治時代)設立の世界最古のレコード・ショップ、スピラーズ・レコードが、モリッシーの全作品の販売を取り止める決定をしたと、『ウェールズ・オンライン』が5月22日に報じます。これはモリッシーの60歳の誕生日、まさに“Unhappy Birthday”です。

 

スピラーズ・レコードでオーナーを務めるアシュリー・トッドは「悲しいことですが、今後一切モリッシーの作品をスピラーズに置かないということにはまったく当然のことです。ただもっと、早く決断できていればよかったです」と語っています。

オーナーのアシュリー・トッド。お店はカーディフの歴史的なモーガン・アーケードにあり、とっても素敵。映画にもなった「アザー・ミュージック」も彷彿とさせる素敵なお店です。まさにモリッシー好みの、インディペンデントで良質なレコード店と言えます。一度行ってみたい。

 

モリッシーは2012年来日時、日本に残存するレコード・CD店を見て、ロッキン・オンのインタビューに対して

「レコード店というのは、ぼくには幼い頃からの、生涯を通じて関わってきた記憶になるわけで、ぼくには寺院にも等しいものなんだよ、そこで跪いて床に口づけしたくなるほどの神聖なものでもあるんだ。すべての音楽を見渡して、すべてに口づけしたくなるという」

と答えていました。

カーディフの1レコード店ではありますが、そんな自分にとっての「寺院」に等しき場所から締め出しをくらったことはどんなに「屈辱」であったことでしょう。その悔しさを思うと、いまだにこちらも暗い気持ちになります。

「バッチをつけただけなのに」

でもその直径2.5センチくらいのピンバッチは、ただのバッチではありませんでした。フォー・ブリテン党は「ほれ!!」とばかりにこのような声明をホームページに掲載します。モリッシーは「いいよ」と言ったのかもしれませんが、私は正気を疑いました。「フォー・ブリテン、そういうとこだよ!!」と思いました。

すっかりモリッシーを「公式キャラ」みたいに掲載。あんたらのことを好きと言っただけでこんなに窮地に立たされてるのに「あ、悪かったな…うちらが右翼政党なばかりに。嫌われ者のせいであなたまでイヤな目にあって、ごめんね…でも、ありがとう。あなたの邪魔にならないよう陰の存在でいるよ」という奥ゆかしさはないんかい!!『泣いた赤鬼』の青鬼見習えや!!

…まああったらそもそも批判の矛先になることも辞さない極端な政党になるわけないので奥ゆかしさなどあるはずもなく、こんなコメントまで出してました。

「モリッシーは素晴らしい音楽で知られるが、政治家としても知られている。彼は恥も外聞もなく、英国、私たちの文化と遺産、そして私たちの国の屋台骨である労働者のために立ち上がっている。また、動物愛護にも熱心であり、彼がわが党に肩入れしたことは驚くにはあたらない。嘘と中傷に抗う彼の勇気に感謝したい。

モリッシーも参加しますぞ!彼に賛同せよ!
(←播磨屋おかき播磨屋助次郎風あおり)

元労働党、保守党、緑の党、ユーキップ(イギリス独立党)、その他の政党、そしてどの政党からも、あらゆる背景を持つ人々がフォー・ブリテンに参加している。フォー・ブリテンが何を支持しているのか、だんだんとわかってきたからだ。良識、公正さ、思いやり、正義、そしてなによりも英国。

あらゆる方面からの攻撃に耐えているにもかかわらず、我々は輝き始めている。攻撃によって強くされているのだ!!

(で、延々自画自賛がえんえん続く…)

 

モリッシーは言いたいことを言っているだけ、バッチをつけているだけで、自分の主張に政治を利用していません。それなのに、政治がモリッシーを利用するな!ということです。

私はフォー・ブリテンが極右であるとか以前に、その活動方法において、「いい気になるなよ」と思いました。なんかイラつく、なんかに似てる、、、と考えて、よく彼氏とか彼女がすごいと急にその気になって自分もそれくらいの才能なり地位があるかのようにトラの威を借るキツネ的にいきってくるアレだと思いました。

 

