最近、私はよくツアーに参加する。
昨年から一人暮らしをしているせいだ。
独りで暮らしていると、生活のメリハリがなくなる。
それを打破するためにツアーに申し込んでいる。
最近のツアーは、私のような障碍者(難聴者)にも配慮してくれて、
事前に届けておけば、要所要所は添乗員さんが個人的に教えてくれるし、
バスの集合時間などは口頭だけでなく、提示してくれる。
それで安心して参加できる。
ツアーに参加するメリットは無数にあるが、
まず私の場合は運動不足が解消される。
それから、話はしなくても、大勢の人と一緒に行動するから、孤独が癒される。
それから、これが一番大きいメリットだが、
私は景色を見るのが好きだから、バスの車窓から景色を眺めているだけで幸せになれる。
さらに興味のあることが学べる。
学生時代は、難聴であることもあって、歴史とか地理が苦手であったが、
実は、私は、これらの科目が好きだったのだと、ツアーに参加すると認識させられる。
中高校時代に、こんなツアーに参加していたら、
私も、歴史、地理が好きな科目になっていただろう。
が、学ぶのは何歳になってもできる。
いま遅ればせながら、勉強させてもらっていると思えばいいのだ。
あ、そうそう忘れていた。
ツアー参加の最大の楽しみは食であった。
食も文化であるのだから、その地方、地方のおいしいものを食べることは
これも立派な学習である。
私は、おいしいものを美味しく味わえるのも、一種の教養だと思っている。
だから、できるだけおいしいものを食べさせてくれるツアーに参加したい。
*
★晩学の助けとなれるバス旅を楽しみてをり運ばれながら
★座したまま景色つぎつぎパノラマで見せてくれるがバスの旅なり
★運転のできぬ私を安全に遊ばせくるる運転手氏は
★目の保養、口の保養をさせてくれさらに笑顔のサービスもつく
★バス内も一期一会のご縁にて午後は馴染みて仲良くなれる
★歌詠みの端くれわれは景色みて湧き来る歌を湧き来るままに
昨年から一人暮らしをしているせいだ。
独りで暮らしていると、生活のメリハリがなくなる。
それを打破するためにツアーに申し込んでいる。
最近のツアーは、私のような障碍者(難聴者)にも配慮してくれて、
事前に届けておけば、要所要所は添乗員さんが個人的に教えてくれるし、
バスの集合時間などは口頭だけでなく、提示してくれる。
それで安心して参加できる。
ツアーに参加するメリットは無数にあるが、
まず私の場合は運動不足が解消される。
それから、話はしなくても、大勢の人と一緒に行動するから、孤独が癒される。
それから、これが一番大きいメリットだが、
私は景色を見るのが好きだから、バスの車窓から景色を眺めているだけで幸せになれる。
さらに興味のあることが学べる。
学生時代は、難聴であることもあって、歴史とか地理が苦手であったが、
実は、私は、これらの科目が好きだったのだと、ツアーに参加すると認識させられる。
中高校時代に、こんなツアーに参加していたら、
私も、歴史、地理が好きな科目になっていただろう。
が、学ぶのは何歳になってもできる。
いま遅ればせながら、勉強させてもらっていると思えばいいのだ。
あ、そうそう忘れていた。
ツアー参加の最大の楽しみは食であった。
食も文化であるのだから、その地方、地方のおいしいものを食べることは
これも立派な学習である。
私は、おいしいものを美味しく味わえるのも、一種の教養だと思っている。
だから、できるだけおいしいものを食べさせてくれるツアーに参加したい。
*
★晩学の助けとなれるバス旅を楽しみてをり運ばれながら
★座したまま景色つぎつぎパノラマで見せてくれるがバスの旅なり
★運転のできぬ私を安全に遊ばせくるる運転手氏は
★目の保養、口の保養をさせてくれさらに笑顔のサービスもつく
★バス内も一期一会のご縁にて午後は馴染みて仲良くなれる
★歌詠みの端くれわれは景色みて湧き来る歌を湧き来るままに
実は、上の記事を書いてから、なにやら悲しくなって泣いておりました。
先のコメント返しにも書きましたが、私の親友も失明しかけていて、というより、失明して、最近は、会うと、今まで以上に気持ちが繋がります。
私も、最近の聴力検査で右耳は90デジベルという聾に近い聴力となっていることが判明し、補聴器を外していると、ほとんど聞こえない状態です。
親友と二人、目と耳の違いはあっても、見えない辛さ、聞こえない辛さをお互いが言い合いて、なるべく失敗を言い合って笑いあうようにしています。
が、話しているうちに、笑いながら涙が出てくるのは、やはりお互いに辛い状況に苦労しているせいだと思います。
肘雲さんのお兄様も、さぞお辛いことと存じます。
でも、見ることを閉ざされたものには人の心が見えるようになると聞きますし、私自身、人の心の声はよく聞こえます。
神様がそうしてくださっているのでしょうね。
悲しいことも多いのですが、しかし、他の人がそれほどに思わない何でもないことに感動を覚えて歓びを強く感じることもあります。
これは悲しみがもたらした感動なのでしょうね。
感動することで、また生きていこうという力も湧いてまいります。
人間、何が幸いで、何が不幸かは一言では言えないと思います。
難聴だけで済めばいいんですが、色んな病気をも引こ起こすんですね。
素人目から見れば、耳が遠いだけだろってなるんですが。それ以外の副次的な様々な深刻な病気に悩まされるのは、当の本人にしか判り得ない事だと思います。
そういう意味では人間とはバランスの生き物だと思う。地球上で二足歩行の生命体は人類だけですが。それだけバランスを際どく危うく保って、生き延びてきた生き物という事ですかね。
今の私に耳を塞いで歩いてみろって言われたら、まず出来ないでしょう。歩くだけでも大変な事を、ビコさんは平気でやってる訳です。
そんな奇跡的な状況の中、自分が書いた事を家族と言えども、あ〜だこ〜だ言われたくないですよね。いや言う権利は絶対にない。
人は案外、自らの置かれた状況に気付かないもんですね。
そうだと思います。
私の難聴は心臓が悪くて血の巡りがよくなかったことから来たような気もしていますし、私が鬱病になりやすいのは、難聴から来ていると思います。
何もかもそろっている人はいないかもしれませんが、しかし、視力とか聴力とかが失われて生きていくことは並大抵のことではありません。
それでも周囲の人が理解してくれている間はいいのですが、この弱みを逆手にとって虐められたら、もう生きていられなくなります。
これが案外、身近な人にわかっていないのですね。
私も五体満足な人と結婚したことがよかったことかよくなかったことか、最近は考えます。
夫は、こんなにしてやっている、あんなにしてやっているというのですが、私にすれば、夫婦なんだから、お互い弱いところは補って生きていくべきだと思うのですが、夫には弱みがないからわかってはもらえません。
あら、また愚痴っちゃった。(笑)