母が亡くなるまでは、母に優しくしてもらいたくて、
せっせと義姉たちにお土産をもって実家に帰った。
が、いっこうに優しくしてくれるわけでなく、
世話はまったくと言っていいくらいしてくれていなかった。
母が2階で一人で死んでいても、気づかなかったと思う。
私は、心の中に不満がいっぱいだったけれど、言わずに我慢していた。
で、母が亡くなると、その日のうちに母のものは勢いよく捨てられて、あっという間に母の部屋は空っぽになった。
そうしないと、人を家の中に入れられない状態だったことは否めない。
が、私が直後に「母の持ち物を確かめに帰ります」というと、
義姉は「決算の時期なので帰ってこないでください」と。
それで仕方なく、四十九日まで帰省しなかった。
四十九日に帰省すると、ものの見事に母のものは消えていた。
母の寝ていた部屋には甥のベッドが置かれてあった。
母の使っていた机は義姉が使っていた。
義姉の住んでいる3階は、そのまま義姉たちの物がいっぱいのままで・・・。
大工さんが入って、部屋は見違えるようにきれいにはなっていた。
が、私にすれば、母の思い出の品を仕分けしたかった。
義姉には私の母のものはすべてゴミだったかもしれないが、娘の私にはそうではなかった。
それで、私も少し意地になった。
義姉は私が簡単に遺産放棄すると思っていたようだったが、
私は税理士さんに、放棄してしまうと実家がなくなるから、放棄したくないと述べた。
兄嫁の雇っている税理士さんは、「だから遺産相続は難しくなる」と言われた。
私からすれば、
母の生きていたころ、三食とも外食の義姉に、母はご飯も作ってもらえず、
母が入院しても、まったく病院に来てももらえなかった。
そんな人に、
母が亡くなったからと言って、そうやすやすと明け渡しくないという気持ちがわいた。
これも遺産争いというのだろうか?
母が亡くなってからも、
私が帰省しても、泊まらせてもらうわけでなし、
食事の心配をしてもらうでなしである。
私は義弟(夫の弟)が家族連れで帰省してきたら、泊めて食事をふるまうし、お土産の準備もする。
はるばる帰省してきた義理の家族には、それが当然だと思って、そうしてきた。
が、義姉には、その気は全然ない。
実家の屋上というか4階には私が娘時代に使っていた部屋があるが、義姉たちの物置化してしまっている。
兄が生きていたころは、兄が帰省した私を高知で一番おいしいレストランとか居酒屋さんに連れて行ってくれていた。
今の時代は、この兄嫁のやり方が普通なのだろうか?
それで、義姉は、私には財産放棄を迫るのに、
義姉は、もっと年取ったら、その実家に戻って義姉のお姉さんと暮らすという。
それで、私は言った。
「それじゃ私も自分の実家に帰ってこられるように不動産も放棄しません」と。
すると、今回帰省したときに、義姉は、
「私の実家は、嫁いだ者は嫁いだ先の人間になるのだから、何も分けないという考え方です」という。
私は、内心「あら、前回とまったく逆のことを言って」と思ったが黙っていた。
今回の言葉は、私に対する当てつけなのである。
私も、義姉が母の世話をしっかりしてくれていたなら、黙って放棄しただろう。
が、母の世話は、母が雇ったお掃除のおばちゃんに丸投げして、
母が家にいるときも母の食事の心配をしてくれたことはまったくなかったし、
お風呂は、兄嫁は自分が毎日水泳に行くので、そこで入るから沸かしたくないと
母がデイサービスに行くようになるまで、90歳の母を遠い銭湯に行かせていた。
お風呂の掃除が面倒だからと。
母が入院しても、まったく行かないで、洗濯物は毎日お掃除のおばちゃんが持ち帰って洗濯して届けてくれていた。
私が、「もう少し母に優しくしてくれない?」と頼むと、「できません」と。
母もわがままな人だったから、義姉も不満がたまっていたのだろう。
が、仮にも嫁いできて、別所帯とはいっても、
