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■河井夫妻への1.5億円 安倍氏が説明をすべきだ 毎日新聞 2021/5/21

2022-05-30 05:13:58 | 日記

■河井夫妻への1.5億円 安倍氏が説明をすべきだ

毎日新聞 2021/5/21

https://mainichi.jp/articles/20210521/ddm/005/070/095000c


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襟を正すべき自民党幹部が、責任の押し付け合いをしている。

あきれるほかない。


2019年参院選を巡る買収事件で有罪が確定した河井案里元参院議員の陣営に、党本部から1億5000万円もの政治資金が提供されていた問題である。

資金の支出について、二階俊博幹事長は「私は関係していない」と述べた。


幹事長は、総裁に代わり党務をつかさどる。

候補者の公認と政治資金の配分を決める最終責任者であり、説明する責任がある。


二階氏側近から当時の担当者だったと名指しされた甘利明元選対委員長も「1ミリも関わっていない」と、真っ向から否定した。

巨額資金が買収の原資となった可能性が指摘されている。


支出を誰が決めたのか分からないのでは、政党の体をなしていない。

二階氏の発言に対し、買収の舞台となった広島で、党県連から「これほど県民を侮辱する言葉はない」と反発の声があがったのは当然だ。


案里元議員の擁立を主導したのは安倍晋三前首相だった。

当時の総裁として、安倍氏が説明するしかない。


官房長官だった菅義偉首相も、選挙応援で何度も現地入りした。

夫の河井克行元法相は菅氏の側近だった。


菅氏も無関係では済まされない。

二階氏はこれまで、一連の事件を「他山の石」と評し、無責任だと批判された。


克行元法相の裁判で関係書類が検察に押収されていることを理由に、菅氏や二階氏は説明から逃げ続けている。

案里元議員の当選無効を受けた4月の再選挙では自民党候補が敗れた。


政権幹部が事件に向き合わず、政治不信の払拭(ふっしょく)に取り組まなかったからだ。

国民の厳しい審判を自民党は受け止めるべきだ。


にもかかわらず、二階氏側近の林幹雄幹事長代理は記者会見で「根掘り葉掘り、党の内部のことまで踏み込まないでもらいたい」と語り、報道陣の質問を封じる姿勢さえ示した。

資金の大半は、国民の税金から支出される政党交付金だった。


「政治とカネ」の問題に対する自民党の姿勢が問われている。

うやむやにしたまま幕引きすることは許されない。


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■河井夫妻への1.5億円 安倍氏が説明をすべきだ
毎日新聞 2021/5/21
https://mainichi.jp/articles/20210521/ddm/005/070/095000c

 

 

 


■自民総裁と幹事長が資金投入決裁

首相、案里氏陣営への1.5億円

「当時の安倍晋三首相(党総裁)に説明を求める」

共同通信 2021/6/17

https://nordot.app/778243714028421120?c=39550187727945729


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菅義偉首相は17日の記者会見で、2019年参院選広島選挙区の買収事件で有罪が確定し、当選無効となった河井案里氏陣営に対する1億5千万円の自民党資金投入を巡り「当時の総裁と幹事長で行われたのは事実だ」と述べた。


当時の安倍晋三首相(党総裁)に説明を求めるか問われたのに対しては、具体的な言及を避けた。


当選無効となった国会議員の歳費返還を義務付ける改正について「自民党総裁として、党内で議論が進むように促していく」と表明した。


法改正を巡っては、自民党内から議員歳費を保障する憲法49条との関係などについて慎重論が出たため、先の通常国会での成立が見送られた。


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■自民総裁と幹事長が資金投入決裁
首相、案里氏陣営への1.5億円
「当時の安倍晋三首相(党総裁)に説明を求める」
共同通信 2021/6/17
https://nordot.app/778243714028421120?c=39550187727945729


■消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする 週刊現代 2016.06.01

2022-05-28 05:33:34 | 日記

 

