2018.02.11(日)21:00~
『草野マサムネのロック大陸漫遊記』
TOKYO FM
バレンタイン!
10代の頃にチョコをたくさんもらうような男子だったら、ミュージシャンにはなっていなかったかも。満たされない思いがあったればこそ、その情熱を音楽制作に費やせたそうだ。
「オレにチョコをくれなかった女子、ありがとう・・・」
ホントだ、スピッツファンとしても、当時の草野くん周囲の女子たち、ありがとう!!(笑)
今夜のお題は「美メロ」。
「そのメロディー、よー作ったな、美メロで漫遊記」、オレが作りたかった、悔しいな、という思いもこもっているらしい。
CDショップのリコメンドで「美メロ!」と店員さんが書いたものを聴いても、「美メロだったためしがない!」と草野くん。
そこで、「あくまで、オレが考える自己中心的な美メロ」の曲を取り上げてくれるそうだ。
オンエア曲
01 魔女旅に出る(スピッツ)
02 Honesty(ビリー・ジョエル)
03 プリティ・バレリーナ(ザ・レフト・バンク)
04 愛の願い(ミッシェル・ポルナレフ)
05 輝きのままで(ベリンダ・カーライル)
06 Love Letter Boxes(The Posies)
07 YES-YES-YES(オフコース)
08 積み木の汽車(SHEEN)
1曲目はスピッツで「魔女旅に出る」。
「自分の曲を美メロと言うのはおこがましいのですが、リクエストをいただいたので」
と。でも数あるスピッツ曲リクエストの中から選んだのだから、きっとご本人も・・・。
歌詞が好きではまったバンドだけど、ひょっとしたらこの曲で初めて「スピッツの曲のメロディーが心の中を行ったり来たりして」という経験をしたような記憶がある。こういう曲を2ndで聴いて、すごいなあ、って。
紹介無しで流れる。イントロだけでわかる。胸がキュンとする。ビリー・ジョエル「HONESTY」。
「ベタだけど、美メロ中の美メロ」と。洋楽にはまりかけた頃に聴いていた曲だとか。メロディはもちろんだが、心のすきまをうめつくしてくれるあの声。「心が弱っているときに聴く。むしろそういうときにはビリー・ジョエルしか聴けない」とまで言う。
心が弱っているときには音楽は聴けない種類の人間ですが、でもビリー・ジョエルのベストは年に何回かは通してゆっくり聴きたくなる。どの曲も、私には美メロの範疇。
草野曰く、「ビリー・ジョエルは70歳だそうで・・・。それならオレも50歳になるわけで」。
次は1960年代のバンド、ザ・レフト・バンクの「プリティ・バレリーナ」。1967年の1stアルバム収録の楽曲。ちょっとひねりのきいたメロディーが印象的。
ストリングスを多用し、バロックロックと称される。エリオット・スミスやマシュウ・スウィートらにもカバーされて再評価されているが、「でも知名度は低いなあ」。
草野少年は60年代、70年代の『音楽専科』や『ミュージックライフ』を読むのが好きで、古本屋で購入していたそうだ。ビートルズやストーンズが表紙のものはちょっと高かったりするけど、ほかはだいたい300円くらいで買えたそうで。
私もよく神保町通いしたっけなあ。そんなに前のじゃなくても、雑誌の値段はすぐに下がるから、古本屋はありがたかった。ベッドの下が雑誌でいっぱいになって、はみだすようになって・・・。あの本たち、結局どうしたんだっけ? 持って出て、今、押し入れの奥で眠る大量の段ボールの中に何冊か、何十冊かは残っているのかな。「今なら数千円」とか言ってたな(笑)。
当時ものすごく人気があっても今は影が薄くなってしまったバンド、草野くんは「ウォーカーブラザーズ(スコット・ウォーカー、友人が夢中でした)とかグランド・ファンク・レイルロード」を例に挙げていたけど、ザ・レフト・バンクもそういうバンドのひとつ、と(グランド・ファンク・レイルロード、懐かしい。『アメリカン・バンド』は今もラックに並んでいるよ)。
彼も「古い雑誌を読むまでは全然知らなかったバンド」だそうだ。
人気の陰りを「ギターバンドじゃないからかな?」と。「個性的なメロディー、アレンジ。自分の引き出しにはないメローディーなので、参考にさせてもらっている」とのことだ。
そして、ミッシェル・ポルナレフ『愛の願い』(うわっ! 懐かしい~。お小遣いでLPを買うほどではなかったけれど、ラジオで流れる彼の曲をカセットに入れて聴いてたなあ)。「ファルセットが美しい曲」。
「フランスの国民的歌手。70年代には日本でも人気があった。カーリーヘアにでかいサングラスが特徴」と。一時テツヤくんがこのスタイルで、「ポルナレフ」と言われていた、と。
「チェリーに口づけ」はインディーズの頃、スピッツがカバーしていたっけ(音源を聴くと、日本語訳の歌詞にちょっとテレる)。
「『愛の休日』『ノンノン人形』『悲しきマリー』などいい曲がたくさんあるので、聴いてみてください」
次は、ベリンダ・カーライルで「輝きのままで」。
本当はここで、バングルス(The Bangles)の「Eternal Flame(胸いっぱいの愛)を紹介するつもりでいたが、よ~く聴いてみたら、これは「打ち込みくさい」。この番組では極力打ち込みを流さないというコンセプトを宣言してしまったので、かわりに同時代の楽曲「輝きのままで」を選んだ、ということ。「Eternal Flame」は結婚式で流されたりする、今でも結構な人気曲らしいです。
「輝きのままで」は女声の魅力もあり、耳に馴染みますね。草野氏曰く、「Aメロ、Bメロ、Cメロ・・・と構成がすばらしく、サビで『みなさん、ご一緒に~』」という盛り上がりが心地いいそうだ。ラララ~♪と、ZO-3ギターとハイトーンで、この心地よさを披露してくれました。いい声~。
「弾きながらずっと歌いたくなってしまう」ということで、「自己チューなセレクト」(苦笑)。
相当数のハガキやメッセージが届いているそうで、その中からご紹介。
この番組名「ロック大陸漫遊記」を「ロックマン」と呼んでいるというメッセージから。「(なんて呼ぼうか)それはオレも考えていたんですよ。『ロクマン』とか。でもこれはゴリ押しはしないんで、みなさんの多いほうに従う」と。
そのうち、「今夜はロクマンだ~」とか言うようになる?
