かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

旅は生活のメリハリ

2019-01-16 10:29:24 | ブログ記事
最近、私はよくツアーに参加する。

昨年から一人暮らしをしているせいだ。

独りで暮らしていると、生活のメリハリがなくなる。

それを打破するためにツアーに申し込んでいる。

最近のツアーは、私のような障碍者(難聴者)にも配慮してくれて、

事前に届けておけば、要所要所は添乗員さんが個人的に教えてくれるし、
バスの集合時間などは口頭だけでなく、提示してくれる。

それで安心して参加できる。

ツアーに参加するメリットは無数にあるが、
まず私の場合は運動不足が解消される。

それから、話はしなくても、大勢の人と一緒に行動するから、孤独が癒される。

それから、これが一番大きいメリットだが、
私は景色を見るのが好きだから、バスの車窓から景色を眺めているだけで幸せになれる。

さらに興味のあることが学べる。

学生時代は、難聴であることもあって、歴史とか地理が苦手であったが、
実は、私は、これらの科目が好きだったのだと、ツアーに参加すると認識させられる。

中高校時代に、こんなツアーに参加していたら、
私も、歴史、地理が好きな科目になっていただろう。

が、学ぶのは何歳になってもできる。

いま遅ればせながら、勉強させてもらっていると思えばいいのだ。

あ、そうそう忘れていた。

ツアー参加の最大の楽しみは食であった。

食も文化であるのだから、その地方、地方のおいしいものを食べることは
これも立派な学習である。

私は、おいしいものを美味しく味わえるのも、一種の教養だと思っている。

だから、できるだけおいしいものを食べさせてくれるツアーに参加したい。

*

★晩学の助けとなれるバス旅を楽しみてをり運ばれながら

★座したまま景色つぎつぎパノラマで見せてくれるがバスの旅なり

★運転のできぬ私を安全に遊ばせくるる運転手氏は

★目の保養、口の保養をさせてくれさらに笑顔のサービスもつく

★バス内も一期一会のご縁にて午後は馴染みて仲良くなれる

★歌詠みの端くれわれは景色みて湧き来る歌を湧き来るままに

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
びこさん、私の兄も最近、視覚障碍者となり、苦悶しているのです (肱雲)
2019-01-16 12:25:40
びこさん、旅を楽しまれている記事を拝見し、一安心しました。実は、昨日、兄とかなり悲観的な人生論を交わして来たばかりだったので、貴女の「もう早く死にたい」発言が気になっていたのです。貴女と似た様な事を、兄の口から聞かされていたので、他人事では無いなと思い、コメントさせて貰っています。緑内障が悪化して、視力の殆どを失い掛けている兄の手を引いて、昨年、飛騨高山に兄弟二人旅をして来ました。「白川郷」を背景に記念撮影した際、私が何気なく兄に「きれいな景色やな~」と言ったのですが、「御免、見えんのよ~」とさり気無く寂しそうに返答されたのが、一生(笑)の思い出となってしまいました。研究者としてこれからも何冊目かの本を執筆しようとしていた矢先の失明に、嘸かし悔しい思いだったと思います。兄弟で助け合い、今後、益々厳しく苦しくなって行く事が予想される老後を、出来るだけ「愉しんで生きて行こう」と励まし合っ来たばかりでした。
返信する
肱雲さんへ (びこ)
2019-01-16 13:50:21
心のこもったコメントをありがとうございます。

実は、上の記事を書いてから、なにやら悲しくなって泣いておりました。

先のコメント返しにも書きましたが、私の親友も失明しかけていて、というより、失明して、最近は、会うと、今まで以上に気持ちが繋がります。

私も、最近の聴力検査で右耳は90デジベルという聾に近い聴力となっていることが判明し、補聴器を外していると、ほとんど聞こえない状態です。

親友と二人、目と耳の違いはあっても、見えない辛さ、聞こえない辛さをお互いが言い合いて、なるべく失敗を言い合って笑いあうようにしています。

が、話しているうちに、笑いながら涙が出てくるのは、やはりお互いに辛い状況に苦労しているせいだと思います。

肘雲さんのお兄様も、さぞお辛いことと存じます。

でも、見ることを閉ざされたものには人の心が見えるようになると聞きますし、私自身、人の心の声はよく聞こえます。

神様がそうしてくださっているのでしょうね。

悲しいことも多いのですが、しかし、他の人がそれほどに思わない何でもないことに感動を覚えて歓びを強く感じることもあります。

これは悲しみがもたらした感動なのでしょうね。

感動することで、また生きていこうという力も湧いてまいります。

人間、何が幸いで、何が不幸かは一言では言えないと思います。
返信する
ビコさんこんにちわです。 (lemonwater2017)
2019-01-16 14:34:03
難聴と三半規管は密接に繋がってると聞いた事があります。つまり耳が聞こえ難くなると、(3次元の)平衡感覚が崩れ、目眩が起きやすくなると。

難聴だけで済めばいいんですが、色んな病気をも引こ起こすんですね。

素人目から見れば、耳が遠いだけだろってなるんですが。それ以外の副次的な様々な深刻な病気に悩まされるのは、当の本人にしか判り得ない事だと思います。

そういう意味では人間とはバランスの生き物だと思う。地球上で二足歩行の生命体は人類だけですが。それだけバランスを際どく危うく保って、生き延びてきた生き物という事ですかね。

今の私に耳を塞いで歩いてみろって言われたら、まず出来ないでしょう。歩くだけでも大変な事を、ビコさんは平気でやってる訳です。

そんな奇跡的な状況の中、自分が書いた事を家族と言えども、あ〜だこ〜だ言われたくないですよね。いや言う権利は絶対にない。

人は案外、自らの置かれた状況に気付かないもんですね。
返信する
転象さんへ (びこ)
2019-01-16 14:49:29
>そういう意味では人間とはバランスの生き物だと思う

そうだと思います。

私の難聴は心臓が悪くて血の巡りがよくなかったことから来たような気もしていますし、私が鬱病になりやすいのは、難聴から来ていると思います。

何もかもそろっている人はいないかもしれませんが、しかし、視力とか聴力とかが失われて生きていくことは並大抵のことではありません。

それでも周囲の人が理解してくれている間はいいのですが、この弱みを逆手にとって虐められたら、もう生きていられなくなります。

これが案外、身近な人にわかっていないのですね。

私も五体満足な人と結婚したことがよかったことかよくなかったことか、最近は考えます。

夫は、こんなにしてやっている、あんなにしてやっているというのですが、私にすれば、夫婦なんだから、お互い弱いところは補って生きていくべきだと思うのですが、夫には弱みがないからわかってはもらえません。

あら、また愚痴っちゃった。(笑)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。