■消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする

週刊現代 2016.06.01

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48754


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・アジア版列島改造論をぶち上げる


まず多くの識者が指摘したのが、「日本の売り込み」を、アジア中心で一気に進めていくだろうということである。


「田中角栄さんがいま生きていたら、安倍政権とはまったく逆のことをするでしょう。安倍政権は中国を脅威と捉えて対立していますが、田中さんならばうまく取り込んでいく。

なにせ中国は13億人以上の人口を抱える巨大マーケット。


日本国内の内需が人口減少で縮んでいくのなら、中国、さらにこれから中国をも上回ってくる巨大市場のインドを取り込もうと考えるのが田中流です。

1972年に田中さんは中国の周恩来首相と会談し、歴史的な日中国交正常化を実現させました。


いまならば田中さんは訪中して習近平国家主席と握手をし、そこで『日本列島改造論』に代わって、『アジア列島改造論』をぶち上げるでしょう」


そう語るのはジャーナリストの田原総一朗氏。

聞くだけでワクワクするような構想だが、『アジア列島改造論』とはどのようなものなのか。


田原氏が続ける。

「田中さんが日本列島改造論で提唱していたのは、日本中が一つの都市のように結びついて、北海道から九州までが一日で往復できる『一日経済圏』『一日生活圏』となることで日本全体が発展するというもの。


そのために新幹線と高速道路をめぐらせ、各地に地方空港を作り、さらに日本の4つの島をトンネルと橋で結ぶことが不可欠だと彼は説いた。

『アジア列島改造論』は、同じことを中国やインドまで含めたアジアのスケールでやるものになる。


アジア全体を巨大なマーケットとして結びつけるために、最新鋭の空運、海運、陸運の交通網が莫大なスケールで整備される。

ヨーロッパがEU(欧州連合)や共通通貨のユーロを作ったように、アジア共同体やアジア版ユーロのような共通通貨も新しく生まれてくる」


田中角栄の外交力は、グローバル時代のいまであればなおさら、存分に発揮される。

実際、「現代の田中角栄」が政府専用機に乗って地球全体を飛び回り、世界の首脳たちとのトップ外交で次々と商談をまとめていく姿は容易に想像できる。


田中の首相秘書官を務めた木内昭胤氏も言う。

「田中さんは『人気絶頂の時にこそ、一番難しいことにチャレンジする』と言って日中国交正常化を実現させたので、現在のように官邸が強い政治状況のときこそ、最も難しいとされる中国との関係改善に動くでしょう。


習近平国家主席は日本に強硬姿勢ですが、そういう相手にも田中さんは言うべきことは言う。

そして、気がついた時には笑顔で握手をする関係を作ってしまうのです。


田中さんは旧ソ連との間でも、ブレジネフ書記長と初対面にもかかわらず丁々発止でやって、切った張ったの外交を展開しました。

そのうえで北方四島の領土問題を確認し、シベリア開発の道筋を固めた。


そんな資源外交を展開した田中さんですから、いまならプーチン大統領とトップ交渉をして、新しい石油・ガス田開発の権益を日本に持ってくる。

ロシアからパイプラインを日本に引いてくるくらいのこともやるでしょう」


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消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする
週刊現代 2016.06.01
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48754


■コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」 週刊新潮 2020年6月4日

2022-05-28 05:33:11 | 日記


■コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」

週刊新潮 2020年6月4日

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06060601/?all=1&page=1


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全国でマスクが出回り始めた今になってようやく届き始めた「アベノマスク」。

466億円もかけてそれを配ったおかげで市中にマスクが流通し、価格も下がったと詭弁を弄する安倍晋三総理にはため息しか出ない。


無論、初めて経験する災禍だから誰がリーダーであったとしてもミスが起こるのは仕方なかろう。

しかし、混迷を極める政府への不信感が日本中を支配するにつれ、政財界の一部からこんな声が聞こえてくるようになった。


田中角栄ならもっとうまくやったのではないか――。


「布マスクを配布するなんてね、田中先生だったらそんなバカみたいなことはやるはずがない。秘書官に言われるがまま実行に移すなんて、国のリーダーとしてあり得ません。田中先生なら経済活動と国民の命を同時に守る、バランスの取れた政策を取ったはずです」


