「そんなことじゃ、ダメだな」
「あなたは、どうせ勉強苦手だから」
「この子は言うこと聞かないんだから」
「どうせやったってうまくできやしないんだから」
普段、何気なく大人が子どもの前で口にしていないでしょうか。
この言葉を聞いたとき、子どもは自分のことをその通りだと思い込み、そういう人間になっていくそうです。
だから、決して子どもを否定するような言葉を言わないで・・・
と、どこか外国の教育学者が行っていたのを思い出します。
親同士で話をするとき、謙遜するのか、自分の子どもを人の前で否定するようなことをつい言ってしまいがちですが、
でも、自分がもし子どもの立場だったら、どう思うかな・・・・。
お母さんは私のことを認めてくれる、と、思えるような言葉が聞けたら嬉しいでしょうし、今は満点でなくても、それに近づく努力をするでしょう。
ちょっとした言葉かけで、柔らかな子どものこころはどんな方向へも向けることができる、ということをもっと意識したいものですね。
「あなたは、どうせ勉強苦手だから」
「この子は言うこと聞かないんだから」
「どうせやったってうまくできやしないんだから」
普段、何気なく大人が子どもの前で口にしていないでしょうか。
この言葉を聞いたとき、子どもは自分のことをその通りだと思い込み、そういう人間になっていくそうです。
だから、決して子どもを否定するような言葉を言わないで・・・
と、どこか外国の教育学者が行っていたのを思い出します。
親同士で話をするとき、謙遜するのか、自分の子どもを人の前で否定するようなことをつい言ってしまいがちですが、
でも、自分がもし子どもの立場だったら、どう思うかな・・・・。
お母さんは私のことを認めてくれる、と、思えるような言葉が聞けたら嬉しいでしょうし、今は満点でなくても、それに近づく努力をするでしょう。
ちょっとした言葉かけで、柔らかな子どものこころはどんな方向へも向けることができる、ということをもっと意識したいものですね。
「ぐりとぐら」シリーズでロングセラーの中川李枝子さんがこのたび、上郡町の読書講演会に講師として来られます。
1月24日(日)13時半から、生涯学習支援センターで。
「ぐりとぐら」の絵本を知らない人はいないんじゃないでしょうか。
“ぼくらのなまえは ぐりとぐら
このよでいちばんすきなのは
おりょうりすること
たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら”
子どもに絵本を読んでやりながら、実は、このフレーズを一番気に入っているのは私自身だったりします。
大きなたまごを拾ってきたぐりとぐらが
大きなカステラを焼いて、
おなべのふたをとったときの、
ふんわりとして、やわらかくて、いいにおいのカステラのようすが、
ページをめくるたびに新鮮によみがえります。
人の想像力の豊かさはもちろんですが、
想像力をかきたて、幸せな気持ちを呼び覚ます、
絵本の力はやはり、すごいと思います。
1月24日(日)13時半から、生涯学習支援センターで。
「ぐりとぐら」の絵本を知らない人はいないんじゃないでしょうか。
“ぼくらのなまえは ぐりとぐら
このよでいちばんすきなのは
おりょうりすること
たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら”
子どもに絵本を読んでやりながら、実は、このフレーズを一番気に入っているのは私自身だったりします。
大きなたまごを拾ってきたぐりとぐらが
大きなカステラを焼いて、
おなべのふたをとったときの、
ふんわりとして、やわらかくて、いいにおいのカステラのようすが、
ページをめくるたびに新鮮によみがえります。
人の想像力の豊かさはもちろんですが、
想像力をかきたて、幸せな気持ちを呼び覚ます、
絵本の力はやはり、すごいと思います。