●リヴァプールの鉄道駅から、新譜告知ポスター撤去

そして5月24日には、市民からの苦情を受けてニュー・アルバム『カリフォルニア・サン』のポスター広告がリヴァプールの公共交通機関マージーレールのムーアフィールズ駅(市内中心駅)から撤去されたことを、リヴァプールの地元紙『リヴァプール・エコー』が報じます。

これはSNS上では何人もの英国の人が「ポスターとることないのに」「買わなきゃいいだけじゃん!」とマージ―レイルの行き過ぎた対応に反発しているのを見ました。『リヴァプール・エコー』も「何百人もがこの対応に反対でした」と続報を出しつつ、でもそれじゃつまんないと思ったのか「だけどこんな賛成意見もあります!」って載せていました。宗教的にも政治的にも性的にも人の志向は人それぞれなので、相容れなければその人を見なきゃいいだけなのに、「通勤途中にこんな差別主義者の顔貼るなんてきーっ!!」という利用者の意見をすぐ鵜呑みにするなんて鉄道会社、どうなんでしょう。攻撃的、暴力的ならともかく、顔を出しただけなのに…。ことの発端はアメリカだった「バッチ禍」は、英国本土にさらなる業火となって飛び火して、こんなにも延焼します。

 

●Music News comに独占インタビュー掲載

やられたらやられっぱなしでいるわけのないモリッシー、Music News comのインタビューに答え5月27日に掲載されます。あれ?一般のインタビュー受けないと言ってたのに受けてるじゃん?と思いますよね。これ、インタビュアーが自身のガチファンであるお抱えジャーナリストFiona Dodwellです。

前半は“California Son”や音楽愛の話、また驚くことにすでに12曲収録のオリジナル・アルバムをレコーディングしていることなど、少し政治の話も入りつつ和やかに進みますが、最後にFionaが「マージーレールや否定的な意見を持っている人たちにメッセージをお願いします」と振ると、

「まさに(アドルフ・ヒトラーが率いていた)第三帝国的だね。そして、最も偏狭な人々の感情だけが、いかに英国の芸術の中で考慮され得るかということを証明している。

私たちは自由に議論することができない。それ自体が究極の、多様性の否定なのだ。

BBC1の『クエスチョン・タイム』を見れば、いつも同じ議論が行われている。私たちは”The Age of Stupid”(2009年イギリスのドキュメンタリー映画)の中を生きているのだと思う。早く過ぎ去ることを祈るばかりだ。メアリー・ホワイトハウス(英国でメディアや芸術におけるモラルの向上を訴えてきた「キャンセル・カルチャー」の象徴としてモリッシーが考える保守的な活動家)が10ポンド札に描かれていないことだけが驚きだ。

でも、私はマージーレイルと戦うつもりはない。これ以上ありきたりな人生ってあるかな?でも、そう、英国での私の立場は突然難解なものになった・・・私が唯一非難されないで済んでいるのは「1944年ノルマンディー侵攻」だけだ。時間が経てばいい」

と、諦念にも似た見解を答えています。「自由に議論することができない。それ自体が究極の、多様性の否定」というのがモリッシーの主張のコアであり、昨今のインタビューでもまた繰り返します。テストに出る(なんの…?)ところなので蛍光ペンをひいておいてください。

 

●ガーディアン紙不買運動を呼びかける

5月31日、怒りの矛先は自分の作品を締め出したスピラーズ・レコードでも、ポスターをひっぺがしたマージ―レイルでもなく、ガーディアンに向かいます。以前からガーディアンにはムカついていたものの、ここで怒りが再び本格化。

5月30日、ガーディアン紙にBigmouth strikes again and again: why Morrissey fans feel so betrayed

(ビックマウス何度も何度も-モリッシーファンが裏ぎられたと感じる理由)

という記事が掲載されると、以下のような声明文を発表します。

「ガーディアンとその信奉者たちによる私に対する無尽蔵のヘイト・キャンペーンを考えると、“California Son”の全英チャート順位に満足している。

しかし、誰がガーディアンから我々を守ってくれるのか? 誰もいないようだ。

特筆すべきは、この嫌がらせを主導しているのが、私が数年前に嘘を書いていると裁判所に訴えた人物だということだ。私との法廷闘争に敗れた彼が、今度は『ガーディアン』紙を使って個人的な復讐を果たそうとしている。

