日時:11月16日
映画館:八丁座
まず、見終わった後で普段のささやかな幸せが実感できる映画。
「戦場でワルツを」を観た時、これからリアルな戦争映画とはアニメーションによって表現されるのではないかと思ったが、おそらく今の日本でこの作品を実写で映画化することはほぼ不可能だろう。
戦中の日本を描くにはセットやロケ地は見つからないか際限なく金がかかるし、俳優は他の作品で見たことのある人ばかり。それだけの予算をかけても、日本では興行的には見合わない。
これがアニメーションなら、素晴らしい時代考証に戦時中の日常生活、原爆被災前の町並み(今の職場、レストハウスもチラッと出てきて、何とも言えない心境)、連合艦隊の艦列、市民生活に振りかかる空襲などなどが描写できるだけでなく、様々な心象も無理なくストーリーに盛り込むことができる。
名もなき普通の人の日常や感情をリアルに描けるのが、アニメーションだとは何とも皮肉な話だ。
太平洋戦争の銃後の日常が主人公すずさんの目を通して描かれるのだが、ウチのおばあちゃん(存命95歳)とすずさんは数歳違い。ところどころでウチのおばあちゃんも同じような体験をしてきたのだろうか、どのようにこれまでの半生を過ごしてきたのだろうかと、思いを馳せてしまう。おばあちゃんが本作を見たら、どう思うのだろう。
幸いなことにワタシの身内には戦災で亡くなった人はほとんどいないが、作中、人々は戦争によって、まるで手の中からこぼれ落ちるかのように、あっけなく死んでいく。
「手」がこの映画では重要なキャラクターとなっている。絵を描く手、つながれる手、愛する人たちの顔や頭に寄せられる手。優しい描線からその柔らかさやぬくもりが伝わってくる。これもアニメーションならではの表現力。
後半、それが戦争の酷い現実となって振りかかるが、終盤で見事に話が回収される。
この映画で好感が持てたのは、銃後の女性の姿だけでなく、職務に専念する男の矜持と終焉が描かれていた点。ああ、自分が生涯かけていた仕事を自分の手で幕切れさせる切なさよ。
最強のご当地映画であることは言うまでもないが、ヒロシマという点を差し引いたとしても日本人なら誰しもが見てほしいし、たぶん、見ないと後悔する映画。
ところで、映画の終盤、終戦まもない頃の呉の風景に広能昌三の声が聞こえたに違いない。そんなことはなかったとは言わせんぞお。
映画館:八丁座
まず、見終わった後で普段のささやかな幸せが実感できる映画。
「戦場でワルツを」を観た時、これからリアルな戦争映画とはアニメーションによって表現されるのではないかと思ったが、おそらく今の日本でこの作品を実写で映画化することはほぼ不可能だろう。
戦中の日本を描くにはセットやロケ地は見つからないか際限なく金がかかるし、俳優は他の作品で見たことのある人ばかり。それだけの予算をかけても、日本では興行的には見合わない。
これがアニメーションなら、素晴らしい時代考証に戦時中の日常生活、原爆被災前の町並み(今の職場、レストハウスもチラッと出てきて、何とも言えない心境)、連合艦隊の艦列、市民生活に振りかかる空襲などなどが描写できるだけでなく、様々な心象も無理なくストーリーに盛り込むことができる。
名もなき普通の人の日常や感情をリアルに描けるのが、アニメーションだとは何とも皮肉な話だ。
太平洋戦争の銃後の日常が主人公すずさんの目を通して描かれるのだが、ウチのおばあちゃん(存命95歳)とすずさんは数歳違い。ところどころでウチのおばあちゃんも同じような体験をしてきたのだろうか、どのようにこれまでの半生を過ごしてきたのだろうかと、思いを馳せてしまう。おばあちゃんが本作を見たら、どう思うのだろう。
幸いなことにワタシの身内には戦災で亡くなった人はほとんどいないが、作中、人々は戦争によって、まるで手の中からこぼれ落ちるかのように、あっけなく死んでいく。
「手」がこの映画では重要なキャラクターとなっている。絵を描く手、つながれる手、愛する人たちの顔や頭に寄せられる手。優しい描線からその柔らかさやぬくもりが伝わってくる。これもアニメーションならではの表現力。
後半、それが戦争の酷い現実となって振りかかるが、終盤で見事に話が回収される。
この映画で好感が持てたのは、銃後の女性の姿だけでなく、職務に専念する男の矜持と終焉が描かれていた点。ああ、自分が生涯かけていた仕事を自分の手で幕切れさせる切なさよ。
最強のご当地映画であることは言うまでもないが、ヒロシマという点を差し引いたとしても日本人なら誰しもが見てほしいし、たぶん、見ないと後悔する映画。
ところで、映画の終盤、終戦まもない頃の呉の風景に広能昌三の声が聞こえたに違いない。そんなことはなかったとは言わせんぞお。
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