養父市議会が議会基本条例制定を目指している、と新聞で読みました。県内のいくつかの議会も制定、または検討中ということです。
議会の役割と責任を明文化する議会活動の最高規範である、議会基本条例。
地方分権の流れとともに、議会の意味・議員の仕事とは何かを本気で考えようとする動きは全国で起こっています。
議会改革の主なものに、「議会報告会」の義務付けがあり、議会で出された案件に対し、どんな議論をしてどう結論付けたかを市民に説明する場を設ける、というものがあります。
私達が選挙のときに投じる一票を決める大きな基準ともなるものです。いままでは、自分の住む町の議員を選ぶことさえ、誰に入れたらいいかわからず、結局、縁故や知り合いに頼まれたり利害関係で選んだりすることになりがちでした。
このような議会改革の動きは、しかし、議員自らが動かなくては始まりません。そういった意味においては、議員自身の意識が高まってきたということだろうと思います。
市民の目にさらされることで、さらに議員や議会の質も高まることでしょう。
上郡町においても先般の定例議会で「上郡町議会議員政治倫理条例」の制定が決まった、と聞きました。
基本条例と違い、議員のあるべき姿、取るべき行動などを明文化しているもので、議会報告会の義務付けはありませんが。
まずは第一歩、というところでしょうか。
歩みは遅くとも、着実に進めていただきたいと思います。
議会の役割と責任を明文化する議会活動の最高規範である、議会基本条例。
地方分権の流れとともに、議会の意味・議員の仕事とは何かを本気で考えようとする動きは全国で起こっています。
議会改革の主なものに、「議会報告会」の義務付けがあり、議会で出された案件に対し、どんな議論をしてどう結論付けたかを市民に説明する場を設ける、というものがあります。
私達が選挙のときに投じる一票を決める大きな基準ともなるものです。いままでは、自分の住む町の議員を選ぶことさえ、誰に入れたらいいかわからず、結局、縁故や知り合いに頼まれたり利害関係で選んだりすることになりがちでした。
このような議会改革の動きは、しかし、議員自らが動かなくては始まりません。そういった意味においては、議員自身の意識が高まってきたということだろうと思います。
市民の目にさらされることで、さらに議員や議会の質も高まることでしょう。
上郡町においても先般の定例議会で「上郡町議会議員政治倫理条例」の制定が決まった、と聞きました。
基本条例と違い、議員のあるべき姿、取るべき行動などを明文化しているもので、議会報告会の義務付けはありませんが。
まずは第一歩、というところでしょうか。
歩みは遅くとも、着実に進めていただきたいと思います。
さて、こちらの話の舞台は、今から30年あまり昔の岩国での話。
ちょうど、ベトナム戦争の頃、岩国基地から多くの戦闘機が飛び立っていました。
ベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」の略〈ベへいれん〉)活動をしていた著者が行きがかり上、岩国で反戦喫茶「ほびっと」を開店し、店を運営する中で出会った人や事件などの記録です。
当時私は小学生で、ベトナム戦争のことはテレビのニュースや、回りの大人が話していることからぐらいしか聞くことがなく、どこか遠い世界のことのように思っていました。
改めてこの本を読んで、実家から車で10分のところにある岩国基地から爆弾を積んで飛行機が毎日飛んでいたのだと思うと、なんと平和ボケしたまま歳を重ねたものだろうと、情けないような気持ちになっています。
反戦喫茶、という名前から「いかつい」活動家達が集まっているかというと、そうでもなく、著者自信が本の中で
「こんなボクが、反戦喫茶のマスターだって・・・?」
と、つぶやいているように、みんなどこか弱い部分を持っている、普通のひとたちが、
やっぱり、戦争はだめでしょう!?
