冬道麻子さんは、筋肉のご病気で寝たきりでいらっしゃいますが、
優れた歌をお作りになられるので、有名な歌人さんでいらっしゃいます。
現在は、私の歌友であり、親友と呼ばせていただいてもいいかと思うくらい、
メールでですが、親しくお付き合いさせていただいています。
その冬道麻子さんが、昨日は、そのお作の掲載された
『短歌往来』11月号と『日本歌人協会』会報・42をご恵送くださいましたので、
ご紹介させていただきたいと思います。
まず、『短歌往来』12月号に掲載されたお歌から、
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時代の中で 冬道麻子
写メに知る表玄関のたたずまい誰かれ来しや此処ゆわが部屋
ヘルパーの好みの清拭タオルなり干され乾きて和紙の如しも
*
カラオケを知らぬ病臥よ達者なら「踊り子」唄っていたであろうに
ATMを知らぬ病臥よ達者ならパネルに触れていたであろうに
カー・ナビを知らぬ病臥よ達者なら君を訪ねていたであろうに
*
しかすがに戦争体験なき病臥生まれた時代に恵まれていて
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これらのお作について、私はつぎのような感想を書き送らせてもらいました
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冬道麻子さま
「短歌往来」11月号と「日本短歌協会」会報・42を拝受いたしまして、さっそく拝読させていただきました。
「短歌往来」のお作品は、並み居る有名歌人の皆さんの中に、やはり有名歌人さんでいらっしゃる麻子様の作品がおかれてあることを眩しみて読ませていただきました。
一首目、ご自分の住まわれている家の玄関ですら、ご自分で確認できない現実がさりげなく詠われており、ハッとさせられます。
2首目は、清拭タオルが和紙のように薄くなるまで使いこまれた、その歳月が思われて、これも悲しいお歌です。
3番目から6番目までの「いたであろうに」の連作がユーモラスに見えながら、その実、隠された悲しみは、連作にされた効果で、畳みかけられて深く訴えてきます。
すべてご病気から来た悲しみなのですが、ふつうの人には、ごく当たり前のことばかりなので、よりその悲しみが強く伝わってまいります。
最後のお歌は、それらを締めくくるように、しかし、ご病体であられても、戦争体験のない幸運を歌われてあり、読者としては、ここで救われたような気がいたします。
「日本短歌協会」会報のエッセイは、よくこういうお母様のお話された昔の話を覚えていられたなと感心させられました。
語られている少年の様子が生き生き伝わってきて、笑いを誘いますが、しかし、最後にどんでん返しがあります。
そこまでの少年を描いた話が面白いだけに、最後の結末が悲しすぎます。
簡単でございますが、以上が私の感想でございます。
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上のエッセイは次のようなものでした。
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「少年の独り言」 冬道麻子(塔)
八十五年前の母は小学生であった。神奈川県に住んでいた母は、知人宅を訪ねる母親について隣村に行った。一本杉が目印のようなお宅で、ごく普通の農家の佇まい。数人の子供のなかに母親の年齢の少年がいた。庭先で一人遊びをしていたこの少年が「ねえちゃん、死なないかなあ。葬式饅頭食いたいなあ」と、独り言を言っていた。第二次世界大戦前のまだ平和な日本の長閑な風景のなかでー。
ほぼ団塊の世代生まれの子供の頃の私は、饅頭が食べたいと思ったら、親から戴いた小遣で食べることができたが、小判型で菊の葉模様の練飴のこの饅頭は、葬式の香典返しのなかの一つでもあり、私は買って食べたことはない。人様が亡くなると葬式饅頭を戴いたが、少年は空腹であったのか。姉ちゃんと喧嘩でもしたのだろうか。たわいない子供の独り言だが、突拍子もなくて、ブラックユーモアのようだ。
子供の頃に母より聞いた遥か彼方の話で、目にしたわけでもないが、霞がかかったまま心に残っている。葬式饅頭の風習は、いつしかなくなった。
この時の姉ちゃんは、やがて嫁いだ。
この少年は、長じて戦士した。
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このブログの読者であられるハイジさんは、この冬道麻子さんの歌集をお住まいの彦根図書館で借りて読まれたと言われていました。
京都府立図書館などにもおかれてあるようですので、冬道麻子さんのお歌をお読みになられたい方は、お借りになってお読みください。
過去に出された歌集は、
『遠きはばたき』『森の向こう』『リラの風』などがあります。
わりあい最近のものとしては、2003年に上梓された『五官の束』があります。
これは私も贈呈されて持っております。
優れた歌をお作りになられるので、有名な歌人さんでいらっしゃいます。
現在は、私の歌友であり、親友と呼ばせていただいてもいいかと思うくらい、
メールでですが、親しくお付き合いさせていただいています。
その冬道麻子さんが、昨日は、そのお作の掲載された
『短歌往来』11月号と『日本歌人協会』会報・42をご恵送くださいましたので、
ご紹介させていただきたいと思います。
まず、『短歌往来』12月号に掲載されたお歌から、
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時代の中で 冬道麻子
写メに知る表玄関のたたずまい誰かれ来しや此処ゆわが部屋
ヘルパーの好みの清拭タオルなり干され乾きて和紙の如しも
*
カラオケを知らぬ病臥よ達者なら「踊り子」唄っていたであろうに
ATMを知らぬ病臥よ達者ならパネルに触れていたであろうに
カー・ナビを知らぬ病臥よ達者なら君を訪ねていたであろうに
*
しかすがに戦争体験なき病臥生まれた時代に恵まれていて
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これらのお作について、私はつぎのような感想を書き送らせてもらいました
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冬道麻子さま
「短歌往来」11月号と「日本短歌協会」会報・42を拝受いたしまして、さっそく拝読させていただきました。
「短歌往来」のお作品は、並み居る有名歌人の皆さんの中に、やはり有名歌人さんでいらっしゃる麻子様の作品がおかれてあることを眩しみて読ませていただきました。
一首目、ご自分の住まわれている家の玄関ですら、ご自分で確認できない現実がさりげなく詠われており、ハッとさせられます。
2首目は、清拭タオルが和紙のように薄くなるまで使いこまれた、その歳月が思われて、これも悲しいお歌です。
3番目から6番目までの「いたであろうに」の連作がユーモラスに見えながら、その実、隠された悲しみは、連作にされた効果で、畳みかけられて深く訴えてきます。
すべてご病気から来た悲しみなのですが、ふつうの人には、ごく当たり前のことばかりなので、よりその悲しみが強く伝わってまいります。
最後のお歌は、それらを締めくくるように、しかし、ご病体であられても、戦争体験のない幸運を歌われてあり、読者としては、ここで救われたような気がいたします。
「日本短歌協会」会報のエッセイは、よくこういうお母様のお話された昔の話を覚えていられたなと感心させられました。
語られている少年の様子が生き生き伝わってきて、笑いを誘いますが、しかし、最後にどんでん返しがあります。
そこまでの少年を描いた話が面白いだけに、最後の結末が悲しすぎます。
簡単でございますが、以上が私の感想でございます。
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上のエッセイは次のようなものでした。
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「少年の独り言」 冬道麻子(塔)
八十五年前の母は小学生であった。神奈川県に住んでいた母は、知人宅を訪ねる母親について隣村に行った。一本杉が目印のようなお宅で、ごく普通の農家の佇まい。数人の子供のなかに母親の年齢の少年がいた。庭先で一人遊びをしていたこの少年が「ねえちゃん、死なないかなあ。葬式饅頭食いたいなあ」と、独り言を言っていた。第二次世界大戦前のまだ平和な日本の長閑な風景のなかでー。
ほぼ団塊の世代生まれの子供の頃の私は、饅頭が食べたいと思ったら、親から戴いた小遣で食べることができたが、小判型で菊の葉模様の練飴のこの饅頭は、葬式の香典返しのなかの一つでもあり、私は買って食べたことはない。人様が亡くなると葬式饅頭を戴いたが、少年は空腹であったのか。姉ちゃんと喧嘩でもしたのだろうか。たわいない子供の独り言だが、突拍子もなくて、ブラックユーモアのようだ。
子供の頃に母より聞いた遥か彼方の話で、目にしたわけでもないが、霞がかかったまま心に残っている。葬式饅頭の風習は、いつしかなくなった。
この時の姉ちゃんは、やがて嫁いだ。
この少年は、長じて戦士した。
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このブログの読者であられるハイジさんは、この冬道麻子さんの歌集をお住まいの彦根図書館で借りて読まれたと言われていました。
京都府立図書館などにもおかれてあるようですので、冬道麻子さんのお歌をお読みになられたい方は、お借りになってお読みください。
過去に出された歌集は、
『遠きはばたき』『森の向こう』『リラの風』などがあります。
わりあい最近のものとしては、2003年に上梓された『五官の束』があります。
これは私も贈呈されて持っております。
冬道麻子さんの短歌詠んでたら、
書きたくなった。
”妻ブログ
知らぬ旦那は 平和でも
誰かが告げ口
火だるまに(悲)”
どうです?
気に入らんかったら、匿名にして下さい(笑)。
今日は、夫からメールがあって、仕事で東京に行っているけれど、先日から書いていた大叔母の養女さんに会ってきてくれるって。これって、私に気を使ってくれているのかしら?
あのコメント、夫かと疑ってけど、夫でもなさそう。
やっぱり夫のガールフレンドかも。
なら、その歌は当たっています。(笑)
養女と言ったら、絶景の美女ですやろ?
ここで一句です。
”夫留守
知らざる妻は 平和でも
美女に貢いで
火だるまに(悲)”
どうです?
気に入らんかったら、匿名にして下さい。
が、笑っている場合ではないかもしれませんね。
78歳になっても、まだ綺麗な人ですから。
でも、彼女は今でもお金持ちですから、夫が貢ぐことはないと思います。
夫からは、あのあと、またメールがあって、養女さんは私たちが小さいころ、兄と二人だけで広島の大叔母の家まで来たから驚いたなんて昔の話もしてくれたらしいです。