同じ建物に住んでいるのなら、もう少しなんとかしてくれないかと私は不満に思っていた。
父の法事のときも私たちが大阪から早めに帰って仏間の片付けをした。
法事が済むと、兄嫁は自分たちの食べた食器を一枚も洗わず3階に上がった。
山のような洗い物は大阪から帰省した私がした。
兄嫁にすれば、会ったこともない私の父は自分に関係ない人だったのだろう。
父は兄が結婚する少し前に亡くなっていたから、兄嫁は自分に法事の責任はないと考えたのだろう。
兄が気を使って、高級なワインをいっぱいお土産に持たせてくれたけれど、
私はなぜ一緒に住んでいる人がしてくれないのかとずっと思っていた。
それでいて、母が亡くなれば、遺産はすべて自分たちのものだと思うなんて。
それで、私もちょっと踏ん張ってみている。
世間では、これを遺産争いというのだろう。
*
★税理士にだから遺産の争ひは起こると言はれ起こしゐる吾(あ)か
★母の世話してくれざりし人になぜすべてを渡す必要ありや
★これがまあ遺産あらそひなのだらう嫁ぎしわれが譲らぬゆゑに
★平等は名のみで平等ならざるが日本の遺産相続らしき
★兄が今生きていませば妹のわれに気遣ひあらむと思ふ
★血を分けてゐぬ義妹(いもうと)は兄嫁に異物と思はれゐむとぞ思ふ
★親消えて実家も消えてゆくさだめありて女に家なき此の世
★実家とふ居心地のよき家消えることを気づかすその親の死は
★肉親は子と孫になりあんなにも愛してくれし父母兄彼の世
せっせと義姉たちにお土産をもって実家に帰った。
が、いっこうに優しくしてくれるわけでなく、
世話はまったくと言っていいくらいしてくれていなかった。
母が2階で一人で死んでいても、気づかなかったと思う。
私は、心の中に不満がいっぱいだったけれど、言わずに我慢していた。
で、母が亡くなると、その日のうちに母のものは勢いよく捨てられて、あっという間に母の部屋は空っぽになった。
そうしないと、人を家の中に入れられない状態だったことは否めない。
が、私が直後に「母の持ち物を確かめに帰ります」というと、
義姉は「決算の時期なので帰ってこないでください」と。
それで仕方なく、四十九日まで帰省しなかった。
四十九日に帰省すると、ものの見事に母のものは消えていた。
母の寝ていた部屋には甥のベッドが置かれてあった。
母の使っていた机は義姉が使っていた。
義姉の住んでいる3階は、そのまま義姉たちの物がいっぱいのままで・・・。
大工さんが入って、部屋は見違えるようにきれいにはなっていた。
が、私にすれば、母の思い出の品を仕分けしたかった。
義姉には私の母のものはすべてゴミだったかもしれないが、娘の私にはそうではなかった。
それで、私も少し意地になった。
義姉は私が簡単に遺産放棄すると思っていたようだったが、
私は税理士さんに、放棄してしまうと実家がなくなるから、放棄したくないと述べた。
兄嫁の雇っている税理士さんは、「だから遺産相続は難しくなる」と言われた。
私からすれば、
母の生きていたころ、三食とも外食の義姉に、母はご飯も作ってもらえず、
母が入院しても、まったく病院に来てももらえなかった。
そんな人に、
母が亡くなったからと言って、そうやすやすと明け渡しくないという気持ちがわいた。
これも遺産争いというのだろうか?
母が亡くなってからも、
私が帰省しても、泊まらせてもらうわけでなし、
食事の心配をしてもらうでなしである。
私は義弟(夫の弟)が家族連れで帰省してきたら、泊めて食事をふるまうし、お土産の準備もする。
はるばる帰省してきた義理の家族には、それが当然だと思って、そうしてきた。
が、義姉には、その気は全然ない。
実家の屋上というか4階には私が娘時代に使っていた部屋があるが、義姉たちの物置化してしまっている。
兄が生きていたころは、兄が帰省した私を高知で一番おいしいレストランとか居酒屋さんに連れて行ってくれていた。
今の時代は、この兄嫁のやり方が普通なのだろうか?