鉄の結束を誇った角栄の後援会「越山会」元幹部の馬場潤一郎氏はそう語る。


「田中先生が議員時代に道路整備に力を入れたのは、工業生産が増える中でトラックが通る道路が必要だったから。実は、そういった経済的な面だけではなく、それは人々の生活を守る政策でもあった。田中先生の地元の新潟では、冬になると豪雪で道路が使えなくなり、急病になっても病院に行けないことがある。無雪道路がないと、人々の命、生活が危ないと考えて道路整備を進めたのです」


角栄の元番記者で新潟日報社長の小田敏三氏も、


「角栄さんならマスク2枚配布は絶対にしないだろうな、と安倍さんの発表を聞いた時に思いました。角栄さんならまず、自分が泥を被ってでも大型の財政出動を最優先したはずです」


小田氏が思い起こすのは、最終的に角栄が決着させた「日米繊維交渉」である。


「1971年、第3次佐藤栄作改造内閣で角栄さんは通商産業大臣に任命されました。当時、アメリカのニクソン大統領は自国の繊維工業を守るため、日本に繊維輸出の自主規制を求めていました。が、それまでの通産大臣は自主規制に反対の立場を取り、アメリカとの交渉は難航。そこで佐藤総理が角栄さんに白羽の矢を立てたのです」


角栄は当時のことを、“あえて火中の栗を拾った”と言っていたそうだが、「それは決してウソではなく、交渉に失敗すれば国民の猛反発を受け、政治家生命が終わってしまう可能性が実際にあった」と、小田氏。


「当時、アメリカはベトナム戦争やインフレによって国際収支が赤字となり、深刻な経済不況に陥っていた。繊維業界の救済はアメリカ全体の不況政策の一つだったのです。角栄さんはそうしたアメリカの交渉背景を汲み取り、さらに佐藤総理が、沖縄返還交渉を成功させるためにも、日米繊維交渉を早期に決着させたいと考えていることも理解していました」


しかし、繊維輸出を自主規制すれば概算にして2千億円余りの損失が出ると言われていた。
そこで角栄は佐藤総理などを説き伏せて繊維業界の救済対策費用、約1300億円を確保。


「繊維業界の損失は丸ごと国が補償するという角栄さんの戦略で、見事日米繊維交渉は決着。その後、『縄と糸の交換』と言われたように沖縄が日本に返還されました。日本のお家芸である繊維業で自主規制をするのは難題だったに違いない。だから今回、もし角栄さんなら自分が泥を被ってでも思い切った財政出動をして、本当に困っている人への補償に当てたのではないかと私は思います」(同)


・庶民視点で対応


安倍総理は紆余曲折の挙句、国民1人当たり一律10万円の給付を決めたが、「田中先生なら一律の給付ではなく、明日食べられない人にお金を渡すような政策にしたでしょう。雪国に育った田中先生、オヤジさんは、冬になると収入がなくなったり、家族を置いて出稼ぎに行く人を間近で見てきた。だから新型コロナで職を失い、命を絶つ人がいるということもすぐに想像できるのです」


そう語るのは、角栄の元秘書の朝賀昭氏である。


「オヤジさんは『政治家というのは、人の痛みが分からないといけない』と常々言っていました。若い政治家を前にすると、『困っている人が目の前にいる時に助けようと思えない人間は選挙に出たらダメだ』と。当選1、2回の頃の小沢一郎にもそう話していました。そして、ただ言うだけではなく、オヤジさんは常に人のためになることを第一に政策を実行していました」


角栄なら庶民視点で対応に当たったに違いない。角栄を知る人たちはそう口を揃えるのだ。

角栄がロッキード事件で逮捕された後、初めてのインタビューに成功したモンゴル日刊紙東京特派員の佐藤修氏はこう話す。


「角栄さんが政治家としての最初の演説で、『国民に住宅を与えられないで何が政治だ!』と言ったのは有名な話です。庶民が何に困っているかいち早く気づき、その解決に向けて全力で動く方でした」


自民党の石破茂元防衛大臣も、「角栄先生の真骨頂というのは、困っている人を見捨てないところでしょう。何に困っているのか、誰が一番困っているのかを見抜く目をお持ちでした」として、こう語る。