という気持ちで店を運営し、応援しています。
また、日本人ばかりでなく、基地の兵士であるアメリカ人も通ってきています。彼らも戦うことに疑問を持ち、ほびっとの仲間と話をします。戦争という大きな流れの中で苦悩を抱えるひとりの人間の姿があります。
世の中が不安定になってきて、何が起こるかわからない状況の中、改めてこのような記録の本が出されるというのは、意味のあることのような気がします。
また、当時母親によく連れて行ってもらったデパートの名前や駅前の様子、本屋、家具屋など地元のものには懐かしい風景描写もあり、そういった意味でとても懐かしく、大きな感慨と共に読み進めることができました。
「ほびっと 戦争をとめた喫茶店
ベ平連1970-1975 in イワクニ」
中川六平 著 講談社
http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E3%81%BB%E3%81%B3%E3%81%A3%E3%81%A8%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%9F%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97&tag=yahhyd-22&index=aps&field-adult-product=0&hvadid=28575308041&ref=pd_sl_93zwb1fc7p_e
ちょうど、ベトナム戦争の頃、岩国基地から多くの戦闘機が飛び立っていました。
ベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」の略〈ベへいれん〉)活動をしていた著者が行きがかり上、岩国で反戦喫茶「ほびっと」を開店し、店を運営する中で出会った人や事件などの記録です。
当時私は小学生で、ベトナム戦争のことはテレビのニュースや、回りの大人が話していることからぐらいしか聞くことがなく、どこか遠い世界のことのように思っていました。
改めてこの本を読んで、実家から車で10分のところにある岩国基地から爆弾を積んで飛行機が毎日飛んでいたのだと思うと、なんと平和ボケしたまま歳を重ねたものだろうと、情けないような気持ちになっています。
反戦喫茶、という名前から「いかつい」活動家達が集まっているかというと、そうでもなく、著者自信が本の中で
「こんなボクが、反戦喫茶のマスターだって・・・?」
と、つぶやいているように、みんなどこか弱い部分を持っている、普通のひとたちが、
やっぱり、戦争はだめでしょう!?
という気持ちで店を運営し、応援しています。
また、日本人ばかりでなく、基地の兵士であるアメリカ人も通ってきています。彼らも戦うことに疑問を持ち、ほびっとの仲間と話をします。戦争という大きな流れの中で苦悩を抱えるひとりの人間の姿があります。
世の中が不安定になってきて、何が起こるかわからない状況の中、改めてこのような記録の本が出されるというのは、意味のあることのような気がします。
また、当時母親によく連れて行ってもらったデパートの名前や駅前の様子、本屋、家具屋など地元のものには懐かしい風景描写もあり、そういった意味でとても懐かしく、大きな感慨と共に読み進めることができました。
「ほびっと 戦争をとめた喫茶店
ベ平連1970-1975 in イワクニ」
中川六平 著 講談社
http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E3%81%BB%E3%81%B3%E3%81%A3%E3%81%A8%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%9F%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97&tag=yahhyd-22&index=aps&field-adult-product=0&hvadid=28575308041&ref=pd_sl_93zwb1fc7p_e
99年から2008年2月まで、岩国市長を2期務めた井原勝介氏の記録。
米軍再編の中で、民意を酌むとしながら実際に行われる国や県からののアメとムチのやり方に疑問を投げかけ、安心して住むことのできる地域づくりは市民自らが行動しなければならい、とよびかけています。
