というのが、
私はblogを書かなかったら生きていられないくらいblogが大切なのです。
が、家族にすれば、自分のことが書かれることが耐えられないらしいのです。
特に悪口を書いているわけでなく、思ったことを書いているんですけどね。
今も、また殴りたくなったと言われました。
どうして、そんなふうに思うんでしょう。
じゃ、嘘でもいいから褒めればいい?
世の中には褒め殺しという言葉があって、あまり褒められるとスポイルされることもあります。
私は、本当のことを言ってもらえるのが、一番その人のためになると思うんですけどね。
夫と娘には先月も「読まないで」と頼んだところですが、その後も読んでいたんでしょうね。
私が若い頃に苦労したことを書けば、
それがそのまま義母とか義妹の悪口のようになることは、これは仕方ないと思います。
ええ、お世話にもなりましたよ。
しかし、元気だった頃の義母は問答無用のところがありましたから、
本当につらかったです。
年に一度の帰省すら、私が泣き始めるまで私を責めました。
のちに、義母は、
自分に実家がなくなっていたから嫁の私の帰省が許せなかったと謝ってくれましたが、
「時すでに遅し」でした。
謝ってくれたときには、
私を溺愛してくれていた祖父母も亡くなっていましたし、
私を娘のようにかわいがってくれていた叔母も亡くなっていました。
お正月などは、みな私が帰省させてもらえないことを祖父母も叔母も悲しみました。
私の実家の両親は言うに及ばずでした。
とにかく結婚して10年くらいは実家に帰りたくて帰りたくて泣きました。
両親、祖父母に会いたいのと同じくらい友達にも会いたかったです。
10年くらい経って、やっと私より1歳年上の義妹が車で1時間くらい場所に嫁ぎましたが、
義妹は実家に入り浸りでした。
子供ができたら、子連れで入り浸っていました。
私は羨ましくてたまりませんでした。
どうしてあんなに意地悪されたのか、今もって不思議です。
私が難聴だったから、どんなに虐めても構わないと思ったんでしょうか。
今思い出しても涙が出てきます。
団塊の世代だった私達は、
適齢期のころは適齢期の男性一人に適齢期の女性はトラックいっぱいと言われていました。
義妹も団塊の世代でしたから嫁ぎ遅れていたのでしたが、
私は、難聴であったにも関わらず嫁いできたから目障りだったのでしょう。
私は結婚するまでは比較的大事にされて育ちましたから、
そんなふうに虐められても、どうすればいいかわかりませんでした。
それで余計虐めやすかったかもしれません。
そのころは、夫が私をかばってくれていましたが、
今は、私が、そのころのことを言っただけで怒ります。
昔のことを言うなと言われますが、私にとっては昔のことでありながら今に繋がっています。
私の過去を否定されるのなら、離婚しかないかと考えます。
離婚すれば、それはそれで大変だと思うけれど、しかし、なんとかなるかもしれないし。
*
★離婚して得られるならば離婚せむ今ほしいのは自由であれば
★過去のこと言ふなと言へる夫には過去のわたしの悲しみ見えず
★過去はまだ消えたわけではあらざれば君には言はむ過去の哀しみ
★消えざるは君の母への悔しさと君の妹(いもと)の意地悪な口
★難聴の難儀を知らず難聴のわれを蔑み苛めし人ら
私はblogを書かなかったら生きていられないくらいblogが大切なのです。
が、家族にすれば、自分のことが書かれることが耐えられないらしいのです。
特に悪口を書いているわけでなく、思ったことを書いているんですけどね。
今も、また殴りたくなったと言われました。
どうして、そんなふうに思うんでしょう。
じゃ、嘘でもいいから褒めればいい?
世の中には褒め殺しという言葉があって、あまり褒められるとスポイルされることもあります。
私は、本当のことを言ってもらえるのが、一番その人のためになると思うんですけどね。
夫と娘には先月も「読まないで」と頼んだところですが、その後も読んでいたんでしょうね。
私が若い頃に苦労したことを書けば、
それがそのまま義母とか義妹の悪口のようになることは、これは仕方ないと思います。
ええ、お世話にもなりましたよ。
しかし、元気だった頃の義母は問答無用のところがありましたから、
本当につらかったです。
年に一度の帰省すら、私が泣き始めるまで私を責めました。
のちに、義母は、
自分に実家がなくなっていたから嫁の私の帰省が許せなかったと謝ってくれましたが、
「時すでに遅し」でした。
謝ってくれたときには、
私を溺愛してくれていた祖父母も亡くなっていましたし、
私を娘のようにかわいがってくれていた叔母も亡くなっていました。
お正月などは、みな私が帰省させてもらえないことを祖父母も叔母も悲しみました。
私の実家の両親は言うに及ばずでした。
とにかく結婚して10年くらいは実家に帰りたくて帰りたくて泣きました。
両親、祖父母に会いたいのと同じくらい友達にも会いたかったです。
10年くらい経って、やっと私より1歳年上の義妹が車で1時間くらい場所に嫁ぎましたが、
義妹は実家に入り浸りでした。
子供ができたら、子連れで入り浸っていました。
私は羨ましくてたまりませんでした。
どうしてあんなに意地悪されたのか、今もって不思議です。
私が難聴だったから、どんなに虐めても構わないと思ったんでしょうか。
今思い出しても涙が出てきます。
団塊の世代だった私達は、
適齢期のころは適齢期の男性一人に適齢期の女性はトラックいっぱいと言われていました。
義妹も団塊の世代でしたから嫁ぎ遅れていたのでしたが、
私は、難聴であったにも関わらず嫁いできたから目障りだったのでしょう。
私は結婚するまでは比較的大事にされて育ちましたから、
そんなふうに虐められても、どうすればいいかわかりませんでした。
それで余計虐めやすかったかもしれません。
そのころは、夫が私をかばってくれていましたが、
今は、私が、そのころのことを言っただけで怒ります。
昔のことを言うなと言われますが、私にとっては昔のことでありながら今に繋がっています。
私の過去を否定されるのなら、離婚しかないかと考えます。
離婚すれば、それはそれで大変だと思うけれど、しかし、なんとかなるかもしれないし。
*
★離婚して得られるならば離婚せむ今ほしいのは自由であれば
★過去のこと言ふなと言へる夫には過去のわたしの悲しみ見えず
★過去はまだ消えたわけではあらざれば君には言はむ過去の哀しみ
★消えざるは君の母への悔しさと君の妹(いもと)の意地悪な口
★難聴の難儀を知らず難聴のわれを蔑み苛めし人ら
離婚する必要なんかまったくないですよ。
かみなりさんは今までどおり「かみなり」さんを生きればいいです。
だいたい読者はかみなりさんの思いを読みとっているだけで、ご家族のことは具体的にイメージしていません。
かみなりさんのご主人さまの愚痴も時としてほほえましいと感じるほどです。
姑、小姑の悪口はたまには吐いていいんじゃないかな?
その点、ブログは匿名性が高いので、あまり人を傷つけずに気持ちを表現できると思います。
私のIDの数字は分かりにくいですね。
このコメントはスマホからですが、PCからだとemarchで送りますので、よろしくね。
夫は気が小さいところがあって、自分のことを書かれることを異常に気にするのです。外面を異常に気にするから、ご近所の受けはいいのですが、一番身近な妻には暴力を振るおうとする。近所の人には夫のこんな面は想像もつかないと思います。
お知らせありがとうございました。