もう一通。「変わらずスマートだけど、食べ物に気をつけてる? 何を食ってる?」
いつも言っているけれど、「太れない体質」(う~ん、うらやましい?)。ランニングをしていたら(痩せて)顔がげっそりしてきたので、走るのをやめた、と。
今は「積極的にキノコを食べている」と言い、「昔キノコ頭だったから共食いとか言われる?」と自ら話題を振っていましたとさ。
優しいポップス系の曲が続いたので、という前置きで「太めのロックで美メロの曲」。The Posiesの「Love Letter Boxes」。1993年デビューのオルタナ系バンド。1993年の3rdアルバム『Frosting on the Beater』が名盤で、来日時には渋谷クワトロでライブを見たそうだ。
「ファルセットも美しい・・・。激しい曲で美メロ、というのは難しい」そうで、そこを両立させているのがこの楽曲。曲終わりに「今聴くと、ギターソロもいいな」。
ではでは、「美メロ」とは?
「いかに気持ちよく旋律に酔えるか? ノンアルコールなのに音符(音譜?)を見ただけで酔える」、うーん、理屈はわかるような・・・、でもわかんないような。
本人は「上下動の激しい曲のほうが好きかも。低いところからファルセットまで」と説明していた。「なんでオレが作らなかったんだろう」と悔しくなるそうだ。
そして邦楽からは「怖れ多くも・・・オフコース」。
10代の頃は「軟弱な気がして避けていた」。いいメロディーだとは頭の隅で認識していたらしいけど。今でこそ大人になって「小田リスペクト」っぽい発言をするようになったけど、デビューしてしばらくの間「とがっていた頃」は、インタビューでも「あえて無視」「影響は全く受けていない」発言、見受けられたっけ。
「大人になって配信とかでこっそり聴いて・・・。こっそり聴く必要はなく堂々と聴けばいいんですけど」って(笑)。若き日の自分に気を使っていたりして?
オフコースの中でも上下動の激しい曲として「YES-YES-YES」。
曲終わりで、高いところを歌ってみて、「高いよね~」と。「聴くたびに泣きたくなる」と言っていた。ちょっとわかる。
そして最後は恒例のコーナー「ちょっぴりタイムマシン」。
1995年、バンドSHEENの「積み木の汽車」。90年代4人組バンド。
2012年のスピッツのアルバム『おるたな』収録のカバー曲候補として、「初恋の嵐」と最後まで迷った楽曲だったそうだ。へ~、初耳。私はあのアルバムの「初恋の嵐」が大好きだから、あれが選ばれてよかったけれど、この曲のカバーもすごく聴いてみたいなあ。
「今聴いてもキャッチーな曲で、ドラマとかのタイアップが決まっていればミリオンヒットも狙えたんじゃないか」と。
ネットで検索したら、再結成して今でも活動している?
いよいよ来週は「スピッツメンバーと漫遊記」だそうで、「メンバーが暇なら来てくれると思います」って(笑)。
全員なのか、一人だけなのか、それも楽しみ。選曲も含めて。
そして最後は、
「またお会いしますよ! それまでお元気で」
はい!
高梨沙羅選手、銅メダルおめでとう!
苦しい4年間から解放されたかのような涙と笑顔に、こちらもうれしくなりました。
「まだ金メダルを狙える器ではないことがわかったので・・・」
そんなこと・・・と否定しつつ、このコメントがなぜかすごく好きです。
石牟礼道子さんが亡くなった。
学生の頃、一人旅で九州をさまよっていたとき、水俣の銭湯で高齢の女性たちがなまりの強い言葉で水俣裁判のことを語り合っていたことを思い出す。
あの旅から戻って、彼女の『苦海浄土 わが水俣病』を古本屋で探した夏・・・。