行政側はそのための情報開示を行わなければならないとし、今までの国などの進め方にありがちな、暗黙のうちに責任者や首長だけで決め事をしてしまうことはしてはいけない、という姿勢を貫いています。
昨日のブログにも書き込んだとおり、たくさんの人の思いを巻き込んで絡み合った糸はなかなかほぐれそうにありませんが、賛否両論ある中で、私は井原氏が最後の章で書いている、未来の子どもたちのために、今何を残すべきかを冷静に考えなければならい、と言っていることに賛同します。
また、自分が信念を持って闘ったことを時系列で本にまとめ、何が起こったかを知りたいと思う人に情報を提供し、なお、これからどうすべきかの示唆も与えています。
これほどのエネルギーはどこから来るのかと問われ、彼は今の政治の流れを変えたいと思う市民の熱い支持があるからこそ、と答えています。
誹謗中傷やデマを流され、激しい選挙戦の末敗れ、心身とも疲弊した井原氏を支える人たちがいるということは、もしかしたら、地方が変わる小さな変化がここから生まれるのかもしれない、という希望や可能性を思わせてくれます。
国の政策に翻弄される地方の例のひとつとして興味深い一冊だと思います。
「岩国に吹いた風
―米軍再編・市民と共にたたかう」
井原勝介著 高文研
http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E5%B2%A9%E5%9B%BD%E3%81%AB%E5%90%B9%E3%81%84%E3%81%9F%E9%A2%A8&tag=yahhyd-22&index=aps&field-adult-product=0&hvadid=29673773041&ref=pd_sl_94pfp1pl4a_e
米軍再編の中で、民意を酌むとしながら実際に行われる国や県からののアメとムチのやり方に疑問を投げかけ、安心して住むことのできる地域づくりは市民自らが行動しなければならい、とよびかけています。
行政側はそのための情報開示を行わなければならないとし、今までの国などの進め方にありがちな、暗黙のうちに責任者や首長だけで決め事をしてしまうことはしてはいけない、という姿勢を貫いています。
昨日のブログにも書き込んだとおり、たくさんの人の思いを巻き込んで絡み合った糸はなかなかほぐれそうにありませんが、賛否両論ある中で、私は井原氏が最後の章で書いている、未来の子どもたちのために、今何を残すべきかを冷静に考えなければならい、と言っていることに賛同します。
また、自分が信念を持って闘ったことを時系列で本にまとめ、何が起こったかを知りたいと思う人に情報を提供し、なお、これからどうすべきかの示唆も与えています。
これほどのエネルギーはどこから来るのかと問われ、彼は今の政治の流れを変えたいと思う市民の熱い支持があるからこそ、と答えています。
誹謗中傷やデマを流され、激しい選挙戦の末敗れ、心身とも疲弊した井原氏を支える人たちがいるということは、もしかしたら、地方が変わる小さな変化がここから生まれるのかもしれない、という希望や可能性を思わせてくれます。
国の政策に翻弄される地方の例のひとつとして興味深い一冊だと思います。
「岩国に吹いた風
―米軍再編・市民と共にたたかう」
井原勝介著 高文研
http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E5%B2%A9%E5%9B%BD%E3%81%AB%E5%90%B9%E3%81%84%E3%81%9F%E9%A2%A8&tag=yahhyd-22&index=aps&field-adult-product=0&hvadid=29673773041&ref=pd_sl_94pfp1pl4a_e
帰省して、久しぶりになつかしいひとたちと楽しいひとときを過ごし、ふと、米軍再編の話になり、話しこんでしまいました。
あれだけ住民投票で米軍基地再編拡充に反対の答えが出たのに、今の流れを見ていると、いざ日本の国防という問題からは住民投票の結果など吹き飛んでしまいそうです。
そして、2年前の市長選で住民投票の結果を一番に重視して選挙戦を戦った前市長派と現市長派の市民の間に深い溝ができ、いまだにくすぶっているのがわかりました。
通常の会話からは表にあらわれてこないわだかまりを垣間見て、どこも同じだなあと思いました。
自分の意見を持つことは大事なことですが、日常生活の中では誰とも仲良くやっていきたいのに自分の意見を言ったことで過剰に反応されてしまい、その後の人間関係がうまくいかなくなっています。