あの新聞は私の音楽に関係する人を全員困らせて、私についてひどいことを書くように刷り込んでいる。ソビエト化した英国が顔を出しているんだ。2019年の発言すべてが故メアリー・ホワイトハウスと響き合う、この惨めなヘイト紙は買わないでほしい。この新聞は、現代の英国に関する、間違っていること、悲しいことのすべてを代弁している」

モリッシーは自分が生きにくい諸悪の根源アイコンとしてガーディアンを設置しました。目に見えない個別の敵ではなく、風上であるメディアーガーディアンに照準を合わせたのです。モリッシーは事象ではなく、現象、ムード、文化土壌、それを形成するものというメタなところに怒りの矛先を向けますね。

でも怒りの表現はとてもストレートで、個別です。10月のライブではこんなTシャツを着て勇ましい。

ガーディアンもそれを記事にしています。

どこの世界の高級紙が、「うちらの悪口書いた切りっぱなしTシャツを着てライブした!」という大見出しでニュースを報じるのでしょうか。

これは、学校の「帰りの会」の反省会でしょうか?

 

「モリッシーが悪口を書いたTシャツを着てきたのでやめさせてください」

先生「ガーディアン君に、あやまりましょう、モリッシー君」

 

「どうもすみませんでした~」

…と、まったく反省するわけもなさそうなモリッシー見て笑って…る場合ではなく、今回はただの1か月も話しが進みませんでした。

もう「5分」は羊頭狗肉であることははっきりしたので、マイペースで、でも必ずや完結に向けてがんばりますね☆ 

→つづきはこちら その5


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5分でわかる!前回来日から今のモリッシー、7年の軌跡 その3

2023-08-12 16:21:48 | モリッシー来日 2023

前回その2 の続きです。「5分でわかる!」感じじゃなくなってきましたが、少年隊が少年じゃなくなっても少年隊という名前を貫いたようにこのままにします、すみません。

 

2019年

2月

●カバーアルバム“California Son”発売決定

2月26日、モリッシーの初めてのカバー・アルバム『カリフォルニア・サン(California Son)』のリリースが5月24日に決定と報じられました。

エド・ドロステ(グリズリー・ベア)、アリエル・エングル(ブロークン・ソーシャル・シーン)、ビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)、ペトラ・ヘイデン、サミール・ガディア(ヤング・ザ・ジャイアント)、リディア・ナイト(ザ・リグレッツ)、LP(ローラ・ペルゴリッジ)と豪華な面々ゲスト参加しており、LPがバック・ヴォーカルで参加したロイ・オービソンのカヴァー曲「It’s Over」の音源が先行公開。

Morrissey – It's Over (Official Audio)

豪華なゲスト陣で楽しみだね♪で終わらないのがモリッシーのレコードです。メディアはご丁寧に、彼らメディアが呼ぶところの「モリッシーの右傾化」や政治観についてゲストたちご存知か?とインタビューを取りにいってます。

エド・ドロステ(グリズリー・ベア)コメントを拒否

アリエル・エングル(ブロークン・ソーシャル・シーン)「(モリッシーの政治観は)コラボレーション後に友人から送られてきたメールで初めて知った」

LP「彼の音楽や詩の大ファンとして、アルバムへの参加を持ちかけられたことを名誉に感じている」

…メディア(主にガーディアン)は一体、なんて答えさせたかったんですかね??

一方ビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)は、4月11日にモリッシーとのデュエット曲”Wedding Bell Blues”のLyric Videoが発表されると自身のインスタグラムで

「モリッシーとマイクを共有して曲を歌うという栄誉にあずかった。信じられない! ありがとう、モリッシー! あなたは真のレジェンドです」

と感激を表明。ところが2020年になってからまたまたしつこくインタビューで「モリッシーの政治観はどう思ってんですか?」と聞かれ

「曲が出るまで知らなかった。一緒に曲をやって、彼はすごく素敵だったし、それで曲が出たら、たくさんのイギリス人から批判が寄せられて、『一体何をやっているんだ?』って感じだった。まったく知らなかった」

