隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

阿佐ヶ谷スパイダース『桜飛沫』

2006年02月15日 12時34分36秒 | ライブリポート(演劇など)

■2月14日
桜飛沫(
第1部 蠎蛇如/第2部 桜飛沫)
世田谷パブリックシアター 19:00開演(2月10日~19日)


 昨年1月の『悪魔の唄』に続いて、阿佐ヶ谷スパイダース公演の『桜飛沫』。長塚圭史氏の作・演出は昨夏の『LAST SHOW』以来。先行チケットがとれてから、ずっと楽しみに待っていたけれど、その期待を裏切ることなく、というより期待以上の舞台だった。
 第1部は、貧しい農村を支配する郷地一族の「三人っ子政策」(自分たちが三人兄弟で、その上、死産続きで跡継ぎがいないのに、この村の男たちは昔から蛇を食して子作りに励むから…という理不尽な理由で、三人以上の出産は許さん!という御達し)に苦しむ農民と、それを救う医者、年増の生娘の産婆(水野美紀。最近舞台に意欲的? 今回とてもナチュラルで好感もてました)、浪人とその女などがからむ。
 
第2部は、一転して寂れた宿場町に紛れ込んだ、かつての人斬り浪人(今は負傷の身で、昔殺した多くの人たちの亡霊に苦しめられている、という設定)と町人、そこを牛耳るやつらの話。第1部の医者と、この元人斬りは昔の仲間だったというつながりがある。
 
時代劇といっても、長塚氏のいつもの軽妙な会話、軽くブラックなジョークは健在。そして、私の大好きなグロテスクな味付けも十分(今回は蛇を食ったり、生首で蹴鞠?なんかしちゃう)。
 
大笑いしたあとで、ん? ここで笑っていいの?などとわが身を振り返らせたりさせちゃう微妙さがいい。子どもを殺されて、泣いてすがったかと思うと、次の瞬間にはおかしな会話で残酷な笑いを誘う…、そのスピード感も快感だ。
 
だけど、そんななかで、剣を捨てたはずの医者が農民のために人を斬ったあと、武士の血がよみがえってしまうときのものすごい形相や、亡霊に苦しめられて泣き叫ぶ浪人の悲痛な声に、人の業のようなものを深く感じさせるところ。おしつけがましくない演出が心地よい。
 
あくまで芝居だし、また荒唐無稽なところもあるのに、なんでこの人の演出って、ウソっぽくないんだろう、といつも思う。
 第2部の舞台左手に狂ったように咲く桜の大木があって、きっと最後にあの桜の花びらが舞台一面に舞うんだろうな、などと勝手な想像をしていたが、結局ラストで、武士を捨てた医師と、過去に脅える浪人が再会して刀を交えようとするところで現れたのは、舞台の左右から(たぶん巨大な扇風機で)送り込まれたどぎつい桃色の「桜飛沫」。二人の姿を一瞬隠すまでの大量の花吹雪にどぎもを抜かれたやいなや、the end でした。
 人の愚かさやら、純粋さやらを包み込んで隠して一幅の絵に閉じこめてしまえば、人間なんてこんなもんかなあ。

 だけど
、笑わせておいて、なんだか笑ってしまった自分を離れたところで見ている自分が必ず冷静でいられるところが、とても上質なグロテスクだと思ってしまう。
 
大好きだけど、でもとても不思議な芝居なのです、いつ観ても。

 
ちなみに、世田谷パブリックホールは大好きなホール。この前観たのは、石橋蓮司の『リア王』。階段状の舞台装置が迫力だった。隣のシアタートラムの雰囲気も好き。世田谷区、なかなか趣味のいい施設を作ってくれたよ。

 そうそう、長塚氏の芝居を観にきていつも思うのは、なんといっても年齢層の低さ。もちろんおじさん、おばさんもいるけど、20代くらいの観客が多いなあ。
 今日隣に座った女性は20代後半くらいのクールなかっこいい人だったんだけど、始まったら、笑う笑う。それもハンパじゃない大きな声で。それが笑っちゃうくらい気持ちのいいことでした。私の声もハンパじゃなかったけど。でもたぶん負けてたな(声の大きさを競ってどーする!)。

 阿佐ヶ谷スパイダースの次回公演は今年11月。場所は下北沢・本多劇場だそうです。


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