生きていると、こういう悩みは尽きないものかもしれません。かえってその悩みは歳がいくほど深くなるように思えます。
明確な答えは出ないものなのでしょう。せめて、思考停止に陥らないように気をつけよう、と、自分に言い聞かせています。
あれだけ住民投票で米軍基地再編拡充に反対の答えが出たのに、今の流れを見ていると、いざ日本の国防という問題からは住民投票の結果など吹き飛んでしまいそうです。
そして、2年前の市長選で住民投票の結果を一番に重視して選挙戦を戦った前市長派と現市長派の市民の間に深い溝ができ、いまだにくすぶっているのがわかりました。
通常の会話からは表にあらわれてこないわだかまりを垣間見て、どこも同じだなあと思いました。
自分の意見を持つことは大事なことですが、日常生活の中では誰とも仲良くやっていきたいのに自分の意見を言ったことで過剰に反応されてしまい、その後の人間関係がうまくいかなくなっています。
生きていると、こういう悩みは尽きないものかもしれません。かえってその悩みは歳がいくほど深くなるように思えます。
明確な答えは出ないものなのでしょう。せめて、思考停止に陥らないように気をつけよう、と、自分に言い聞かせています。
最近、立て続けに岩国に関する本が出版され、さっそく買い求めました。
ほびっと 戦争をとめた喫茶店
ベ平連1970-1975inイワクニ
中川六平著 講談社
岩国に吹いた風
米軍再編・市民とともにたたかう
井原勝介(前岩国市長)著
高文研
最初の本は、私がちょうど小学生のころ、哲学者の鶴見俊介さんだとか、ベ平連で活動、また阪神大震災のときにもボランティアで活躍されていた小田実さんといった人たちの仲間である作者が岩国で喫茶店をしていた時のことが書かれています。住んでいる地区が違うとはいえ、そのような喫茶店が同じ市内にあったなんて、恥ずかしいけれど、この歳になるまで全然知りませんでした。
そして、もう一冊は現在進行形である米軍再編にゆれる岩国が、どのように翻弄されているかを著しているものです。真の民主的な市民社会を構築したいと願う著者
の思いが伝わってくる内容です。
最初に読み始めたのは「ほびっと」の方ですが、「岩国に吹いた風」があとから手元に届き、米軍再編の方が関心事だったこともあり、並行して読んでいましたがやはり夢中になったのは「・・・風」の方で、一気に読んでしまいました。
・・・・なるほど、そうだったのか。
読み終えて深い絶望感にかられましたが、それでも希望を捨てない井原さんの姿勢に深く感銘を覚えたしだいです。
詳しい感想など、後日に続けます。
ほびっと 戦争をとめた喫茶店
ベ平連1970-1975inイワクニ
中川六平著 講談社
岩国に吹いた風
米軍再編・市民とともにたたかう
井原勝介(前岩国市長)著
高文研
最初の本は、私がちょうど小学生のころ、哲学者の鶴見俊介さんだとか、ベ平連で活動、また阪神大震災のときにもボランティアで活躍されていた小田実さんといった人たちの仲間である作者が岩国で喫茶店をしていた時のことが書かれています。住んでいる地区が違うとはいえ、そのような喫茶店が同じ市内にあったなんて、恥ずかしいけれど、この歳になるまで全然知りませんでした。
そして、もう一冊は現在進行形である米軍再編にゆれる岩国が、どのように翻弄されているかを著しているものです。真の民主的な市民社会を構築したいと願う著者
の思いが伝わってくる内容です。
最初に読み始めたのは「ほびっと」の方ですが、「岩国に吹いた風」があとから手元に届き、米軍再編の方が関心事だったこともあり、並行して読んでいましたがやはり夢中になったのは「・・・風」の方で、一気に読んでしまいました。
・・・・なるほど、そうだったのか。
読み終えて深い絶望感にかられましたが、それでも希望を捨てない井原さんの姿勢に深く感銘を覚えたしだいです。
詳しい感想など、後日に続けます。
「近くのコンビニと遠くのふるさとと、どちらがなくなったら困る?」
というアンケートの問いに、わたしはとっさに、
「コンビニかなあ・・・」
と、思ってしまいました。
大半の人は、「遠くのふるさと」と、答えたそうです。
私はまだ、帰っても温かく迎えてくれる両親がおり、妹や弟も元気で暮らしています。なつがしがってくれる何人もの人をまだ失っていないから、ついコンビニ、なんて発想をしてしまうのだと思いました。
