結婚しなかった、あるいは結婚できなかった人たちには、
永遠に憧れなのでしょうね。
童話の世界でも、
最後は素敵な王子様と結婚してハッピーエンドで終わるものが多いことを考えてみても、
女性には結婚は幸せへのパスポートのように思えるのでしょう。
しかし、そのハッピーエンドが厳しい人生の始まりにもなることは、
結婚した女性はみんな知っています。
それを知るため結婚すると言っても過言ではないかもしれません。
もともと人は苦労するため生まれてきていることを知れば、
それは結婚した人にも、しなかった人にも、
形の違う苦労が平等に訪れるものだと思います。
少なくとも、結婚した人間は、その体験からそのからくりがわかるのですが、
未婚のままの人は
何歳になっても憧れの王子様を待ち続けます。
それは、ある意味、幸せなことであるかもしれません。
結婚という現実にまみれることがなければ、
記憶の中の王子様は、いつまでも王子様のままですから。
未婚の人に教えてあげたいことは、
いくら理想の人と結婚できても、
その理想の人は想像していたような人ではなかったかもしれないし、
結婚相手が運よく理想通りの人であったとしても、
そういう人には、たいがい信じられないような親族がいたりします。
いわゆる嫁姑問題の勃発ですね。
それもなく、幸せだったとしても、
今度は子供が思うように育ってくれない苦労が待っています。
運よく思うような子育てができても、
子供は思春期に変貌します。
それまで親の思うように育ってきた子に限って、
突然問題を起こしたりするのです。
そういう事件は最近多いですね。
そういうことまで体験すれば、
結婚というのは、
決して幸せへの近道ではないことがわかります。
が、それがわかるのも、私が結婚できたからであって、
結婚していなかったら、いつまでも夢見の人間であったと思います。
その点だけは、私は結婚して賢くなれたと思っています。
私のお袋も、祖母が生きてた頃は会う度に、学校の先生の申し出を受けてたらと悔やんでました。しかし祖母は、当時は先生の給料がとても低かったので、反対したそうです。
それで馬喰業ですが、稼ぎの多い父と結婚したんです。早死して全くの裏目に出た訳ですが。
どっちが良かったか?私にも未だに判りません。
人生とはどっちみち後悔する様に出きてると思います。幸せとか不幸とは単なる結果であり、要は”人生を自分らしく生きれるか”だと。
運命を受け入れるというのは非常に勇気のいる事で、哀しくもあり虚しいもんです。でも前へ進むには、それしか選択肢はない。ビコさんの言う”賢くなる為に運命から学ぶ”んですかね。
私にとって恋愛とは”地雷”でした(笑)。でも不思議と後悔はしていない。地雷という名の恋愛もまた、悪い意味でロマンチックなんです。
逆に女を買う事が、崇高なファンタジーだったりもします。恋愛や結婚では先ず味わえない類のものかもですが。
仮に不幸に終わったとしても、そこから何かを学ぶ事ができれば、それだけ人は賢くなれる。人はそうやって逞しく進化するのかもしれない。
何だかこれもブログにしたくなりました(笑)。
ほんと、結婚は苦労が多くて、賢くなれます(苦笑)
転象さんのお母様も苦労なさってのですね。でも、私達は命をもらった限り、どんな状況でも苦労させられるようにプログラムが組まれているようです。
この記事は、早朝に書いた歌人に読んでもらいたいと思って書きましたが、彼女に読んでもらうのは残酷かもしれないから、やめておきます。知らぬが仏という諺もありますしね。
転象さんの恋愛が地雷だったというのは、イマイチよくわからないのですが、きっとスリリングな面白い(?)体験だったのでしょうね。
女を買うのが崇高なファンタジーというのも女の私にはわからない感覚ですが、男と女を比べれたら男のほうがロマンティックにできているから、男はそういう感慨を持つのかもしれませんね。