と回答。知ってたってなんだって、モリッシーとデュエットしてみたかったと思うんですけどね。そして終わった後知って「俺政治観のおかしい人と何やった!?間違えた!!」なんて思うのだろうか。こんな美しいデュエットが生まれ、アーティストであるビリーにそんな陳腐な後悔が生まれるとは思わない。

Morrissey ft. Billie Joe Armstrong - Wedding Bell Blues [Lyric Video]

1969年のフィフス・ディメンションの元歌はこちら。モリッシーは子どもの頃から、アメリカの女声コーラスグループも愛聴。このアルバムのカバー曲の範囲(下記)からもその音楽志向の幅広さがうかがえます。

5th Dimension - Wedding Bell Blues

01 Morning Starship (Jobriath cover) [ft. Ed Droste]
02 Don’t Interrupt the Sorrow (Joni Mitchell cover) [ft. Ariel Engle]
03 Only a Pawn in Their Game (Bob Dylan cover) [ft. Petra Haden]
04 Suffer the Little Children (Buffy Sainte-Marie cover)
05 Days of Decisions (Phil Ochs cover) [ft. Sameer Gadhia]
06 It’s Over (Roy Orbison cover) [ft. LP]
07 Wedding Bell Blues (The Fifth Dimension cover) [ft. Billie Joe Armstrong and Lydia Night]
08 Loneliness Remembers What Happiness Forgets (Dionne Warwick cover)
09 Lady Willpower (Gary Puckett cover)
10 When You Close Your Eyes (Carly Simon cover) [ft. Petra Haden]
11 Lenny’s Tune (Tim Hardin cover)
12 Some Say I Got Devil (Melanie cover)

 

5月

●“California Son”発売

カバーでメッセージ性を表に出さない、無難(?)な選曲のアルバムを出しても批判されるモリッシー。出る前からなんやかんや言われていた“California Son”を5月24日にリリース。このアルバムカバーのビジュアルからは、テレタビーズの不穏な赤ちゃん太陽を思い出したのでしたw

このアルバムリリースの「プロモーション」で5月13日にアメリカのテレビ番組「ザ・トゥナイト・ショウ・スターリング・ジミー・ファロン」に出演。

この数日前のニューヨーク、ブロードウェイ公演後の出待ち映像で、極右政党「フォー・ブリテン」ロゴバッジをつけてる!!とさんざん叩かれていたのに、なんとこの番組にもつけて出てきたのです。モリッシー、バッジだくさんもってるのに!!

「フォー・ブリテン」はイギリス独立党の党首選に敗れたアン・マリー・ウォーターズによって2017年に設立された党で、モリッシーは2018年にブログサイト「Tremr」とのインタヴューこの党支持を表明しています。

その理由として、保守党と労働党による政権争いの繰り返しにうんざりしているためと語り、アン・マリー・ウォーターズを「現在の英国のあらゆる側面についてオープンに議論できることを目指している。彼女はサッチャーに人間味を持たせたような人。彼女には絶対のリーダーシップがあり、台本を片手に演説することもない。イギリスの品位や言論の自由を信じていて、英国国民全員が同じ法律の下で暮らせることを願っている」と評価。

「フォー・ブリテンはいかなるメディアの支援も受けていないし、よくある子供みたいな人種差別主義者呼ばわりの批判をされてきた。だけど、人種差別主義者という言葉は、『私に同意しないならあなたは人種差別主義者です』っていうこと以外にはもはや意味のない言葉だと思っている」

オープンな議論を望んでいる人たちを「人種差別主義者」と批判することを止める必要があるというのがモリッシーの主張のコアであると思うんですが、この「フォー・ブリテン」に関する考え方やアン・マリー・ウォーターズへのリスペクトは「どくとく」であって、メディアを含む大多数はそう思っていません。

「フォー・ブリテン」支持が批判されるとモリッシーは

「私は人種差別を軽蔑する。ファシズムを軽蔑する。イスラム教徒の友人のためなら何だってするし、彼らも私のために何だってしてくれることを知っている」

と声明を出してます。ここまではわかるのですが「こういう視点から考えれば、我々の安全を守ってくれるイギリスの政党はたった1つしかない。それはフォー・ブリテン」と続けていて…これは他の人にはまったく許容できない意見だったよう。