自分の生まれ育った家はあっても、そこに自分を懐かしがってくれ、自分が訪ねていくのを待ってくれる人がいなければ、もう、「ふるさと」とは言えないんだ、ということを、このアンケートは教えてくれました。
また、私のまわりにいる、「ふるさと」をなくした何人もの人が異口同音に、
できるだけ顔を見せてあげなさいよ
できるだけ話をしてあげなさいよ
と、私に言ってくださるのを思い出し、ついつい連絡を怠りがちな自分を振り返り、電話ぐらいもっとしなくちゃ、と言い聞かせました。
自分もいつかは
元気なうちに顔見せてあげなさいよ
なんて、若い人に言うときが来るのでしょう。
でも、それって、切ないことですね。
というアンケートの問いに、わたしはとっさに、
「コンビニかなあ・・・」
と、思ってしまいました。
大半の人は、「遠くのふるさと」と、答えたそうです。
私はまだ、帰っても温かく迎えてくれる両親がおり、妹や弟も元気で暮らしています。なつがしがってくれる何人もの人をまだ失っていないから、ついコンビニ、なんて発想をしてしまうのだと思いました。
自分の生まれ育った家はあっても、そこに自分を懐かしがってくれ、自分が訪ねていくのを待ってくれる人がいなければ、もう、「ふるさと」とは言えないんだ、ということを、このアンケートは教えてくれました。
また、私のまわりにいる、「ふるさと」をなくした何人もの人が異口同音に、
できるだけ顔を見せてあげなさいよ
できるだけ話をしてあげなさいよ
と、私に言ってくださるのを思い出し、ついつい連絡を怠りがちな自分を振り返り、電話ぐらいもっとしなくちゃ、と言い聞かせました。
自分もいつかは
元気なうちに顔見せてあげなさいよ
なんて、若い人に言うときが来るのでしょう。
でも、それって、切ないことですね。
平林都というマナー講師の方の研修の様子をテレビで見ました。本気で受講生にぶつかっていく、その気迫に圧倒されました。
年回りは私と同じくらいの人でしょうか。
受講生は自分の息子や娘と変わらないくらいの若い人たちが中心で、ちょっとでも気に入らないことがあれば無視を決め込まれる世代。
その、横柄な態度を真正面から指摘し、繰り返し繰り返し罵声とともに何が大切なことなのかをぶつけていく。
若い人たちになぜ怒っているかをきちんと説明するのは、手間のかかることだし、すごいエネルギーの要ることです。
以前は、家族だけでなく、親戚、近所の大人たちにもこういうタイプの人はたくさんいたはずなのですが・・・・。
いつの間にか、お金を払わなければ怒ってもらうこともできなくなってしまった・・・・ということなのでしょうか。
大事なことを伝えるためには鬼にでも蛇にでもなる、と平林氏は言います。嫌われて何ぼの商売です、と。
このテレビを一緒に見ていた子ども達。厳しいクラブを体験している子どもたちは、ほぼ同時に、「クラブの先生とおんなじだ!」と叫びました。
何が大事なことかを本気で教える大人・・・・。
結局、だんだんと人間は横着になってしまい、自分の未来をますます窮屈なものにしてしまっているのでしょうか。
大事なときに、怒れる大人に、なりたいと思います。
私の性格上、嫌われたくないのでフォローは忘れたくないですが。
年回りは私と同じくらいの人でしょうか。
受講生は自分の息子や娘と変わらないくらいの若い人たちが中心で、ちょっとでも気に入らないことがあれば無視を決め込まれる世代。
その、横柄な態度を真正面から指摘し、繰り返し繰り返し罵声とともに何が大切なことなのかをぶつけていく。
若い人たちになぜ怒っているかをきちんと説明するのは、手間のかかることだし、すごいエネルギーの要ることです。
以前は、家族だけでなく、親戚、近所の大人たちにもこういうタイプの人はたくさんいたはずなのですが・・・・。
いつの間にか、お金を払わなければ怒ってもらうこともできなくなってしまった・・・・ということなのでしょうか。
大事なことを伝えるためには鬼にでも蛇にでもなる、と平林氏は言います。嫌われて何ぼの商売です、と。
このテレビを一緒に見ていた子ども達。厳しいクラブを体験している子どもたちは、ほぼ同時に、「クラブの先生とおんなじだ!」と叫びました。
何が大事なことかを本気で教える大人・・・・。
結局、だんだんと人間は横着になってしまい、自分の未来をますます窮屈なものにしてしまっているのでしょうか。
大事なときに、怒れる大人に、なりたいと思います。
私の性格上、嫌われたくないのでフォローは忘れたくないですが。