それで、義姉は、私には財産放棄を迫るのに、
義姉は、もっと年取ったら、その実家に戻って義姉のお姉さんと暮らすという。
それで、私は言った。
「それじゃ私も自分の実家に帰ってこられるように不動産も放棄しません」と。
すると、今回帰省したときに、義姉は、
「私の実家は、嫁いだ者は嫁いだ先の人間になるのだから、何も分けないという考え方です」という。
私は、内心「あら、前回とまったく逆のことを言って」と思ったが黙っていた。
今回の言葉は、私に対する当てつけなのである。
私も、義姉が母の世話をしっかりしてくれていたなら、黙って放棄しただろう。
が、母の世話は、母が雇ったお掃除のおばちゃんに丸投げして、
母が家にいるときも母の食事の心配をしてくれたことはまったくなかったし、
お風呂は、兄嫁は自分が毎日水泳に行くので、そこで入るから沸かしたくないと
母がデイサービスに行くようになるまで、90歳の母を遠い銭湯に行かせていた。
お風呂の掃除が面倒だからと。
母が入院しても、まったく行かないで、洗濯物は毎日お掃除のおばちゃんが持ち帰って洗濯して届けてくれていた。
私が、「もう少し母に優しくしてくれない?」と頼むと、「できません」と。
母もわがままな人だったから、義姉も不満がたまっていたのだろう。
が、仮にも嫁いできて、別所帯とはいっても、
同じ建物に住んでいるのなら、もう少しなんとかしてくれないかと私は不満に思っていた。
父の法事のときも私たちが大阪から早めに帰って仏間の片付けをした。
法事が済むと、兄嫁は自分たちの食べた食器を一枚も洗わず3階に上がった。
山のような洗い物は大阪から帰省した私がした。
兄嫁にすれば、会ったこともない私の父は自分に関係ない人だったのだろう。
父は兄が結婚する少し前に亡くなっていたから、兄嫁は自分に法事の責任はないと考えたのだろう。
兄が気を使って、高級なワインをいっぱいお土産に持たせてくれたけれど、
私はなぜ一緒に住んでいる人がしてくれないのかとずっと思っていた。
それでいて、母が亡くなれば、遺産はすべて自分たちのものだと思うなんて。
それで、私もちょっと踏ん張ってみている。
世間では、これを遺産争いというのだろう。
*
★税理士にだから遺産の争ひは起こると言はれ起こしゐる吾(あ)か
★母の世話してくれざりし人になぜすべてを渡す必要ありや
★これがまあ遺産あらそひなのだらう嫁ぎしわれが譲らぬゆゑに
★平等は名のみで平等ならざるが日本の遺産相続らしき
★兄が今生きていませば妹のわれに気遣ひあらむと思ふ
★血を分けてゐぬ義妹(いもうと)は兄嫁に異物と思はれゐむとぞ思ふ
★親消えて実家も消えてゆくさだめありて女に家なき此の世
★実家とふ居心地のよき家消えることを気づかすその親の死は
★肉親は子と孫になりあんなにも愛してくれし父母兄彼の世
何をもって義務なのかは人其々かと思います。
例えば兄嫁さんは稼業の商売を守り抜くことが義務と考えていらっしゃるかも知れません。
びこさんは姑の面倒を看なければ義務を果たしたとはいえないと思い、
将来にかけては少なくとも先祖代々のお墓をきちんと守り抜いてほしい。
その気持ちが見えなければ、びこさんとしても納得できないですね。
それは当たり前の事であって、その気持ちは良くわかります。
それは遺産争いというより、義務の確認でしょう。
お墓の状態を見れば凡そ想像はつきますよね。
金銭で解決するものなら割り切りも早いですけども・・・
感情の問題ですから、時間が必要ですね。
私は少し意地悪。私は長男。4人姉弟だったが3人とも亡くなり、母の死後手続きは一人で行った。埼玉から福岡へ何度も通い。それで身体も壊した。妻は「もう少し欲張って長男が受け取れ」と言うが、姉2人の子ども達に公平に分けた(弟は未婚)。長女の子ども達とは今も交流があるが、次女の子らは貰った途端音信不通。当方からは何も言わない。妻の方は継母だったので父の死後実家と縁を切られた。遺産は貰えるものはきっちり貰っておかないと、後々放棄したことを悔やむと私は思っています。相続手続きが終われば、実家(兄嫁)からは縁を切られるでしょう。その時も気持ち的に割り切れる様に、実家の土地の権利分はお金ででも貰うべきだと思う。実家に住む兄嫁が多くの権利を持っていると思うが、絶対に情けを出して放棄なんて、後悔しますよ。
それでも兄嫁も、夫である私の兄が早く亡くなったから気の毒と思って、私はずいぶん譲歩してきたつもりです。
でも、母が死ぬまでそういう姿勢でしたし、母が亡くなったら、今度は、権利を主張します。
それで私も簡単に放棄をしたくなくなったのです。
実家ですから、これからも付き合っていきたいと思っていますが、兄嫁には、小姑の私が目の上のたんこぶでしょうね。
