録画してあった番組で北海道の貧しい開拓地での「三毛別羆事件」を知った。
此の世の中にこんな恐ろしいことがあるのかと考え込まされてしまった。
ただでさえ厳しい北海道の条件の悪い開拓地で、
こんな悲惨な出来事がなぜ起こるのだろうと考えていると、
神様はどういう思惑があって、こういうことをなさるのだろうとも思った。
当時は本州の貧しい人たちが率先して北海道の開拓に赴いていたのだろう。
その北海道でも、平地の多い部分は既に開拓されつくしていたから、
彼らは条件の悪い苫前郡苫前村三毛別六線沢という山に囲まれた細長い土地の開拓を始めた。
もともと貧しい人たちであるから、家も掘っ立て小屋のような粗末なものであった。
冬は収穫したトウモロコシを家の外の軒に干して冬の間の食糧にしていたらしい。
それをその六線沢が生息地であった羆(ひぐま)が狙うようになった。
その事件のあった大正4年の12月は、
たまたま冬眠し損ねた雄羆がこのトウモロコシを狙って来るようになっていたらしい。
冬眠し損ねたのは、
その羆があまりにも図体が大きすぎて適当な穴がなかったのかもしれないと言われている。
そして、たまたまその日、その家の主の不在時に
その熊を見てしまったその家の妻が悲鳴を上げたことがきっかけになって、
羆に小屋に侵入され、
まずその家の6歳の子が殺され、
その後、
その家の主婦が懸命に応戦したにもかかわらず、
殺されただけでなく、その肉を食べられてしまった。
その羆は以前も女性を食べたことのあった羆であったことが後でわかったが、
そのときも、
その主婦を殺して口に咥えて運び自分の冬の食糧にしようと雪の中に埋めていたらしい。
が、ここから、また新たな事件は起きた。
そのままにしておけば、それで終わっていたが、
当時も日本人には遺体を見つけて葬式をする風習があったから、
住民たちは、その殺された主婦の遺体を山の奥まで探しに行き、見つけ出して葬式をあげた。
が、羆にとっては、その主婦の遺体は、
彼が自分が冬の食糧にしようと雪の中に埋めてあった自分の肉(遺体)であったから、
その主婦の遺体(肉)を取り返そうと、その葬式をしていた現場に戻ってきた。
そこから次々と新たな被害者が出た。
私は番組を見ながら震え上がってしまった。
ただでさえ貧しい粗末な家に暮らしている人たちが、
なぜこんな残酷な目に遭わないといけないのかと見ていて苦しくなった。
この事件に関心を持たれた方は、
ウィキペディアに詳しく載っていますから、ごらんください。
↓
(かなりショッキングな内容ですので、自己責任でお願いします)
*
★ただでさへ厳しき冬の北海道開拓民を襲ひし羆(ひぐま)
★鉄砲も持てぬ人らに人を食ふことを覚えし羆おそひ来
★三メートル超えし巨体の羆きて粗末な小屋の壁は壊さる
★生きたまま食はれしといふ主婦もゐて雄の人食ひ羆の悲惨
★悲鳴聞き雄の羆は人間の女弱しと襲ひ食ひたしか
★女性のみ食はれし事件その肉は男性よりも旨かつたのか
★住民は恐れ慄(おのの)き逃げ出して住民のゐぬ森とはなりぬ
★野生とはかくも野蛮なこと後の語り草とし三毛別事件
*
女性ばかり襲ったということは、
女性の肉がおいしかったのか、あるいは、女性は弱いから襲いやすかったのか。
人が牛を殺し牛肉を食う様に、ヒグマも人を殺してその肉を食う事に、何ら罪の意識がある筈もないですね。
人間からしたら怖ろしい話ですが、ヒグマからしたら当り前の事なんですかね。ヒグマと人との闘いを扱った「白い牙」は、私がブログで紹介した本ですが、結構面白かったです。
実は、私が子供の頃から肉が食べられなかったのは、ひとつには、食べようとすると、牛や豚の姿が浮かぶからというのがありました。生まれつき私には、こういう出来事に対する拒否反応が強いようです。
ですから、ほかのことが考えられないくらい衝撃でした。それなのに怖いもの見たさで、あの番組のあと、ネットを漁ってあの事件の詳しい説明を読みましたし、図書館に吉村昭の『羆嵐』という本の予約までしてしまいました。
転象さんの言われる通り、羆にとっては人間の女の肉がおいしかったから、私達がおいしい和牛の肉を欲するように、また食べに来たのでしょう。
大昔は当たり前にあった出来事でしたが、文明が発達して人間が食べられることがほとんどなくなっていたから、その厳然たる事実に粛然とさせられたというのが正しいところかもしれません。