昨日、サイトに短編をアップしてもらいました。以下はネタバレありで、新作についてです。
劇場版公開記念ということで、「あとがき」にもあるように劇場版コナンのアフターストーリーです。ただし劇場版は劇場版でも昨年の映画「戦慄の~」ですが(コラ!)。
映画館で初めて見た時からゲストキャラの秋葉怜子さんが気に入って、「もっと哀ちゃんと絡めばいいのに」という願望を形にしたらこうなりました。とりあえず甘さが無いのは私が書く以上は仕方が無いとしても、コナンが登場もしないというのには自分でも苦笑するしかありません。
実は映画の中でも何度も出てくる「アメイジング・グレース」が「赦しの歌」と形容されていたのに、興味を持って歌詞を調べたのが今回の話ができたきっかけでした。ところが調べて見ると本当は、映画の怜子さんの台詞のように「自分が誰かを許す」というような意図ではなくて、「自分の罪への神の赦し」という主旨だったので、そこからこういう話ができました。
実際、私はキリスト教的な懺悔と赦しという思想はよく知らないので無責任なことは言えませんが、「誰かを赦す」というのことと「誰か(神様とかそういう超越した存在も含めて)に赦される」というのことには大きな差があると思います。
まあ、そんな事を少しは考えながら書いた話ではありますが、怜子さんと哀ちゃんのシニカルな会話の応酬は単純に書いていて楽しかったです。怜子さんが押し気味だったのは映画のゲストキャラとしてのアドバンテージということで(笑)
いつか志保さんに戻った時には一緒に飲みに行っていろいろ語ってもらいたいものです。男性観とかをテーマでやってもらうと面白そうな気がします(誰か書(描)いてくださいませんか?)。
劇場版公開記念ということで、「あとがき」にもあるように劇場版コナンのアフターストーリーです。ただし劇場版は劇場版でも昨年の映画「戦慄の~」ですが(コラ!)。
映画館で初めて見た時からゲストキャラの秋葉怜子さんが気に入って、「もっと哀ちゃんと絡めばいいのに」という願望を形にしたらこうなりました。とりあえず甘さが無いのは私が書く以上は仕方が無いとしても、コナンが登場もしないというのには自分でも苦笑するしかありません。
実は映画の中でも何度も出てくる「アメイジング・グレース」が「赦しの歌」と形容されていたのに、興味を持って歌詞を調べたのが今回の話ができたきっかけでした。ところが調べて見ると本当は、映画の怜子さんの台詞のように「自分が誰かを許す」というような意図ではなくて、「自分の罪への神の赦し」という主旨だったので、そこからこういう話ができました。
実際、私はキリスト教的な懺悔と赦しという思想はよく知らないので無責任なことは言えませんが、「誰かを赦す」というのことと「誰か(神様とかそういう超越した存在も含めて)に赦される」というのことには大きな差があると思います。
まあ、そんな事を少しは考えながら書いた話ではありますが、怜子さんと哀ちゃんのシニカルな会話の応酬は単純に書いていて楽しかったです。怜子さんが押し気味だったのは映画のゲストキャラとしてのアドバンテージということで(笑)
いつか志保さんに戻った時には一緒に飲みに行っていろいろ語ってもらいたいものです。男性観とかをテーマでやってもらうと面白そうな気がします(誰か書(描)いてくださいませんか?)。
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