お墓は、私の実家は墓守に厳しいから、夏も暑くなる前に一族で墓掃除に行きます。ですから、お墓はいつもきれいに整備されています。
兄嫁はお墓を高知市に移したいと言っていますが、たぶん、私の親戚一族がうるさいのがうっとうしいんだと思います。
私の母は、母の弟が早く亡くなったので、祖母(母の母)の亡くなったときに、母の弟の子二人に遺産放棄してやりました。
が、母の実家は、母の弟の奥さん(義叔母)や従弟たちが、母の両親の世話をしっかりしてくれたので、母も放棄したのです。
が、私の実家は少し事情が違います。
兄嫁は、同じ建物の2階と3階に暮らしているのに、食事はおろか、法事ですら、母存命中はしてくれませんでした。
それでも実家は大事ですから、私も放棄しようと思っていました。
が、だんだん、放棄したくなくなってきました。
以前ふかさんにアドバイスいただいたことも頭にあったと思います。
アドバイスいただいて、よかったと思っています。
今回も、ありがとうございました。
兄嫁にとっては、兄(旦那)が死んだ時点で、遺産というものは、単なる”モノ”に過ぎないのです。自動的に入ってくる筈と思ってる”赤の他人のモノ”なのです。ビコさんは、甘過ぎるんです。
その甘さに付け入れられてる。皆が皆、ビコさんみたいに、育ちの良い人格者じゃないのです。そう言ってる私もです。私がビコさんの事を本気で思ってるかは、ビコさんの考え方次第です。
もっと、強く冷酷に、その兄嫁に言いよらないと、法ではどうしようもないです。神様では何も手出し出来ないのです。ひょっとしたら、神様も兄嫁の味方かも知れません。
人間とは異常なまでに醜い生き物です、ヘビやワニ以上に。私だってそうかもしれません。
私が兄嫁の立場だったら、もっともっと狡猾なやり方で、ビコさんの全てを奪い取る事でしょう。勿論、ビコさんの弱みを徹底的に付いてです。
でも、兄嫁がボンクラで、ビコさんはラッキーです。ビコさんは兄嫁をモノとみなすべきです。強欲に塗れた生き物は、単なるモノに過ぎないです。
相続が難しいのではなく、人間の強欲がややこしくしてるのです。ビコさんのお袋の遺産はビコさんのものの筈です。これは動かし難い真実です。法といえど、所詮は法に過ぎないです。法律家に都合のいい様に作ったのが法律ですから。法は弱者には都合よく出来てないのです。
法律も人間の強欲に迎合する様に出来てる面もありますが。ビコさんはハンデを背負って生きてんです。ここで引き下がっては、ビコさん以上に、亡くなったお母上が可愛そうです。
絶対に、首を縦に振ってはいけませんぞ。
周りは、平和ボンボンでビコさんを勇気付けるかもですが。後は、ビコさんの判断次第です。これは難しいとかの問題ではない。強欲と意志との闘いかもです。
お互いに満足する形で終ればいいんですが。ビコさんに少しでも有利に運ぶ事を願ってます。
ま、ビコさんは冷静に考えてられると思うので、心配はしてませんが。
だから悪気でしているのじゃないかもしれませんが、すべて自分に都合のよい考え方しかしません。
私の母の残したものは、全部自分たちのものと思っている節が見えます。
それで私も遅ればせながら、ふんばっているわけです。
義姉がもう少し母の世話をしてくれていたら違ったと思いますが、母の死後の私は意地になっているようです。
今までずいぶん我慢してきましたから。
転象さんも心配してくれて、ありがとうございます。m(_)m
がんばります。(笑)
手続きについて分からない場合は、法務局・市役所へ行き、説明をして貰う。法務局は予約を必要とする所もあるので、まず電話で予約日時を確保してからがよいかも。
相続手続きとは、親の財産状況(不動産なら、地番・面積など)について明確に知る機会。(土地や建物など)相続すれば、固定資産税納入の義務も発生します。
そうですね。私の怠慢かもしれません。
ただ亡くなった母は、不動産は甥たちにやってと言っておりました。
以前は私にくれると言っていた借家も甥が3人いるから放棄してやってと。
私もそのつもりだったのでしたが、それは義姉と甥が母の世話をちゃんとやってくるという前提があったのです。
それを私がもらおうとすると、母の遺志に背くと思っていたのですが、考え直してみます。
ありがとうございました。
先程はつい言い過ぎました。スミマセン。
他人事なのに、余計なお節介ですね。
ビコさんの周りの事、全部知ってる筈ないのに。
ビコさんを思う気持ちが、これじゃ全く逆ですね。
でも、ビコさんも身体に気を付けて、無理なさらない様にです。陰ながら応援してます。
これからも、なんでも書いてくださいね。^^