2024.09.08(日)
なかなか秋らしくならないけれど、それでも朝晩は少し違う。
そして、外を歩いていて、風が少し優しくなっているのも感じる・・・、そんなわが家の周辺。
昼下がりにポストに仕事の資料を入れたレターパックを投函。
ふだんは行列のベーカリーの前が静かになっていた。
息子たちを連れて母の面会を終え、この前より笑顔多めだったので、それだけで体が軽くなる。
え・・・、わたし、緊張してたんだ、と気づく。
あんなにいろんなことに心躍らせていた母が、去年あたりから変わっていく。
好きだったジャイアンツ戦、相撲中継を見なくなる。
新聞に興味を失い、テレビっ子だったのに「もう見ないからテレビはいらないわ」と言い始める。
毎日肌の手入れを欠かさなかった母が、化粧水さえつけなくなる。
(でも化粧品を使わなくなってからのほうが肌がきれい・・・なのはなぜ?)
大好きだったかわいい小物を見せても、目が輝かなくなる。
少しずつ衰えていく母が、私たちを忘れて自分の世界だけに閉じこもる日が来ないとは言えない。
そういうことを考える。
そのあと、ひさびさに息子たちと呑み会。
それぞれの充実した日常も不安も少し立ち止まって考える現実も、ま、一旦脇に置いて、愉快な思い出や実生活での失敗話に話題は移っていく。
そういう時間はうれしい。
気分が悪くなった私(最近多いなあ)が回復するまで20分くらいホームでしゃべって、彼らは帰っていった。
いやいや、迷惑かけました。
相方と休み休み歩いて帰宅。
『寅と翼』の原爆裁判のシーン。
実際の判決文が採用されたそうで、その格調高くも平易な文章に心が動く。
「国家は、自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。・・・原爆被害の甚大なことは、一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは多言を要しないであろう」
「しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなく、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。それでこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法および立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長を遂げたわが国において、国家財政上、これが不可能であるとは到底考えられない。我々は本訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。・・・」
ここを読むと、この裁判が、原爆被害者やその家族のその後の長い闘いの幕開けになったのだということがわかる。
『団地のふたり』
https://www.nhk.jp/g/blog/odv1j3f7uso0/
長く生きていると、多くの人に助けられた記憶もある反面、人との関係には面倒な面も山ほどあることを知ってしまう。
けれど、このドラマの第一回を見ながら、そういうモヤモヤを忘れて微笑んでいる自分がいた。
二人の関係が、私は猛烈に羨ましかった。
だけど、失った人や時間に思いを馳せて、そして取り戻せないことも十分に理解している。
だから、すごく楽しみに次回を待つ。
小林聡美+小泉今日子の自然な会話に、いろんな人の顔を思い出す。
こんばんは。
わかります。食事というか、食べるシーンがいい。
誰かと食事するなら、あんな感じで気を遣わずにおいしいもの食べたいし、絶妙なタイミングでフルーツサンド(特に好きじゃないんで、ほかのものでもいいんですけど)を買ってくるのもああいう関係ならでは?とか。
同居じゃなく、でも結構な時間をともに過ごして、でもべた~としない。憧れるなあ・・・。
ノラ猫のエピソード、秘密の場所・・・覚えがあるし。
小林聡美+小泉今日子、だからこその空気感が伝わりますよね。
団地には住んだことないけど、昔はこんなふうに人情味にあふれてたんだろうなあ。その分、人間関係が面倒臭そうだけど、ちょっと憧れます。