2013.12.3(火)
まず、国家権力に立ち向かう手段としてあくまで整然と行われている(拍子抜けするくらい落ち着いた光景です)デモという行為を「テロ行為にも等しい」とツイートしてしまう見識を疑う。
これは偏見かもしれないけれど、政治の世界に入っていこうとする若い頃のある時期、既成概念や社会に反発して行動を起こしたこともないような人だったんだ・・・という落胆。
力をもたない人々に与えられた選択肢の一つとして「デモ」という行動がある。そういう声に、とりあえずも耳を貸そうとせずに、誰かさんは「音」と形容していたし、この人は「テロまがいの行為」だと。
担当大臣の能力の問題以上に法案自体の不明確不透明ゆえに、答弁が一定しないなか、私たちに認められているはずの言論の自由の小さな権利さえもどう判断されるのかが疑問になってくるような・・・、そんな驚きのつぶやきだった。
参院国家安全保障特別委員会での特定秘密保護法案に関する参考人質疑でも、次のような懸念が示されたという。
http://mainichi.jp/select/news/20131203k0000e010227000c.html
■東京オリンピックって・・・
「オリンピックの身代金」を観た。
http://www.tv-asahi.co.jp/drama-olympic/
テレビ局の開局〇周年の記念作品ということで、豪華なオールキャスト。そこは「売り」なんだから、どうなの?とツッコんでもしかたないんだろう。「え、そこに唐沢さん、必要?」とか思ってもしかたない。そこは単純に楽しめばいいんでしょうね。
それでもあえて言うとすれば、オールスターにこだわったがゆえに、焦点が少しぼけてしまったかなという印象は否めない。
二人の主役の好演があったのだから、その人物をもっと掘り下げてほしかったような・・・。
私としては、主役ツートップの目が印象的だった。
松山ケンイチの一点のくもりもない目と淡々と語る言葉で、行為はともかくも島崎の悲しみや怒りが深いところで伝わってくる。
竹野内豊扮する刑事落合の目には、自分の中の「権力側の組織の人間」と戦後を生き抜いてきたひとりの人間としての自負の中で揺れる思いがあったように思う。
原作は読んでいないのだが、原作のほうは島崎側からの記述になっているのか。
また、黒木メイサ扮する女子大生が落合の妹だという設定は原作にはない? この妹の存在がイマイチ微妙で、意志も感情も伝わってこなかったのはなぜなのか?
内容はともかく、あの東京オリンピックの開催を担っていた人々、熱狂的に観戦していた人々、そしてそこまでの工事にかかわっていた人々の大半(20代後半以上の人たち)が、その前の戦争を経験していたんだという当たり前のことに改めて気づいてしまった。
正直、そんなことを考えたこともなかった。単に、そこから高度成長期が始まって、なんだかヘンに上昇気流に乗っていったんだなあ、という漠然としたイメージしかなかったから。
そう思うと、東京オリンピック自体が今までとまったく異なるものとして認識できるような気がする。当時の大人にとっては、感慨無量とか、そういう形容さえ陳腐に聞こえたことだろう。
そして、よく報道される「東京オリンピックをきっかけに各家庭にカラーテレビが普及し・・・」という「事実」があのオリンピックをいっそう華やかに見せていたけれど、実際にはまったく恩恵など受けなかった人、テレビでさえオリンピックなど見られなかった地方の人々がいたんだという真実。そんな、もしかしたら当たり前のことにさえ思いを寄せられなかったことが、自分としてはちょっと驚愕な出来事だった。
そして、2020年に東京で開かれるオリンピック。そのときに、この国のすみずみで、どんなふうに世紀のお祭りが受け止められるんだろう。
この国はちゃんと成長しているんだろうか。
すみません、内容と関係ないことを書いてしまった・・・。
竹野内豊、松山ケンイチ、どちらも好きな役者です。
これはほんとうに単なる余談ですが(こんなところで書かなくてもいいんだけど)、「私が男だったらこんな顔に生まれたい」NO.1は、竹野内豊さんなのです(-_-;)。
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