自称「モリッシーの元友人」であり、モリッシー・ネガキャンの首謀、ジャーナリストでDJのデイブ・ハスラムは「この政党は徹底的にイスラム教徒に反対する姿勢を取っていて、元イギリス国民党やイングランド防衛同盟の人々で溢れてて、民営化を支持し、極右で、悲劇を利用して分断させるような反移民のレトリックをオンラインで広めているような団体」と大批判。

SNSでも同様の意見があふれかえるのを見ました。デイブはこう言って「俺らのモリッシー」が失われたと煽ります。

「『優しく親切でいるには勇気がいる』(ザ・スミス“I Know It’s Over”歌詞)と言っていた男に何が起きたんだ?」

 

現在モリッシーが「差別主義者の極右」というレッテルを完全に貼られたのがこの2019年5月だと言えましょう。

「『フォー・ブリテンがいいね』と君が言ったから五月十三日は極右記念日」

…と、記念になんてできません。

これ以降モリッシーはまたさらなる逆風に見舞われることになります。私はデイブ・ハスラムが「蜂起」したとき、モリッシーの“Your Arsenal”収録の”The National Front Disco”の歌詞を思い出しました。

David, the wind blows
The wind blows
Bits of your life away
Your friends all say
"Where is our boy? Oh, we've lost our boy"

デビッド、風が吹いたんだ
風が吹いて 
君の人生のかけらが吹き飛ばされた
友達がこう言ってる
「あいつはどこに行ったんだ?あいつがいなくなっちまった」

 

ハスラムに言いたいのは、モリッシーはどこにも行っていない。極端に右にも行ってないし、左にも行ってない。彼の中の軸は、自分自身でしかないので、既存の枠組みで批判しても、まったく負けないので疲れるだけです。

すっごく雑に言えば、モリッシーはアン・マリー・ウォーターズを好きなだけ。それだから極右、それだから差別主義、そういうことではないと思います。

2017年7月のガーディアンのモリッシー批判記事の中で、インタビューを受けた音楽ジャーナリストのサイモン・ゴダードはこう言ってました。

「モリッシーはプロ労働者階級、反エリート、反組織。これにはすべての政党、議会、すべての公立学校、オックスブリッジ、カトリック教会、君主制、EU、BBC、新聞、音楽系メディアが含まれる。彼の発言は政治上の議題と一貫していないため、特の左翼を混乱させる」

またブレイディ・みかこさんも『いまモリッシーを聴くということ』の中で“You Are The Quarry”収録の“Irish Blood, English Heart”を例に

「左と右、上と下、グローバリズムとナショナリズム。いろんな軸が交錯し、いったい誰がどっち側の人間なのやら、従来の政治理念の枠では語りづらくなってきたイギリスのカオスを、モリッシーは予告していた」

と指摘していました。彼は規制概念や枠組み、カテゴリーからまったくはみ出している。そこを「違うだろ違うだろ~!!」と言ってもナンセンスなんだと思います。その上で彼の作品を聴き、主張を聴く。その上で考えて行動するのは自分次第ですから。

アーティストの信条や人間性のあげ足をとることに時間をかけず、自分のために音楽を聴けばいいと思います。イヤなら自然の小川のせせらぎの音でも聞いていればいいのです。

当のモリッシーは2020年にこんなツアーTシャツを出していました。

「私は極右ではない。極左ではない。私は…前に進み過ぎてるだけ」

 

自分も着ている。首回りと裾はどくとくなVネック。どんなスタイルを目指して切っているのでしょう…!?

しかし、前に進み過ぎたモリッシーなんて多くの人には当然意味不明であり、世間は知ったこっちゃなかった。この後老舗レコード店からのレコード締め出しや、ガーディアンとの仁義なき戦いが続く、波乱の2019年です。あと4年ある。。。

今日、LIVE NATIONメルマガ会員抽選にも申し込みましたがこの発表は火曜で、先日の抽選より先に出るんですね。どっちにしろ落ち着かないけど、また書きます。続く。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5分でわかる!前回来日から今のモリッシー、7年の軌跡 その2

2023-08-11 16:49:32 | モリッシー来日 2023

前回その1 の続きです。すでにまったく「5分でわかる!」感じじゃなくなってきてすみません。

 

