2013.7.26(金)
『ドレッサー』
at 世田谷パブリックシアター
作 ロナルド・ハーウッド
演出 三谷幸喜
CAST
橋爪功/大泉洋/秋山菜津子/銀粉蝶/平岩紙
梶原善/浅野和之
http://www.siscompany.com/dresser/
大好きな劇場を久しぶりに訪れた。
3Fの隅、この劇場の舞台や客席を上から眺めるのも好き・・と少し負け惜しみ的につぶやいて、手に入れた大事なチケットに感謝。
三谷幸喜の脚本ではない作品。彼が自身の脚本以外で演出したのは『桜の園』のみ。それ以来だそうです。
第二次世界大戦下の英国。
ドイツ軍の空襲を受け、緊迫した状況下で巡業を続ける、とあるシェークスピア劇団。
老座長(橋爪功)は戦時下とそして自身の老いからくる不安定な精神状態の中、今夜の「リア王」上演を前にしている。
落ち込む座長を前に、公演は中止にしようと言う、看板女優の座長夫人(秋山菜津子)と舞台監督のマッジ(銀粉蝶)。
(どちらも、座長への愛と疲労を感じさせる雰囲気が深い)
そして、どうにか座長を舞台へ導こうとする、長年の付き人ノーマン(大泉洋)。
たまにとどろく爆撃の音にその時代の重さや閉塞感を漂わせながら、付き人は座長をどうにか立ち上がらせようと奮闘する。
開演まで1時間、30分と迫り・・・。
★バックステージ
華やかな舞台の裏でどんなことが起きているのか。
それはいつの世だって、観客の興味の対象だ。知りたいような、知りたくないような。
『ドレッサー』は、そういう私たちの関心を巧みに吸い上げながら、老優の不安や、老優を取り巻く人々の複雑な心境をあぶりだす。
うちひしがれて無様なラクダ色の下着姿の座長が、ノーマンのあの手この手で、行きつ戻りつしながらしたくを進め、「リア王」になっていくさまは、みどころ満載。
顔を黒く塗って「それじゃ、オセロだ」と言わせるご愛嬌もあり、でもセリフをしゃべり芝居を進行させながら、メークをし衣装をつけて王冠をかぶって・・・。上から見ていたけれど、この過程だけは正面で見たかったな、などと思った。
★臨場感
実際に「リア王」が開演し、舞台裏のようすを見せるところも魅力的な演出。
開幕当初はまだまだ不安定だった座長が次第によみがえり、水を得た魚のように生き生きと本来の傲慢さも取り戻していくようす。これもおもしろい。
音響などを手動で全員総出でやって舞台を作っていく場面がコミカルに描かれる。
表の舞台では『リア王』が進行しているのだが、声の出演はぜいたくにも、段田安則、高橋克実、八嶋智人。
お恥ずかしながら、似てるな~と思いつつも、そんなふうには思い当たらず、終了後に知った私です(恥ずかしい)。
★役者たち
役者たちのすばらしさにつきる。ほんとうに。
かなり以前に、この『ドレッサー』を別の役者で観たことがある。座長、ノーマンをそれぞれに名優と言われる人たちが演じたんだけど、座長の重厚な演技とノーマンの軽妙さがなんだかアンバランスで、終始、感情移入できなかった記憶がある。
今回は、重厚でいながらかわいくて、どこか狡猾な座長役の橋爪功氏と、相反する愛憎の気持ちを軽さの中に鋭く表現するノーマン役の大泉洋氏の絡み合いが自然で切なくて、でも十分に滑稽でまじめで、心にしみてきた。
個性豊かな座員を演じる梶原善、浅野和之もよかったな。
とくに大好きな浅野和之氏の、いろんな意味で人間味あふれる役者の演技。あれをチャーミングと言わずに、何がチャーミングなんだ!と。力説します。
★幕切れ
あっさりと、ほんとうにあっさりと座長はこの世から去ります。十分に予想はしているけど、でもあまりにあっさりと。
最後の言葉として、さまざまな人への感謝の思いを書き連ねたノートにも、ノーマンの名前はない。
「大道具や小道具の係の人」にも最後の言葉があったのに。シェークスピアにも・・・。
ずっとそばにいたのは「私」なのに・・・という思いで、ノーマンを常軌を逸し、溜めこんでいたやりきれなさを言葉にのせて乱れる。
そこにあるのは、なんだろう。
悲しみ、怒り、なぜ?という疑問・・・。
それでも、彼は、座長のそばにいた日々、そこにしか自分の居場所がなかったことを知っているし、そして同時に、これからどうしていけばいいのか、それは知りえないことなんだ。
ソファに横になったなきがらにすがりつくラストは、やっぱりやりきれなさと、そしてそこまで嘆けるという一種の幸福感への、私の羨望だったかもしれない。
息をすることをやめた座長に、ノーマンが叫ぶ、「ここは死ぬ場所じゃない!」。
でもきっと老優にとっては、バックステージこそ、彼の望む最期の場所だったんだろうな。
三谷幸喜脚本だったら、幕切れはどんなふうになったのだろうと想像する。
原作はあるけれど、日本人特有の納得を導いてくれるニュアンスが用意されていたかもしれない。わからないけど。
でも、気持ちの中の微妙なズレやおさまりの悪さが、今回は妙に心地よく、翻訳劇の妙味だったかな。
人生は、私好みに帳尻が合ったりはしない。実はこんなもんなんですよ・・ってね。
シェークスピア
私事ですが(笑)、小学校6年のときに子ども用に編集されたシェークスピア本を読み、なぜかある時期「シェークスピア」に夢中になり(どんな子どもだったんだ!って今は思いますけど)、その中の登場人物になりきって寝る前などは布団の中で妄想にふけっていたことがある。そういう話、友達にはできなかったけど。
それも、『ロミオとジュリエット』とかには一切興味がなく、なんでなのか『ベニスの商人』と「リア王』がおもしろくてね。
ま、舞台には関係ないんですけど、セリフの中に作品名やセリフの一部が再現されたりすると、遠い昔の思い出がよみがえりました(新劇のシェークスピア劇とかを見ていた頃のことは思い出さなかったけど)。