2020.08.09(日)
新聞やテレビのニュースなどを通じて、また映画やドキュメンタリーを見ながら、自分の生まれる前にあった2つの原爆投下の事実、その後の長い悲惨な時間の流れ・・・を知識として身につけてきた。
実際に広島や長崎を訪れて、資料館などで見た衝撃の光景は今もここにある。
それでも、毎年、いろいろな人の証言を新たにきくたびに、私が知ったつもりでいる事実などほんの一部にすぎないのだと痛感する。そこにいた人の数だけ、語り継ぐべき事実があるのだ。
語れる人々が年齢を重ねて旅立ってしまっても、「語り継がれる事実」は人々の言葉や声や表情を通じて永遠に生きていく。そのための報道であり、映像であり・・・と信じたい。
安倍首相の式典でのあいさつに私が心を動かされないのは、簡単なことだ。
人の言葉を述べているから。残念だけれど、そういうことだ。
あらゆる便利な言葉を使ってきれいにまとめても、響かない。
稚拙な表現であっても自らの言葉であれば、それで十分なのに。毎年、本当に悲しいことだ。
原爆を体験した唯一の国家が、大国の核の傘下で守られて何もしないでいるのを、どう解釈したらいいのだろうかと、毎年この季節になると考える。
「この季節になると」という私も、恥じなければいけないのだけれど。
何も策を講じることなく、われわれに判断を委ねるばかりで、この先コロナの感染者数が落ち着くことなんてあるんだろうか??
経済を動かすためには、何人くらいまでの死者は「しかたない」と考えているのか? それを知りたくなる。
だって、そういうことでしょ?(死んでなるものか)
夏空が続く。
熱帯夜ではないのか、寝苦しくないのは助かるけれど。
昨日出かけたとき、スピッツをシャッフルしたら、「春夏ロケット」~「遥か」~「プール」と続いて、なかなかおもしろかった。
夏にロックはよく合う。