2017年

11月

●ドイツ『デア・シュピーゲル』インタビューでの舌禍事件

ドイツ『デア・シュピーゲル』誌のインタビューで、性的虐待の告発を受けたオスカー俳優のケヴィン・スペイシーについて「必要もなく攻撃されている」と語り、彼を擁護したとして非難される。同インタヴューの中で、ドナルド・トランプ大統領のことは「彼は指導者などではない。社会の害虫だ」と語り、彼を殺すボタンがあれば「人類の安全のため」に押すとも語った。

そりゃトランプは大っ嫌いなわけで…

この報道に対してモリッシーは、自身の発言がねじまげられて伝えられたと激おこ。「二度と紙媒体のインタヴューを受けない」と反論したものの、それに『デア・シュピーゲル』も激おこ。12月にはモリッシーの生オーディオ音声公開の泥仕合に。

これ、ケヴィンの擁護っぽいのがかなり「おやじ、やっちまったな」感ですけど、そもそもモリッシーが言いたかったのは「ケヴィン・スペイシーは当時26歳で、少年は14歳だった。疑問なのは、少年の両親はどこにいたんだ?少年はこれから何が起きるか予測できなかったのか?」ってことで「予測して、自分の身は自分で守ろう。誰でも標的になり得る」ってことだったと思うんです。

でもやばいヤツ(ここではケヴィン)の標的にされた場合、その子に落ち度があったんじゃないかというのは絶対に違うと思いますけどね。悪すぎなのはケヴィンなわけで。そこは区別して話さないとダメじゃん、モリッシーと思います。昨今のジャニーズ報道なんか見ていても、よくこの事件思い出します。

 

 

12月

●ファッション誌『GQ』が選ぶワーストドレッサー5位に選ばれる

(って、これをここに挟む必要があるのか)

 

●数々の批判に対してYoutubeに8分間のメッセージ動画公開

12月18日、まず“Low in High School”購入の御礼を述べ、

 

「自分が突然、セクシャル・ハラスメントや小児性愛やレイプに共感している人みたいになっているけど、違う。自分の音楽を人が聴かないよう説き伏せるため、自分があらゆるやばいものに共感しているみたいになってるけどそれは嘘。でも今生きている世界は活字メディアとともにある。人が本当に聴いているもの、意志を反映したものについて語ろうとすると、腹を立てられたり神経質になられる。本当に言いたいことが分かっている人なんて誰もいないように感じる。言論の自由が否定され、あらゆるものについての開かれた議論が否定される。そのために、全員混乱に陥って、自らの立場を見失ってしまっている」(スピード要約)

 

と語っています。

ケヴィン事件はやっちまったなだったけど、このモリッシーのメタな理屈にはうなずけると思ったのでした。失言をメタな理屈の正当性で回避、という不思議なクリスマスプレゼントでした。

Morrissey's December Speech - 2017

 

この事件以降、モリッシーは一般メディアのインタビューは受けなくなります。公式サイトで「自作自演」ぽいインタビュー掲載したり、お抱えジャーナリストにインタビューさせます。でもメディアは邪魔してくる、レコ―ド会社も守ってくれない(だって契約してないし、契約してても…)、裸一貫、自分しか頼るものもないという決意で自分の責任で「自分」ブランドを売るんだから、それはDIY精神的に納得のいく選択だと思いました。

 

2018年

3月

●3月28日、自分の公式ウェブサイト「Morrissey Central」開始

甥っ子のSam Esty Rayner がウェブマスターなようですが、これがまた本当に見にくい。もう慣れたけど・・・一時的なデザインかと思ったら5年以上この形式で、そしてサイト自体も続いています。モリッシーからの公式発表やメッセージはまずここに出される。ファンの撮った写真や動画、最近多い、アーティスト訃報なども。ここは完全モリッシーキングダム。言論の自由が保たれているので安心して読んでいられます(見にくいけど)。

TOP画像はモリッシーの敬愛する、作家であり公民権運動家のジェイムス・ボールドウィンです。

モリッシーは1986年スミス時代、バルセロナのホテルで、生ジェームズ・ボールドウィンに会ったそう。2017年のインタビューでは当時を振り返って、


「私の舌は、恐怖で口の上っ側に張り付いた。こんにちは、という勇気がまるでなかった。

 私は当時、とても、とても鈍かったんだ。だからただ彼を見た。そして時が過ぎるのを待った。

 私にとって、彼はアメリカ大統領より重要な人物だったんだ」

 

