Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

代官山蔦屋『お騒がせモリッシーの人生講座』イベントレポート(2)~モリッシー自伝抜粋

2018-09-29 16:50:10 | 『お騒がせモリッシーの人生講座』

イベントレポートの続きです。(前回はこちら

今回は「レポート」というより、イベント中に触れたモリッシーの自伝の

内容の再紹介という感じです。

 

イベントでは、自伝からの抜粋も紹介したい…と事前打ち合わせで話しており、

単に好きな箇所を選ぼうとするとキリがないので、少年モリッシーがいかに歌手モリッシー

という「大人」になっていくかを軸にして、象徴的なモリッシーの言葉を5つ選び、

紹介しました。

ところが本番では、少年→大人というキレイな流れでは紹介できず、話のついでにランダム

にでした(むしろ、現在から過去にさかのぼる感じ)。

…ということで、ここで改めて順を追ってお見せしておければなと思います!



①11歳 音楽との出会い

少年時代のモリッシーを支えたのは、レコード、そして放映が始まった数々の音楽番組。

音楽に触れることで、ここではないどこかがこの世の中にはあること、こうでありたい

と自分に「なる」ことを願うのは、どん底のマンチェスター生活でも可能であるという

希望を知りました。自伝では、音楽のことだけは、前向きに素直に語っています。本当の

自分に「なる」鍵であったと振り返っています。

 

②18歳 仕事への憎悪

学校は卒業したものの、あまりにもマンチェスターにいたくなくてw、定職にはつけず、数々のバイト

についてはやめ、ついてはやめ、していた頃の言葉。アメリカに行きたくてお金を貯めるため、

レコード店の店員、内国税収入庁のファイル係、病院で医師の手術後の白衣についた内蔵を落とす

仕事…などを転々としますが、どこも長続きせず職安の職員にも匙を投げられる始末。

働くことに対する嫌がり方がハンパない。普通妥協や観念もするのでしょうが、うまくやってこう

なんて気持ちもハナからないのでしょう。「ガバガバヘイ解雇」までされるw

“Heaven Knows I'm Miserable Now”はめちゃ実録だったのですね…。

 

③歌手デビュー「ザ・スミスのモリッシー」戦略

 後のラッセル・ブランドとのインタビューでも語っていましたが、自分には「ポップスター」

となる要素が皆無だったと自覚していたモリッシー。そこで「やっぱダメか」と諦めずに、

歌手として勝負するために「ザ・スミスのモリッシー」というキャラクターを創り上げます。

グラマラスでもセックス・シンボルでも、アイドル的なかわいさもなかったモリッシー、

普通「それじゃあ、ダメか・・・」と諦めるところですが、むしろ「今までいなかった存在」

になることを選択。ヨレヨレおばさんシャツの見かけのみならず、歌詞にすべて自分を入れ

「ポップ」を逆手に取ったのがヤバい!そして戦略的。スミスでの彼のあの姿、存在感は、

偶発的シンデレラボーイではなく、「どうしたら今の自分を抜け出せるか、あっち側に

行けるか」を練って練って練ってできたものなのではないでしょうか。

歌手ですけど、もんのすごいセルフプロデューサーでもありますね。

 

④32歳 憧れのデヴィッド・ボウイとの共演

12歳でボウイに出会って20年後、憧れの救世主と共演を果たしたモリッシー。

数々の憧れの存在とコラボしたり、復活させたり、お友だちになったり、ファンの夢を

すべて果たしている「プロファン」だと思うのですが、ボウイと共演した時のこの気持ちは

格別だったようで、自伝の中でも自分の奥の方にいる幼い自分(いわゆるインナー・チャイルド)

にまで語りかけています。とても素直な感動が伝わってきて、あのわっかりにくい自伝の中でも

私が大好きな部分です!ボウイは、モリッシーにとっては本当に救世主、彼のよく使う

「鍵」という言葉そのものだったのだと思います。

 

トーク中、尾田さんから、モリッシーはボウイの逝去に関して追悼の辞を述べなかったと批判

を受けていた、ふたりの関係がそんなに良くなかったのではという声もあったけど…?

と聞かれました。私は、本当に大切な存在の死に関して、軽々しく「R.I.P.」だとか言えないの

ではないかと思います。それってまるで「死んだんだね、安らかにね、ほなさいなら」みたいな??

ボウイはモリッシーにとって永遠に死んでないんだと思います。

 

トーク中に少し触れましたが、引用元含めて補足です。

この批判を受けた後、2017年“Rolling Stone”のインタビューの中でモリッシーはボウイに関して

「宇宙の電話で彼から電話がかかってきたとしたらどんな話をしますか?」と質問されました。

モリッシーは


「デヴィッドは地球の電話では何度も私に電話をかけてきた。今のデヴィッドはきっと幸せに

違いない。音楽は永遠だ、ほら今、デヴィッドはその真ん中にいる。彼が人生からそれ以外の

ものは何も、望んでいなかったと思っている」


と、答えていました。陳腐な追悼の言葉など、なかったわけだなあ~と思いました。

モリッシーは音楽という永遠を通して、いまだにボウイとライブな交信を行っているのでしょう。

 

⑤ソロ歌手「モリッシー」として

あんなにつらかった学校時代、「モリッシー!!」という教師たちにののしられ、つるし上げられる

ための名前は今や、ファンから熱烈な愛を持って迎えられ、求められる名前となりました。

その満足感が現れている部分。つらい少年時代に、故郷に、生身の体の皮をはぎとられる刑罰

並みの残酷な倫理がまかり通っていたダークな世界に、勝った。


モリッシーの勝利宣言とも言える文章だと思います。勝利の自覚、自信は彼をますます屈強にさせ、

今のもの凄いモリッシーを作り上げているのだと思うと、ますます目が離せないし、

これ以上何を歌っていくのか耳も離せない!!もの凄いレイヤーで過去もあるけど、

「ベストヒット歌手」とかではなく、「現在進行形歌手」なので、キリがなく

魅せられるのだと思います。

 

イベントが終わった後、いろんな方とお話しできました!

「スミスは聴いていたけど、今のモリッシーとかよくわかってなかったから

びっくりした」

「スミスと今のモリッシーって違うものかと思ってたからつながってる

とわかって興味でた」

「ずっと聴いてなかったけど、帰ってスミス聴きなおす!」

「モリッシーのソロも聴いてみます」

…など嬉しいお言葉もいただきました。

 

イベント後、担当編集者の圓尾さんも、インスタで書いてくれました。


「現場主義というのともちがうんだけど現在主義とでも言うのでしょうか。

懐古主義の逆で、今を楽しめるのがいちばんよいよなと思います。

『お騒がせモリッシーの人生講座』はそういうことをモリッシーの

作品や言動から教わる本です。

スミスやモリッシーを伝説の人として過去に押し込めるのではなく

現在進行形のアーティストとして見る。

前野健太の歌にも『今の時代がいちばんいいよ』ってのがあるけど、

そういうことだと思います」


その通りですね。そして、自分にも「今の自分がいちばんいいよ」

って言うためにも、そんな気づきを得るためにも、私たちには音楽が必要

なんだと思いますよ!!過去やノスタルジーとはひたるためだけの

ものにあらず。乗り越えたり、今を生きる味方にするものではないのかな。

 

…また長過ぎて、ここでひとりトークショー(笑)していても仕方ないので

終わり。

 

あ、トークイベント前半で圓尾さんに「ブログとかのテンションと違くて

固い」と言われましたが、わたしのあれもジャンル的には「テンション高め

派生形」だったんですけどねw どんだけ話しを詰め込むか!!的な。。。


まあ、対比的な妙も踏まえて、

次回10月28日(日)日曜日真昼間からの

ロックカフェロフトさんでのイベントは、

もっとオモシロ系に走ろうかなとも思っております。

お相手もお相手ですし!!www

今回と内容もおもむきもガラッと変えますので、

よろしかったら是非そちらにもおいでください。

 


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代官山蔦屋『お騒がせモリッシーの人生講座』イベントレポート(1)

2018-09-28 13:10:56 | 『お騒がせモリッシーの人生講座』

9月26日の夜、代官山蔦屋さんで開催されました


『お騒がせモリッシーの人生講座』刊行記念トークイベントにご来場

いただきましてどうもありがとうございました!



大雨にも関わらず、会場は満席。立ち見のお客様や、通りがかって飛び込みで

来られたお客様もいたそうで、恐れていた「ジョイマン状態」は免れました。

 

「えっ、スミスだから生の花持参するんじゃないんですか!?」と花を

持ってきてくださった方、

愛知県からこのために、しかもモリッシーヘアで来てくださった方、

「台東区一のスミスファンは自分だと思ってたのに…!」と

(たぶん…)ほめてくださった方、

体調悪いけどとか、時間ないけどとか、

または明日社長プレゼンなのにとか、北海道出張なのにとか、

数々の困難をやりくりして来てくださった方、

私の友達だったり先輩だったりしたせいで、

やれやれ…仕方ないけどまあ見てやるか!と来てくださった方、

うなずきまくったり、泣いてくださった方

蔦屋の皆様、尾田さん、編集担当者の圓尾さん、営業さん、

素敵なオリジナルステッカーをデザインしてくれたKAZOO、

ビデオを撮ってくれた腮尾くん、

行きの渋谷からのバスで

「荷物が重すぎるでしょ、あなた!!私の膝に乗せなさい」

と言ってくれた老貴婦人、、

(まだまだいますが)


…皆様全員大大大感謝です、ありがとうございました!!

(KAZOOデザイン、来場プレゼントのイベントオリジナルステッカー。

ただいま代官山蔦屋さんで『お騒がせモリッシー』を買うと、若干数ですが

プレゼントしております!)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尾田和実さんとの「中年真剣しゃべり場」、

そして『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』並みに

シークレットで客席に仕込んでおいた(てかオーラでバレてたけど)、

スミスファーストのモリッシー写真を撮ったレジェンドフォトグラファー、

Romi Moriさんをゲストにお迎えした90分。

ご来場の皆様にはとても喜んでいただけました!

Romiさんも、貴重な生写真までご持参いただき、ありがとうございました!!

 

来れなかった方々から、何話したか教えて、当日の資料見せて、

とのお声もいただいたのでここで資料なんかも貼りつけつつ、

振り返らせていただきます!

 

そもそも・・・

本を書いている時も、書いた後も、またこのイベントをやるにあたっても、

なんで私やあの人は、いまだにモリッシーを聴いているのかな?というのが

ありました(今さらw)。


大人になって「音楽聴くの卒業」とか、「スミス?昔聴いてたな」という人も

けっこういるのに「大人のスミス・モリッシーファン」にとって、何がいまだ

聴きつづける価値や意味なんだろうと思っていたので、そこを

「大人でちゃんとしているのにいまだモリッシーファン尾田さん」と

話してみたいなあ、と。

尾田さん、お子さんに「もりし」という名前までつけてますから、想いは

まったく「過去形」ではない…

(イベントにはかわいい「もりし」君も来てくれてました!)。

 

そんなわけでトークでは、


●スミスと出会った頃のこと

●なぜスミスに魅せられたのか

●過去の感じ方

●大人になってからスミスを聴いてのギャップ

●最近のモリッシーについて

 

…などの話でスタートしました。

尾田さんは、「音」に魅せられ、大学時代はスミスのコピーバンドをしていた

そうです。尾田さんはスミス入口の一曲として“Reel Aroud The Fountain”を

挙げてくれていたのでかけました。

ほんと、いつ聴いても、初めて聴いた時の気持ち思い出すなあ、、と、本番中なのに

聴き惚れてうっとりしすぎましたよ。

トーク中に尾田さんにも聞かれたのですが、私はスミスの方がモリッシーのソロより

安心して聴ける気がします。昔、世間知らずな子どもの頃、ただ気持ちいいな、

声がいいな、好きだな、という純粋な心で聴いていた頃を思い出せるから・・・

 

今は長年ファンをし過ぎて、というより、自分が大人になったせいで

知識や雑念を持って音楽に触れてしまうのも否めませんw 

情報も、昔の自分に言ったら驚き過ぎて倒れるくらい入ってくる。

それでも、トーク中に話しましたが、ワープロや切り貼りで手作り感満載な

「ザ・スミス」日本公式ファンクラブ会報(持っていきました)を


擦り切れるまで読んだり、原宿や西新宿のブート屋さんで買った、ダビングし過ぎて

もうざらざらで何が何だかわからないスミスのライブビデオをテープが

伸びるまで見たりとか、情報がない中でも必死に、好きで好きでたまらなくて

追い求めていた純粋な気持ちは、奥の方にはあるんですよね。

30年くらいたっても。

そんな、大人になってからはそんなに日常では取り出さない大切な場所に

響くから、まだスミスを聴き、「モリッシー」という実体の謎を追い続けて

しまうんだと思います。

 

そして、自分たちが良くも悪くも「大人」になっていく過程に、

「モリッシー」というものの「進化」「深化」が並走していく

(すんごいスピードで超先にいるんですけど)のではないか…

という話をしました。

 

30年以上の時を経て、視覚的にでぶった、年取った、とかだけでなく、

よく「変った」「ヘンになった」とか言われるんで、メディアや世間でよく言われる

イメージやキーワード、まとめてみたものをお見せしました。


 

歌手生活36年で、180度くらい違うイメージに「変わった」のも事実ですが、一貫して

変らない普遍的なもの=コアな部分があるので、まあ全部が全部同感!できることばかり

ではなくても信じられるし、そこに共鳴できるのだと思います。

 

そしてそういう「コア」っていつの間にか大人になってしまった自分たちにもあるので、

モリッシーと中身は(もちろんw)同じじゃなくても、「コアを持ち続けてるすごい人」

という部分でリスペクトしてしまうんですよね、、


と、イベントレポートのつもりが再度語り始めて長くなったので、自伝の引用も

したんだけどそれは「続く」にします!

 

そうそう、上のスミスファーストの写真含め、シークレットゲストRomiさんが

80年代に撮ったモリッシーと、今年の3月のロンドンのライブで撮ったモリッシーの

生写真を持ってくてくれました!違い歴然!!モリッシーのおうちにまで招かれた、

生のお話しにお客さん大興奮!(※ロミさんとモリッシーのエピソードについては

こちらの記事

Romi Mori 写真展:「ザ・スミス」のモリッシー写真を撮った日本人アーティスト

にも書いているのでご参照ください)


「あの時のモリッシーのイメージは、青。若くて、青い」


…とロミさんは語っていました。そんなモリッシーが、今や…!!!という感じですが、

私はイベントに来てくださった皆さんもきっと心の奥にそんな「青」があって、そこを

枯らさないよう音楽を聴いて世知辛い大人生活も続けているんだと思いましたよ!!


音楽があってよかった。

モリッシーにも、あなたにも、私にも。          


(続きはこちら


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明日です!!『お騒がせモリッシーの人生講座』刊行記念イベント Part 1

2018-09-25 13:28:06 | 『お騒がせモリッシーの人生講座』

現在予約受付中の『お騒がせモリッシーの人生講座』刊行記念イベント、

第1回目がついに、明日開催されます!

2018年09月26日(水) 代官山蔦屋書店

イベントタイトルは…

「私たちは、スミス・モリッシーを聴いて大人になった

その難解なお騒がせ哲学を読み解く」

19:00開場、19:30スタート 

ギズモード尾田和実さんとわたくしかいなってぃーの

トークと書籍サイン会です。

 

★お席に限りがありますので、代官山蔦屋書店の音楽フロアにて

お席をご予約ください→電話番号03-3770-2525

いまだ心に茨を持ち続ける、スミス・モリッシーファンの

大人たちに向けてのトークショー…ということで、話者のふたりの

スミス・モリッシーとの出会いや、昔と今の聴き方の違いを、

モリッシー本人の青年期→中年期へのうつりかわりとオーバーラップ

させてお話しできればと考えております。


「ギズモード・ジャパン 」と言えば、 日本最大級のガジェット&テクノロジーサイト

です。そこの事業統括プロデューサーが出演!?という感じの方もいらっしゃるかと。

それが、ギズモード尾田さんのモリッシ愛、これまたすごいんです、ほんと!

その辺のご紹介もします。

べつに尾田さんは隠れてないですけど(笑)、日ごろ「隠れモリシタン」である大人の方々

には是非来てもらいたいです。

 

モリッシーが一体何を経て「今」のモリッシーとなり得たのか、

変ったこと、変らないものは何か、

自伝の中からもいくつか引用を交えつつ、検証・ご紹介できればと

考えております。

スミス・モリッシーの曲もかけたいし、またサプライズ!!や

質疑応答コーナーもありますので、何かある方はお気軽に。

 

個人的には、代官山のあんなオシャレなところに、いまだモリッシー・スミスを好きな

大きなおともだちたちがやってくるなんて、なんか壮観だな~と思っております。

わたしは、性格的・仕事的に人前で話すのまったく緊張しないんですけど、

そんなおとなたちが並んで座ってるのを見たら緊張するかもwww


果たしてどうなるか、まったくわからないですけど、自分にとってスミスとかモリッシーとか、

はたまた「音楽」ってなんなんだろう、って考えるきっかけになる秋の夕べになれば

幸いです。

 

第2弾イベントも10月28日(日)の昼下がり開催が決定しておりますが、

まずは明日お会いしましょう。


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【アントマン&ワスプ】なぜLAのチカーノはモリッシーが好きか②

2018-09-19 00:52:37 | 映画

→前回に続き「なぜLAのチカーノはモリッシーが好きか」②

前回は、『アントマン&ワスプ』の中でどんな風に、なぜ「モリッシー」が使われているの

かについて書きました。実は、2014年7月に、「モリッシー ニューアルバムにおける

『ラテンぽさ』の背景」という記事でも言及したのですが、実際にLAのチカーノ、

ラティーノたちがなぜモリッシーを好きなのかというところと、それに対する

モリッシーの反応も少し、書いていきたいと思います。

 

(photo from mitú)


③LAのチカーノ、ラティーノたちと「モリッシー」の間にある親和性

 

 『アントマン&ワスプ』の中ではルイスは、

「モリッシーのメランコリックなバラードはほんと、わかるわかる

って感じ」と言い、


「メキシコ・モリッシー」ことホセ・マルドナドさんは

「カリフォルニアの南部で暮らすラテン系の人たちはひとつの世界を形成

している。イングランド北部で育つアイルランド系の移民と似ている。

70~80年代は、アングロ系の友達にもどこか溶け込めず、ラテン系の友達にも

溶け込めなかった。いずれのコミュニティにも属せてなかったんだ」

と語っていました。そんな自分はまさに“Mexican Blood, American Heart”と、

“Irish Blood, English Heart”を歌ったモリッシーに重ねています。

 

実は、このふたりの発言は数々の「なんでメキシコ人はモリッシーを好きなの?」

という毎年のようにアメリカやイギリスで書かれている記事の中でも、

繰り返し出てきている要素。

 

突き詰めるに、「歌」そして「移民としての生きにくさへの共感」こそが、

LAのチカーノ、ラティーノたちがモリッシーに親近感をもたらすものになっている

のではないかと考えられます。

 

この「歌」と「生きにくさ」への共感について、拙著『お騒がせモリッシーの人生講座』

の第5章「居場所」でも紹介したのですが、

2017年11月10日に制定された「モリッシーの日」に寄せたあるメキシコ人ファンライターの文章

によると、「ライブで彼と一緒に大声で歌うのは、家族や友達と、メキシコの伝統音楽マリアッチ

やランチャーを歌うのと通ずる」のだそう。

モリッシーの歌は、祖国の歌手ビセンテ・フェルナンデスの作品と同じように、

「喪失、痛み、愛情と絶望の苦悩と不快感」を表していて、一般的に明るいとされるメキシコ人移民の、

「アメリカで暮らす不平等感や怒り、祖国を離れて余儀なくされた二重のアイデンティティー、…といった辛い感情の『はけ口』になり得る」

と語っていました。いろいろな記事やインタビュー映像を観ましたが

そういった感情こそがメキシコ人の感じる、モリッシーへの信頼感、親近感、温かい「リアリティー」

の根源にであるのではないでしょうか。


「マイ・ウェイ」を朗々と歌い上げるビセンテ・フェルナンデス…

 

確かにモリッシーと通じるものがあるンデス…!!↓

 Vicente Fernández - A Mi Manera (En Vivo)[Un Azteca en el Azteca]

  

ショート・ドキュメンタリー“Viva Morrissey”でも、LAのラティーノがスミスに夢中になっている

様子が描かれています↓

 Viva Morrissey! A Short Documentary from jessica hundley on Vimeo.

  

2014年、モリッシーとメキシカンの関係を追っかけている記者による、OC WEEKLYの記事

によると、彼はそれよりずっと前(2002年の記事の中でのよう)に、チカーノがモリッシー

を好きな原因は、彼の「音楽」に他ならない、と書いたそう。


メキシコの音楽が持つ、あらゆる男っぽさと毒性のある実存主義には、裏を返せば、

誰かの気持ちを得ることに病的なまでにうつつを抜かすことや、誰かに夢を壊され、たいていは

死に至ってしまう…というような「ダークサイド」があるということ。そして、それこそが、

モリッシーの歌にもある要素だと分析しており、その論を証明する10曲を選んでいました。


その中で、最大に「メキシカンみ」があるということで第1位に選ばれたのは…

みんな大好き、スミスの“There Is A Light That Never Goes Out”でした。

2階建てバスにぶつかっても、10トントラックにつっこまれても君の側で死ねたら、それは天国に

一番近い死に方だ…というこの歌を、メキシコの歌手 Cuco Sanchezのセンチメンタルな歌、

"La Cama de Piedra"になぞらえていました。こちら内容を調べたら「奴らが俺を殺すときゃ、

5発の弾で撃ち抜きますように。そして君の近くにいられますよう。そうすればあなたの腕で死ねる」という歌詞です。


("Cama de Piedra"は訳すると「石のベッド」だから墓石ですよね。弾丸、墓石…

これ、モリッシーのソロの“One Of Own”の世界観にもあてはまる…)


ようようと歌い、ニコニコしてますが、最後なんて1000発銃弾浴びるとか言ってますよ!!物騒…。

CUCO SÁNCHEZ - LA CAMA DE PIEDRA


(参照)日本にもこんな歌が…和製“I'm Throwing My Arms Aroud Paris”と呼んでいます。


これまた拙著にも書いたのですが、モリッシーほど「死ぬ死ぬ死ぬ」歌うロック歌手は珍しい

んじゃないかと思います。日本なんて「死」は縁起悪いとか忌むべきものという考え方がありますが、

メキシコ人の死生観はちょっと違う。映画『リメンバー・ミー』にも描かれたように「死者の日」

は華やかに死者の魂を慈しむ日、「死」はすべての終わりではない。「生」と対極にあるものでは

ないのでは?という気がします。この世の強い想いのその先、といった地続きな感じ?時にロマン

チックに「死」に言及します。そこも、結果的にモリッシーに通じている気がします。


④モリッシーからの憧れ返し


そんなメキシコ人に「憧れ返し」をしているモリッシー。LAに移住後すぐに、チカーノ・コミュニティ

での自分の人気、愛に気づき、「な、なんてなんてメキシコって魅力的なんだ!!」と大喜び。

1999年のツアー名はスペイン語で¡Oye Esteban!("Hey Steven!")にまでして(わかりやす…)

ツアーでは「メキシコ人になりたい」とまで言ってます。 2004年には『アントマン&ワスプ』でもかかった

“First Of The Gang To Die”のB面に“Mexico”という歌まで収録。

これはメキシコ国境に壁を作るとかなんとか言っているトラ●プにも聴かせたいですね。

Morrissey - Mexico (With Lyrics)

超簡単に言うと、「メキシコで気分良くお散歩していたのにアメリカからヘンな化学廃棄物に

においがしてくる、テキサスからの憎しみが漂ってくるのを感じる、どうしたらいい??、

なんでかわからないけど、金持ちで白人だと全部オッケーみたい、そうであるべきみたいなのが

なんでかマジでわからない、メキシコで草の上につっぷしてむせび泣く、僕の愛が足りないから…」

という歌です。


たゆたうようなメロディーに、モリッシーのメキシコへの優しい気持ちが乗って…いますが、

先ほどのOCのライターさんによると「ちょっとファンにおもねり過ぎのあたりまえポエム過ぎ

ないか」って感じらしいですけど。。そこまであからさまに愛を示しているということで。


見て、このおもねり、じゃなかった愛!

死者の日にはバンドメンバーをこんな風に…(自分はしないんかい)。

※モリッシーと5匹のパンダではありません。

そして!UK、ヨーロッパでキャンセルが続いた2018年、10月からカリフォルニア

3日間を経て、11月にはメキシコを皮切に12月までの南米ツアー開始です。

 

モリッシー、今年はいろいろあったと思いますが締めくくりとして、

とても熱くてロイヤルなファンたちに迎えられて、お元気なツアー再開をお祈りしております!!

 


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【アントマン&ワスプ】なぜLAのチカーノはモリッシーが好きか①

2018-09-14 21:58:19 | 映画

映画『アントマン&ワスプ』公開中ですが、ご覧になりましたか?

笑いどころ満載なのにほろり、冷や冷やもドキドキもありつつ、

まさに「おとな」として生きていく世知辛さや生活感、小さな幸福の

大切さも感じられるヒーロー映画でした!


こちらを観に行ったのには大きな理由が…。


前評判を聞いたり、そして監督のペイトン・リード氏を取材したお友だち

映画ライター相馬学氏より、「監督はスミスの頃からモリッシーのファンで、

劇中に登場するモリッシーネタは監督のアイディア」と聞いていたから。

観ないわけには行かない!!


そしてついに一昨日観てまいりました。いろいろな方の感想など見ていると


「マーヴェル映画でなぜモリッシー?」

「モリッシーってイギリス人じゃないの?」

「LAのメキシコ系アメリカ人はなんでモリッシーが好きなの?」


…という疑問をよく目にしました。本にも少し触れたのですが、最近よく聞かれる

ことも多いので、今回そのあたりをまとめてみました。

 

以下、映画のネタバレあり↓↓↓↓これからご覧になる方はご注意を!!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


①『アントマン&ワスプ』の中で「モリッシー」はどのように使われているか

 

・主人公のスコットの親友ルイスはメキシコ系アメリカ人。おしゃべりで「人間ジュークボックス」

とも言われる彼からスコットの電話にかかってくる電話の着メロが“Everyday Is Like Sunday”です。

スコットの娘からかかってきた時は違う着信音だったので、ルイスからかかってくる時は彼の好きな

モリッシーに個別設定しているのでは?と思いました。さすが親友。

 

・「ジュークボックス」と部下から言われたルイスは、あることを思い出ししゃべり始めます。

それは、おばあちゃんが経営するレストランに「モリッシーの曲だけのジュークボックスがあった」

ということ。その回想シーンのバックでは“First of the Gang to Die”がかかります。

(※劇場で一緒に歌いたくなるの注意)


その時のルイスのセリフ。


「おばあちゃんのやってるレストランにはジュークボックスがあった。モリッシーしかかからない

ジュークボックスでさ。俺達ラティーノは、モリッシーを『モズ』って呼ぶ。ばあちゃんは

『あんたモズを好きじゃないのかい?』ってな感じで言う。もし誰かがモズの文句言おうものなら

『出てけ!』ときたもんだ。なんで俺達がこんなに彼を好きなのかわかんないけど、思うに、

彼のメランコリックなバラードはほんと、わかるわかるって感じなんだよね」


この映画にモリッシーが出てくる「リアル感」「現場感」が感じられますね。

日本風におきかえれば、


「ばあちゃんのやってたスナックでは、山本譲二ばっかりかかってた(どんだけマニアック)。

ばあちゃんは『あんた譲二を好きじゃないのかい?出てけ!!』ときたもんだ。やっぱ

『みちのくひとり旅』はしみるんだよね…」


…みたいな感じでしょうか(だいぶ違う)。


例えはさておき、実際にあるバックグラウンドを持った固有名詞が出てくることで、フィクションに

真実味や生々しさを持たせることができるのは確か、ストーリー・テリングの技でしょう。


ペイトン・リード監督のインタビューでもその理由が語られていました。


②ペイトン・リード監督はなぜモリッシーを劇中に登場させたのか


Polygonに掲載されたこちらのインタビュー、インタビュアーに『アントマン&ワスプ』は、

「メキシコ系アメリカ人のモリッシーへの愛を描いた自分が観た最初の映画」と言われた監督は


私はもとからスミスのファンだった。実際に、“Louder Than Bombs”という名前のスミスの

カバーバンドで少しの間ドラムをやっていた。数年前、ロスのシルバー・レイクののSpaceland

(オルタナ、インディー系のナイトクラブ)でやったショーにバンドで出て、スミスのカバーを演奏

したら、ライブの後で『ねえ、すごいよかったよ!“Sweet And Tender Hooligans”くらいだよ。

スミスをカバーしてるバンドって素晴らしいよね!』と声をかけられた。

『ちょっと待って、Sweet And Tender Hooligans??何、そのバンド?』と聞くと、

『え!?見たことがないのか』と言われたんだ。


それでそのバンドを見に行った。彼らはラテン系のスミスのカバーバンド。明らかに私たちの

バンドよりずっとうまかった。そしてその時初めて、モリッシーは彼の歌い方スタイルのお陰で、

こんな本当に特別な崇拝者たちをロスに抱えているってことに気付いた。そして、昨今の彼は、

特にこの崇拝者たちに向けて歌を書き始めていたのだということに気が付いた。


このことを知ってから、長い間温めてきた。ルイスの持つこの種の難解な知識、彼のおばあちゃんが

モリッシーしかかからないジュークボックスのあるレストランをやっているだろうという想定は、

ルイスの好みにぴったり合っていると感じた。おもしろいと思ったし、本当に具体的な

生々しいディテールがルイスをルイスらしくする。それで劇中では、実際にあんな風に落ち着いた」


…とのこと。監督がモリッシーがチカーノに愛されていることを知るきっかけとなった

Sweet And Tender Hooligans”とは、「昼間はライフガード、夜はモリッシー」で有名な

メキシコ系アメリカ人ホセ・マルドナドさん率いるスミス/モリッシーのカバーバンドですね。

スミスというかほぼ、最近のモリッシーへに寄せてます。


こちらで、日本語字幕つきのドキュメンタリーも見れます。

『モンスターが生まれる11月』の完璧なりきりPVがすごいです!!

obsessed:メキシコ版モリッシー


インタビューでは監督から言及はなかったものの、メキシコ本国にはモリッシーを

マリアッチ・カバーする“Mexrrissey”もいます。


マンチェスターのサルフォード・ラッズ・クラブでぱちり。


モリッシーのライブ前にも彼らの曲が

かかっていましたね。

Mexrrissey - First Of The Gang To Die

 


一部トレイラー(メキシコで流れるもの)では彼らのこの曲↑

“El primero del Gang”が使われています



…長くなってきたので、では実際にLAのチカーノ、ラティーノたちがなぜモリッシーを

好きなのか、という話(少しルイスの発言にはありましたが)は次の②に続きます!


★オマケ★


ルイスの部下、カートのこのヘアスタイル…もうモリッシーを意識していると

しか思えないw

 

→続きその②はこちらへ!


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