「何が国民の心に響くのかということを角栄先生が分かっておられたのは、新潟の貧しい家庭に生まれて苦労されたことも関係していたのでしょう。弱い立場の人の気持ちが角栄先生には自分のこととして感じられる。今回のコロナ関連で言えば、テナントが家賃の支払いに困っている、といったことにもすぐに対応されたでしょう」


また、角栄には金の配り方にも哲学があり、常々、金は受け取る側が実は一番つらい。

だから、くれてやるという姿勢は間違っても見せるな」と、話していた。


それ故、「今回のような支援策でも、角栄先生なら、『政府がみなさんにお金をあげますよ』という姿勢ではなく、苦しい思いをさせてすまない、どうぞ受け取って下さい、という姿勢を徹底されたと思います」(同)


次々に出てくる「角栄なら」の声。

元側近や元番記者、そして現職の国会議員の談話から見えてきた角栄の決断力や実行力、人を思いやる庶民感覚はコロナ禍の今こそ必要とされるに違いない。


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コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」
週刊新潮 2020年6月4日
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06060601/?all=1&page=1

 

 

 

 

 

■「田中角栄に今の日本を任せたい」

角川SSC新書 (角川新書)

著者 大下英治

発売日:2011年11月10日

https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/


■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン 文藝春秋 2020/10/30

2022-05-28 05:31:58 | 日記

 

■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン

文藝春秋 2020/10/30

『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男)より

https://bunshun.jp/articles/-/40998


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・「日本は良き同盟国ではない」

 

1973年1月31日、ニクソンは首相を退任した佐藤のために、秘書の楠田實(くすだみのる)や外務省高官らもホワイトハウスに招き、夕食会を開いた。

佐藤をもてなす合間の同日夕、ニクソンは午後5時前から1時間余り、前財務長官のジョン・コナリーらと懇談した。

コナリーはジョン・F・ケネディ大統領暗殺時にテキサス州知事で、ケネディの前の助手席に座っていて、重傷を負った人物として知られている。

ニクソンは、野党民主党員の彼を財務長官に抜擢(ばってき)。

前年の大統領選挙で、コナリーはニクソンを支持する民主党員票の掘り起こしに協力した。

そのコナリーとの懇談の席で、ニクソンは田中のことを、次のように非難した*2。

コナリー「いま佐藤が来ていますか」

ニクソン「彼は日本で今も尊敬され、われわれの友人だ。彼が首相の時、現在の田中首相の時よりずっとうまくやれていた。田中は非常に生意気で強硬だ。佐藤は岸と同じように米国を助けてくれた」

それから約半月後の1973年2月16日、ニクソン大統領は閣僚らと国際貿易・通貨問題を議論した。

その際、ニクソンは日本経済に対する強い不信感をぶちまけている。

「日本の大商社がすべて政府と共同所有されていることはみんな知っている」

「基本的な問題は、貿易分野で日本が良きパートナーではないことだ」

「田中に関して言えば、日本は良き同盟国ではない」

 


・ニクソンの感情的な発言

 

以上、1973年1月と2月のニクソンの生の発言を紹介した。

いずれも、国務省歴史室が地域・年代別に発行する「米国の外交関係(FRUS)」シリーズの「1973~1976年東・東南アジア編」「日本」の項に、掲載されていた。

原典は、両方とも録音テープだった。

ニクソン大統領はホワイトハウスでの会話を録音していたので、今も録音テープが残されている。

上記二件の発言は、国務省歴史室の「ヒストリアン(歴史記録者)」が重要性に注目してFRUSに収録したものだ。

日本関係のFRUSで生の声を記録したものは珍しい。

これらの大統領の発言が、米国の対日外交の重要な部分を成すとみて、取り上げたのである。

しかし、その内容はひどい。

日本には国が保有する大手商社などない。

比喩(ひゆ)的な言い方かもしれないが、感情的な発言には驚く。

 


・日米関係見直しを二度指示した大統領

 

ニクソン政権は、日本に対してどう対応すべきか、分からなくなっていたようだ。

田中政権の日中国交正常化は米国側にしこりを残した。

対日外交は何とかならんか、という気持ちになったのだろう。

ニクソン政権は「対日政策」の見直しを指示する、同じテーマの「国家安全保障検討メモ(NSSM)」を1971年4月15日、さらに約2年後の73年3月7日、と続けて発出した。

前者(NSSM122「対日政策*4」)では、「日本の国際的役割に関する日本の態度変化」「米中関係の展開の影響」など、国際環境の変化をテーマにしていた。

後者(NSSM172「米国の対日政策*5」)では、「対日関係をめぐる米国の基本的国益の特定」「向こう5年間の日本の関心と目標の特定」といった基本的な課題に関心が移っている。大統領は日米関係の基本を見直そうとしていた。

同年3月27日、愛知揆一蔵相とジョージ・シュルツ財務長官の会談が、ホワイトハウスのキッシンジャーの部屋で行われた。

その会談の途中でニクソンが顔を出し、心にもないことを口にした。

「あなたに知ってもらいたいのは、私が良き日米関係に意を強くしたということだ。米国と欧州の協議は多々あるが、日本が加わらないと取引はできないことを知ってほしい。日米は二大経済大国で、対等だ。日本を外した米欧の取り決めなどない*6」

続けて、同席したキッシンジャーに「首相の訪米の時間はとれるよね」と尋ねた。

キッシンジャーはこれに、「イエス。8月初めです」と答えると、「いいことだ。首相と天皇にも会いたい。そして来年は私が日本を訪問する」とニクソンは言っている。

翌年、自分がウォーターゲート事件で辞任し、思い通りに訪日は実現しなかった。

ニクソンは、5月12日には、訪米した大平正芳外相と大統領執務室で会った。

大平は田中より先に、ホワイトハウスで大統領を表敬訪問する栄誉に浴した。

大平への米国側の期待が強いことを態度で示したのだ。

 

(中略)

 

・日本人は「裸で立っているピグミー」か


その後、ニクソンは次のように、計三回、日本をアフリカの「ピグミー族」にたとえる差別的な発言をした。

ニクソン 「 自分の基本的な見方だと、経済大国は政治的なピグミーにとどまることができないということだ。それは自然の法則に反する。経済大国は政治的ピグミーにとどまれない……首相は日本が将来歩むべき道をどう考えるのか」

田中 「 すべての日本国民は米国が過去四半世紀、日本に与えた援助に感謝している。それによって、日本は全面的敗北から復興するまれな成果を挙げた。日本国民の基本的な願いは、米国と緊密に協議し、永久に自由諸国とともに地位を維持することだ」

ニクソン 「 中国、ソ連、日本、米国を見ると、一つの事実が際立っている。日本は近隣諸国の中でソ連などとは対照的に、経済大国ながら軍事的かつ政治的にはピグミーとして裸で立っている。……現在の安保関係の取り決めは、それら諸国が熟れたスモモのような日本を見ても、むしり取ろうと思わないよう、最良の保障となっている」

田中 「 大統領の見方と同感です。米国と日本の固い結合が他のあらゆる関係にとっても重要です。それなしに日本は中国と国交正常化できなかった」(太字部筆者)

 

・侮蔑を受け止めた田中角栄

 

田中はニクソンから「ピグミー」と侮辱されても、反発することなく、戦後米国から受けた支援に感謝し、安保条約のおかげで日本は守られていると認めた。

そして、日米安保があったから日中国交正常化ができた、とも主張した。

論理的には、のれんに腕押しのような反論だ。

では、「五年後の世界」はどうなるか。

ニクソンは「日米安保条約が廃棄され、日本で支持されなくなったら、多くのアメリカ人は喜んで出て行く。韓国から米軍も撤退する」と言った。

言うことを聞かなければ米軍を撤退させる、というカードをここで見せた。

それにしても、日本と日本人に対して、これほど侮辱的な言葉を使った米大統領がいただろうか。

日本側の会談記録はどうなっているのか。

外務省に情報公開請求して入手した。

外務省の会談記録では、ピグミーを訳さず「政治的な小人(political pygmy)」とカッコ付き、あるいはカッコなしで英文のまま記していた。

「田中総理・ニクソン大統領会談の模様」と題する1973年8月23日付9ページの文書は、こうした刺激的な発言を省いていた。

この会談が外交問題化しないよう配慮した形だ。

「ピグミー」は、『リーダーズ英和辞典』(研究社)によると、「アフリカ赤道森林地帯の矮小黒人種」とある。

それが転じて「こびと」「知力の劣った人」という意味もあるとしていて、差別的に使用され得る言葉であることが分かる。


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■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン
『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男)より
文藝春秋 2020/10/30
https://bunshun.jp/articles/-/40998


■冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相 「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」 産経ニュース 2016/7/25 石井一

2022-05-27 05:43:34 | 日記

 

■冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相

「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」

産経ニュース 2016/7/25 石井一

https://www.sankei.com/premium/news/160723/prm1607230016-n1.html


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--昭和51年7月27日、田中氏はロッキード事件で逮捕されたが

「その年の2月から米国のチャーチ委員会(上院外交委員会多国籍企業小委員会)で、事件が取り上げられ、日本でも捜査が進められていたが、私も含めて田中の周辺ではだれも逮捕まで踏み切るとは思っていなかった。それに対して、東京地検は金権政治の象徴である田中を逮捕することが正義だというおごりのもとに、前の首相を、それも最初は外為法違反という容疑で逮捕するという暴挙に突っ込んだ。これは歴史的に糾弾されるべきことだと思っている」

 

--その後の裁判をどう見たか

「田中は終始一貫、無罪を信じて切っていたし、やましいという様子を全く見せなかった。そこで、私は事件に疑問を持つようになり、弁護団らと話をしているうちに、田中は本当に無罪ではないかと思って、自分でも調査することにした。田中派だからとかそういうことよりも、政治家として捜査や裁判が行き過ぎたり、曲がったりしたときは追及していくのは使命ではないかという思いが強かった」

 

--58年1月26日、検察側は田中氏に対し、懲役5年、追徴金5億円を求刑した

「その時、私は『検察側のストーリーをつぶすには、日本国内の法廷闘争だけでは勝てない。米国で調査を進めて真相に迫らなければならない』と思い、渡米を繰り返した。協力してくれる政治専門の優秀な弁護士はいないかと考え、スタンフォード大学大学院時代からの友人に相談したところ、その年の2月にリチャード・ベンベニステという弁護士に会うことができた。ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で主任弁護士を務めた凄腕の持ち主だった。私が事件の関連資料を渡し、田中の弁護を依頼したところ、10日ほどして『引き受けましょう』という返事がきた。改めて渡米した私に、彼は『この事件には絶対、陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ』と語った。そして、事件発覚の経緯や田中側への5億円の資金提供を認めた嘱託尋問調書を日本政府が要求して裁判所が証拠として採用したことなどの点をしてきた。そのうえで『事件を証言したロッキード社(元副会長)のコーチャンは日本で刑事免責を受けているが、自分が米国内で彼を訴追することは可能だ』とも語った」

 

--その後のベンベニステ氏との調査は

「彼は3月14日、同僚や秘書など総勢10人で来日した。私が手配して高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)の最上階をフロアごと借り切り、急ピッチで本格的な調査を始めた。10日ほどが過ぎ、代理人を依頼するため、田中にどう会わせようかと思案していたところ、田中から突然、東京・目白の私邸に呼ばれた。田中は『いろいろ苦労をかけているようだな。だが、大変申し訳ないが、アメリカの弁護士は断ることにした』と言われた。私は『そんな話がありますか。せっかくすごいのを連れてきたのに』と言ったが、田中は「分かっとる。分かっとる。が、すまん、許してくれ」とわびた。さらに私は『このままだと有罪になりますよ』とも言ったのだが、田中は『いや有罪にはならない』と譲らなかった。私はすぐにベンベニステにこのことを伝えた。彼は『田中の気持ちは理解できる。すぐに帰国するよ』と受け入れてくれた」

 

--田中氏はなぜ依頼を断ったと思うか

「ひとつは『米国から仕掛けられたワナから逃れるのに米国人の手を借りたくない』という日本人としての意地とプライドがあったと思う。もうひとつは田中が無罪を固く信じていたということだ。それで米国人の弁護士まで頼む必要はないと思ったのだろう」

 

--58年10月12日の1審判決を前に、調査の結果を小冊子にまとめ、田中氏らに渡したということだが

「事件と裁判には多くの問題があるのに、田中が有罪になることには納得がいかなかったので、自分なりの調査の結果を手書きの小冊子にまとめた。最初はみんなに配って公開しようと思ったが、世論の状況を考えると逆に反発を受けるのではないかと思い、田中とその周辺の5人にだけ渡した。内容は事件の発端への疑問や嘱託尋問調書が採用されたことの問題点、田中への請託の有無や金銭授受の不確かさなど指摘し、『有罪とするのは困難と見ざるをえない』という見解を示したものだった」

 

--田中氏の受け止めは

「小冊子を読み込み、いつも枕元に置いて大切にしてくれていたそうだ。その後、判決が出て、私もその年の12月18日に行われた衆院選で落選した。その10日後、田中周辺からの誘いで、目白の私邸を訪ねた。田中は新潟料理をふるまって、『君を落としたのは本当に残念だ』と慰めてくれたのだが、その後、私が渡した小冊子の話になった。田中が『君一人が書いたのか。どうしてこんなことが分かるのか』と訪ねたので、私は『事件は完全にでっち上げられたものだと思っています。ただ、感情的に言っても仕方ありませんから、事実を並べて論理的に書いたのです。時を経て、世間が冷静さを取り戻せば、いつか真実が明らかになる日がくると思います』と答えた。田中は深く、深くうなずいていた」

 

--1審での懲役4年、追徴金5億円という有罪判決を田中はどう受け止めたのか

「田中は判決に向かうとき、無罪だと信じていた。しかし、有罪判決が出て司法に対する憤りに満ちていた。裁判所から帰ってくると、自宅事務所の会議室に駆け付けた国会議員だけを入れ、『総理大臣経験者としての私が、このような罪を、このような形で受けることは、国民に申し開きのしようがなく、名誉にかけて許せない』と演説をした。その後の田中は派閥をどんどん大きくして、自民党を完全に支配した。その異常なまでの執念の背景には、首相というポストを傷つけてしまったという反省と、自分の無実をかならず晴らすという意地があったのだと思う」

 

--事件をめぐっては日米政府の陰謀説もある

「米国の政権は自分の思い通りになると思っていた日本を、日中国交正常化や資源外交などで独自の道に進めようとした田中を追い落とそうとした。田中は『(当時国務長官だった)キッシンジャーにやられた』ということを私にも言っていた。一方、日本側では事件当時の首相の三木武夫が、自分の政権基盤を強化しようとして、事件を機に田中を葬り去ろうとした。それに歩調を合わせて裁判所や検察という司法が、異常な執念と思い上がりから、首相経験者を仕留めようとした。そこへマスコミが追い打ちをかけ、世論は田中を罰することが日本の民主主義を救うことになるというムードになってしまった。これは歴史的に検証されなければならないことだと思う」

 

--田中氏は平成5年12月に刑事被告人のまま、75歳で死去した

「ものすごく悔しかったと思う。昭和60年に脳梗塞で倒れ、障害が残ってから亡くなるまでの間は筆舌に尽くしがたい苦悩があっただろう。無実でありながら、罪を晴らせないままこの世を去ったことはまさに悲劇だ」

 

--田中氏を政治家としてどう評価しているか

「政治家として並外れた能力の持ち主だった。予算の数字から政策の中身を知り尽くし、議員立法もたくさんやった。その意味で政党政治家の模範といえる存在だった。一方で『カネ』のイメージが強かった。ただ、それは自分の力で作ったもので、反省面ではあるが、希有な政治家だったと言えるのではないか。ただ、紛れもない愛国者であり、庶民の目線を持っていた。ロッキード事件がなく、田中の能力が発揮されていたら、日本の国は北方領土問題をはじめ、いまだに残っている問題もとっくに解決できていただろう。田中がどれほど大きな功績を上げることことができたかと考えると残念だ」

 

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冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相
「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」
産経ニュース 2016/7/25 石井一