と語っていました。『モリッシー自伝』にもこの時の震えるような感慨が出てきます。


よくモリッシーのことを「差別主義者め!」と言う人がいて、どう思おうとべつにいんですが、じゃあなんでモリッシーは自分の言論の自由が保たれている地球で唯一の聖域みたいな場所のTOPをボールドウィンにしているの?と聞きたい。「差別」ってなんでしょう??ボールドウィンがどんな人か知れば、モリッシーがいわゆる「差別主義者」なのかどうなのかわかります。

下記ブログでも書いたボールドウィンの映画を観て以来、「え、でもモリッシーって差別主義で右翼でとにかくヤバいんでしょ!?」と言ってくる人に言う言葉は決めてあります。

 

「私のモリッシーはあなたのモリッシーではない」

 

こちらの記事もご参考に↓

モリッシーとボールドウィンと『私はあなたの二グロではない』

 

7月

●『お騒がせモリッシーの人生講座』刊行

7月15日、イースト・プレス社より、『お騒がせモリッシーの人生講座』を刊行しました。「7年のモリッシーの軌跡」とはちょっと違って手前味噌だけど、この本の発刊もモリッシー来日諸々にからんでるんで書かせてください。

 

実はこの編集担当のMさんは今回のモリッシー来日公演が決まった日、遠くに旅立ちました(生きています)。2012年の来日時にこのブログを読んで私のことを知ってくれて、「いつかモリッシー本を一緒に作れるといいですね!」と言ってくれ、なんだかんだで先に始まった自伝翻訳が困難を極める中、2016年に一緒にモリッシー観て…

モリッシーを観たり、彼の色々なことを考えたりするとアクションが促進され…この本を作ったのでした。それ語り出すと終わらないのでこれで。ちなみにMさんは11月のモリッシー来日までに帰ってきます!またモリッシーにまつわるアクションを、一緒にできるといいです。

この7年の間には、モリッシー関連の本が日本でも多く発売されましたので紹介しておきます。

 

いまモリッシーを聴くということ (ele-king books) (2017/4/28)
ブレイディみかこ (著)

ディスクガイド形式ですが、モリッシーという人間が英国という社会や人々の暮らしの中でどのように受容され、英国の政治や歴史とどのように関連しているかわかるのでものすごくおもしろいです!モリッシーファン、必読の書。

私がパワポで作ってブログに貼り付けたこの本の内容を図式化したもの。みかこさんが見つけてくれて、呆れて笑ってましたwww

こちらもご参考にどうぞ↓

ブレイディみかこ著「いまモリッシーを聴くということ」を読むということ

ブレイディみかこ × 野田努 「UKは壊れたようで壊れていない――愛と幻想の雑談」 に行きました!

 

ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽 (2017/9/8)
ジョニー・マー (著), 丸山 京子 (翻訳)

『モリッシー自伝』に比べて、マー読みやすいこと。まず、見出しがある!時系列!何の話かわかる!←それってふつーのことでは…。『モリッシー自伝』でモリッシーサイドのことを読みながら、「で、その時マーは…!?」と裏をとりながら読むと面白いです。そしてその2人のおかれた状況をメタに把握するには、『モリッシー&マー 茨の同盟』(ジョニー ローガン著)が便利です。古本で安く出ています。

 

モリッシー・インタヴューズ (2018/10/31)
新谷 洋子 (翻訳))

83年のザ・スミス初取材から2010年まで、全キャリアから厳選した珠玉のインタヴュー29本を一挙掲載…!ということで、「これは昔雑誌で読んだな」というものもまとめて掲載されていて、なんの目的なくただモリッシーの言葉の鋭さに触れたい時とか(どんな時それ)ランダムにめくっています。

 

…ねえ、まだ2018年なんで、あと5年ある。。。

まあ、抽選発表は水曜だったけど、モリッシー来るまではまだまだあるんで、また書きます。続く。

続きはこちら その3 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする